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魔術とは、この世界とは違った世界に棲む精霊の力を借りる秘術だ。魔法使は術者の血を媒体に――否、餌にしてこの世界に精霊を顕現させる。

精霊の世界は何層にも重なっている。表層はこの世界に重なっており無害な精霊が常に漂っているが、深層に棲む精霊になればなるほど力が強く、強暴だ。
精霊たちは無意識の生き物であり彼ら単体は明確な思考力を持たない。
術者の魔力や精神力が弱ければ彼らは好き勝手暴れまわる。しかし逆ならば自在に操ることができるのだ。
エリオットは火の魔法を得意とし、炎の精霊王と契約している。
魔法使第二等・一級魔導士とは精霊界最深層に棲む精霊王と契約をしている者に与えられる称号だ。

魔法炎はやがてささくれ立つような炎を収め、エリオットの足元で大人しくぼうぼうと燃えた。
従順に頭を垂れるかのような精霊王眷属の黒い魔法炎を、エリオットは冷静に見下ろした。術者の血液というご馳走に炎が興奮しているように見える。
魔法使ではない者にはどうかはわからないが、エリオットの目には魔法炎は狼のように見えた。

やがてエリオットを締め付けていた魔術封じの魔法陣は精霊王の炎の力に負けてひび割れ、ついにその効力をなくした。

エリオットはまず自身の手を拘束している手錠と鎖を焼き切るよう魔法炎に命じた。鉄製のそれはチーズのように溶けて魔法炎に取り込まれ消失した。傍目には蒸発したように見えるだろう。
両手が自由になると、炎を増幅させて腰を抜かしているロウロウを炎の縄で拘束する。

「ヒギッ……!」

皮膚が焼け焦げる嫌な臭いが地下牢に充満した。
続けて部下を拘束するよう命じると魔法炎は床を滑るように動き、ロウロウと同様に炎の縄が全員の体を巻き上げた。

「ぎゃあああああ!」
「あぢぃ、いでえ!!」
「やめ、やめてくれ……!」

魔法炎独特の熱にロウロウと部下の男たちが悶え床を転がる。もちろんそんなことで炎は消えない。狼の牙で貫かれるがごとくの痛みと灼熱が彼らを襲っているはずだ。
エリオットは体中の痛みをこらえながらジンイェンに近づき、激しい暴行の末にぐったりと倒れこんでいる彼の体を助け起こした。

「……二度と、ジンに手出しすることは許さない」

エリオットが冷たく言い放つとロウロウが情けない悲鳴を上げた。

「わかった!わかったから止めてくれ!!いてえ!苦しい!死んじまうー!!」

ロウロウは涙と鼻水と小便を垂れ流しながらみっともなく足をバタつかせた。

「……無様だな」

エリオットはジンイェンを支えながら口の中に溜まった血を指先に浸し、壁に魔法陣を描いた。
屋敷の玄関前に繋がっている空間転移魔法だ。魔法陣が完成すると壁が水面のように揺らぐ。
魔法陣を抜けるとすぐそこにエリオットの屋敷が見えてほっと息を吐いた。外はすっかり深夜になっている。

「ごめん、エリオット……」

ジンイェンはかろうじて意識を保っていたらしく、エリオットに体を預けながら弱々しく笑ってみせた。
転移魔法陣を閉じて、エリオットはジンイェンの体を引きずって従者部屋のベッドに運び彼を寝かせた。

「あいつら……そのままで良かったの?」
「術者の僕が離れれば魔術もそのうちに消える。ただし、殺さない程度に遊んでやれって命じてきたからどうなるかはわからない」
「……くく、おっかないねえ、魔導士様、は……」

ジンイェンの顔は変形しているし、腕も不自然に曲がっている。ところどころ血が滲んでいるが打撲痕の方が痛々しい。呼吸が乱れていてひどく苦しそうだ。
エリオットはいたわるようにジンイェンの額の髪をかきあげた。鮮やかな夕陽色が今は灰色に薄汚れている。

「今、神官を呼んでくるから……ジン」
「ていうか、なんでそんな、優し、のアンタ……俺、のせいでそんな目に、あったってのに、さ……」
「いいから黙って」
「カッコ良すぎて……俺、惚れちゃいそ……」
「……馬鹿だな」

エリオットは顔を歪めて泣きそうに笑った。ジンイェンもそこで精根尽き果てたらしく意識を手放した。
血の気のない顔で気絶しているジンイェンにエリオットはためらいなくとある魔術を行使した。

――時を止める魔法だ。石化の魔法を研究していたときに偶然知った禁呪である。

容態がこれ以上悪くならないようにするための応急処置だが、時を操る魔法は術者にも大きな負担がかかるのであまり長くはもたない。己に与えられた命の時間を削る魔術だからだ。

(……とにかく神官を……)

エリオットは汚れたローブを脱ぎ捨てて換えのローブを羽織った。
書斎から魔法使の杖を持ち出しフードを目深に被ると、家に賊避けの防御を何重にもかけて街へと急いだ。



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