2


「う……」


不意に目を覚ます。しかしズキンズキンと脳天に走る頭の痛みで起き上がれない。
エリオットはとにかく目を開けようとしたが、何かでまぶたが貼りついてなかなか開かなかった。
そして気付く。鉄錆のような不快な臭い――。

エリオットは何者かに後頭部を殴られた衝撃で怪我をし、そこから血がこめかみを伝い流れそれが乾いてまぶたをくっつけていたようだ。
目を開けても周囲は暗く、ひどく黴臭かった。

そこでようやく自分が地下牢のような場所にいるということを認識し、どっと冷や汗が出た。
手錠と鎖で後ろ手に縛られ、冷たい石の床に転がされている。
少し手を動かして見ると、手錠の鎖がじゃらりと音を立てた。鎖の先は石床に打ち込まれた楔に繋がっていて、行動が制限される仕組みになっていた。
ぼんやりと目の前に見えるのは鉄格子だろうか。

周囲が暗すぎて何も見えないので灯りの魔法を唱えようとしたが、術は発動しなかった。

(な……どうして……)

魔法使の杖なしでは強力な魔術は行使できない。しかし灯りの魔法や弱い風の魔法などはエリオットほどの魔法使なら徒手でも使えるはずだ。
それが『打ち消されている』感じがした。
まさか、と思いながら石の床と天井を順に見る。
エリオットが倒れている場所には魔法陣が描かれていた。暗くてよく見えないが状況からいって魔術封じの魔法陣だ。
天と地を使う魔術封じは始祖種族に伝わる古代魔術のはずだ。そんな高度で強力な魔術を誰がどんな目的で――。

「オハヨー子猫ちゃん?」

暗がりから唐突に声が響いてきた。エリオットはハッとして声の主を目で探した。
カンテラをぶら下げながら階段を下りてきた声の主は、エリオットを格子越しに明かりで照らした。
それは薄汚い男だった。伸ばしっぱなしの汚らしい長髪、片目は義眼で顔中が傷だらけだ。そして男からは腐ったチーズのような臭いがした。
エリオットを見てヒュウ、と男が口笛を吹く。

「こいつぁすっげえ美人。ジンが入れ込むはずだぜ」

げははと下品な笑い声が地下に響く。エリオットとこの男以外に誰もいないようだった。
それよりも、今、男は何と言った――?

「ジン、ジンって……」
「まあ焦んなさんなって。今会わせてやるからよ……っと」

男がカンテラから地下牢中に設置してある松明に火を移し、ようやく周囲が見渡せるようになった。
狭い石牢だ。魔術封じの魔法陣は予想した通りのもので、濁った紫色に見えることから魔獣の血で描かれているとわかる。

「あんた一級魔導士なんだってなぁ。悪いけどオイタしないよう封じさせてもらってるぜ」
「…………」

エリオットは黙って床に突っ伏した。頭痛のせいでひどく気分が悪い。地下牢の冷気で体温が下がり、吐き気がした。
どうにか抜け出す方法はないかといくつも仮説を立てては捨てる。魔術を封じられた挙句縛られ転がされていては非力なエリオットになかなか有効な手段は見出せない。
すると、それほど間を置かずに階段の方がまた騒がしくなった。

「おら、さっさと歩け!」
「うるさいなぁ、歩いてるって……ていうかアンタ、口臭いんだけど」

聞き覚えのある声にエリオットは目を瞠って階段を見上げた。
五人の男たちが地下牢に降りてくる。そのうちの一人は、やはり思ったとおりの人物だった。
――ジンイェンが、男達に拘束されていた。
殴られたのか顔に青痣が浮かんでいる。

「ジン……!」

エリオットが思わず名を呼ぶと、ジンイェンの顔が驚愕に歪められた。
ジンイェンは男達の中でも一番偉そうにふんぞり返っている大男を睨み上げた。

「……ロウロウ、この人は関係ねえだろ……」
「関係あるねェ。ジンイェン、てめぇこの別嬪さんとよろしくやってたらしいじゃねーか」

ロウロウと呼ばれた男はジンイェンと同じようなヒノンらしい独特の身なりをしていた。
しかしロウロウはべたついた長い黒髪を髷にし、隆々とした筋肉の二の腕を露出させている。にたりと歪めた口元から黄ばんだ犬歯がのぞく。
顔中に髭を蓄えたこの大男は見るからに男達の大将だった。
ジンイェンが訛りの強いヒノン語で罵り言葉を吐き捨てた。

「……きったねえな、アンタ」
「くっくっ、褒め言葉だなァ。さて、俺達から盗みをした罪、どう落とし前つけてやろうか……」

「オレの部下を再起不能にしてくれた礼もなァ!」とロウロウの後ろで別の男が大声でがなりたてる。
その声でようやく冷静さを取り戻したらしいジンイェンがロウロウに淡々と告げた。

「ていうかさ、あの指輪ならもうないって」
「ああん?んなはずあるかよ」
「あんなガラクタ、ロウロウのお宝の中じゃたいした値打ちでもないだろ?俺もちょっと魔が差しただけだって」
「まあ値打ちモンじゃあねーわな。……『お前以外』は、な」

その言葉に飄々としたジンイェンの表情が一瞬歪む。



prev / next

←back


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -