魔石


翌日からもエリオットはプリエンテ家を訪れた。公爵家から詰所にわざわざ迎えの馬車が来るので逃げようもないのだが。
双子の両殿下の講義のあとになるので、昼下がりの眠たくなるような時間帯になってしまうのは避けられない。

それというのも、当初「三十分だけ」という約束で引き受けた実践学の特別講義が、いつの間にか倍以上の時間を費やすようになっていたのだ。
このことはエリオットにも反省の余地があることを自覚している。
なぜならリアレアもシルファンも、資質のためか年齢のためか成長著しく、教師として教える喜びに時間を忘れて没頭してしまうからだ。
懐中時計をジンイェンに預けてしまっているので、正確な時間が自分では分からないということもあるが。
それならそれで侍従も止めてくれればよいものを、「そろそろお時間です」と声をかけてくる頃には昼食時だったりする。

実践学は特にリアレアが熱心に取り組んでいるので、彼女がはた迷惑な騒動を起こさないことを側近たちがこれ幸いと思っているのは明白だった。
午前中はそのようにしてあっという間に時間が過ぎ、昼休憩を挟んでセリーナのもとへ、というのがエリオットのお決まりになった。
そうして日々の勤めに公爵家への『通い教師』が追加されて早五日――エリオットはすでに疲労困憊だった。肉体的にではない、精神的にだ。

セリーナは両殿下に比べると、かなり理解が遅い。
この齢で身籠って修学が遅れているということもあるが、本人の資質によるものが大きいとエリオットは思った。
もちろんそう深刻なものではない。いわゆる落ちこぼれとまではいかないが、教師が根気よく教え、本人が弛まぬ努力をすれば十分良好な成果が望める程度だ。
そしてセリーナは幸いにも素直な性質で、自分がそれほど優れた頭脳の持ち主ではないと認識した上で、しっかり学ぼうという姿勢が見て取れる。

そこまではいい。多数の生徒を相手にしてきたエリオットからすれば全く問題ない。
何が疲れるかというと――ブノワがとにかくうるさいのである。
エリオットが教えられるのは免許を持っている科目に限られるので、それ以外の科目はブノワが教えることになったようだ。
復帰はしたがまだ本調子ではない彼は、当面セリーナのみに教師役を絞るとのことだった。

それならそれで別の空いた時間帯に教えるのが一般的なのだが、何故かブノワはエリオットの訪問時間に必ず顔を出す。
そしてセリーナに教えている最中、ああでもないこうでもないと余計な口出しをしてくるのだ。
やがて話がどんどん横道に逸れていき、喉が渇いた小腹が空いたなどとのたまってやたらと喫茶の席を設けようとする。
その話の内容もたいていがブノワ自身の自慢話で、家柄自慢にはじまり誕生から学生時代のいかに自分が神童だったかというエピソード、素晴らしい交友関係、贅沢な旅行話等々、よくもまあ話題が尽きないものだと呆れもするが反面感心もする。
おかげでエリオットはすっかり彼の来歴について詳しくなってしまった。

正直に言って、ブノワの無駄話に付き合う時間がもったいない。というか無駄だ。
とはいえエリオットの立場では無下にすることもできず、ブノワに当たり障りなく付き合いつつセリーナにできるだけ丁寧に教えるという、非常に神経を遣う日々を送っていた。


五日目のこの日も、ブノワはエリオットがプリエンテ家に到着するや否や待ち構えていたようにどこからか姿を現し、隣にぴったり並びつつ埒もないことを喋り続けていた。
彼は衣服も帽子も毎日違うものを身に着けていて、流行のデザインといい繊細な装飾といい、相当裕福な様子が窺える。
肩を並べてセリーナの待つ部屋へと入ると、彼女の表情がどことなく申し訳なさそうな、気の毒そうな困り顔になった。彼女もやはりブノワに対して思うことがあるようだ。
公爵家の姫君とはいえブノワにどうこう言える立場ではないらしく、エリオットと同じく辛抱強く耐えている。

セリーナは来訪者二人のために行儀良く立ち上がった。しかし身重である彼女は、小さく膝を折る挨拶にとどめた。
それでも所作が淀みなく美しく見えるのは、さすがプリエンテ家のご息女といったところだ。

「ごきげんよう、ヴィレノー先生。ブノワも」
「やあ、小さなお姫様!今日も実に愛らしいね!」
「こんにちは、セリーナ様。本日のお加減はいかがですか?」
「問題ありません」

ブノワとエリオットが各々受け答えをする。セリーナの返事を聞いてから、丸テーブルを囲む三脚の椅子にそれぞれ座った。
一般的な座学の形式とは違うが、ブノワが望んだためこの形になったのである。おそらくすぐにティータイムをはじめられるようにだろう。
それほど時間に余裕があるわけではないので、エリオットはすぐさま業務態勢に入った。

「少しでもお体に障りがあるようでしたら、すぐに仰ってください。それでは、本日の講義をはじめさせていただきます」
「お願いしま――」
「さて、昨日はどこまで話したかな?セラはメルスタンのヴィッフェン朝に興味があるようだが、間違って覚えているところだらけだったね!」

エリオットはセリーナのために学習予定を立てているので、それに従って進めるつもりでいた。ところがこんなふうに連日ブノワに『横取り』されるのだ。
おまけに予定とは全く違う箇所を独擅場で喋るのみ。生徒に覚えてもらおうという気がない。
知識の豊富さはさすがプロヴリの正教授――と言いたいところだが、なにかとブノワの的外れな意見が挟まるので雑音でしかない。
一言でも喋ろうものならすかさずブノワの講釈が新たに垂れ流されるので、エリオットもセリーナも辟易して唇を引き結んだ。

そのままブノワの雑談は止まらず、午後の柔らかい日差しと気疲れからエリオットはぼんやりとそれらを聞き流した。
こういうときエリオットは、ジンイェンのことが羨ましくなる。彼ならば上手にあしらった上で好感を持たれる人付き合いができるからだ。
ジンイェンとは数日前の逢瀬以来、顔を合わせられずにいた。
同じ宮廷内にいながら会えず恋しくてたまらないが、近く劇団の正式なお披露目会があるというので、向こうもその準備に忙殺されているのだと思うと我慢せざるを得なかった。

相槌を打たずともブノワが勝手に一人で喋っているので、エリオットは教本を開いたまま恋人のことに思いを馳せた。
教師としてあるまじき態度ではあるが講義を進められないので仕方ない。
すると、何か言いたげにエリオットをチラチラ見ていたセリーナが、側に控えていた侍女に耳打ちをした。侍女が一旦退室をしてまた戻ってくる。
セリーナは侍女から長方形の豪華な箱を受け取った。金の装飾が施された、いかにも少女の持ち物らしいメルヘンチックな宝石箱だ。

「先生、質問よろしいでしょうか」
「あ……はい、失礼しました。どうぞ」

ぼんやりしていた己を恥じて、エリオットは姿勢を正してセリーナに向き直った。
明らかにエリオットへの質問であるにも関わらず、ブノワもぴたりと口を閉じて耳を傾ける。

「これを――ご存知でしょうか」

セリーナが宝石箱から取り出したのは石だった。それは魔石だと、エリオットは一目見て分かった。
しかし純度が低く濁っていて、宮廷住まいの公爵家の姫が持つにはあまりにも粗末な代物だ。


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