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ブノワの長話に付き合わされたせいで、プリエンテ家から出たエリオットは普段よりも気疲れが増していた。
その後は忙しなく午後を過ごし、夕食を終えて宿舎に戻り湯浴みをしていると、カタンという音と人の気配が感じられた。

「……ジンか?」
「そー。お邪魔してるよー」

浴室内から声を掛けてみれば恋人の声で応答があった。
窓の鍵は開けておいたからそこから入ったのだろう。彼が何の前触れもなく現れようともはや驚かない。
ガウンを纏って部屋に戻ると、いつもの不敵な笑みを浮かべたジンイェンが椅子に腰掛けていた。エリオットは口元を綻ばせ、彼に腕を巻きつけながら軽いキスをした。

「ちょうどよかった。いい酒が手に入ったんだ、飲まないか?」
「支給品?」
「違う。個人のものだが、美味かったから譲ってもらったんだ」

それは先日サイラスの部屋で飲んだ蒸留酒だった。どこで手に入るのかと聞いたら、今日になって彼から新しいボトルを譲り受けたのだ。
持ち主には呆れることも多いが酒に罪はない。
酒をグラスに注いで対面に座る。部屋にともされた魔法灯のほのかな明かりが琥珀色の液体に反射した。

「もー、エリオットが全然離宮に来てくれないから会いに来ちゃった」
「ああ……新しい務めを申し付けられたせいでなかなか時間が取れなくてな」
「そんなとこだろうなとは思ってたけど。つか、俺もこの前の庭園では身動きできなくてごめんね」
「気付いてたのか?」
「そりゃまあね。なんか知り合いと一緒だったみたいだけど、あれが前言ってた森のステラ族?」

グランに瞳の石の相談をしたとき、話の流れでサイラスの話題が出たことをエリオットは思い出した。
あれほど種族の血が濃い特徴をしている彼のことである、ジンイェンもひと目で察したのだ。

「そうだ。あれからなんだかんだと彼とは交流があってな」
「じゃあ例の、石については聞けた?」
「……聞いたが、詳しくは教えてもらえなかった」

瞳の石に関することといえば、始祖種族の遺物で、肌身離さず持っていろと言い含められたくらいだった。
言われたとおり持ち歩いてはいるが、今のところ恩恵を受けたことも害を為されたこともない。だが、不確定要素を抱えていると思うと心中穏やかではない。
そう説明するとジンイェンが一息に酒を煽った。

「始祖種族の遺物ねぇ?ま、あの人たちも秘密主義っぽいし、広く知られたくないことでもあるんでしょ。森に篭ってるのがそのいい証拠だよ」
「そうかもしれないが……」
「ほらほらあんまり思い詰めないで。なるようにしかならないんだからさ。俺も近くにいるんだし大丈夫だって。何かあったらすぐ駆けつけるから、ね?」

多くの魔物たちと渡り合い、数々の危機や困難を乗り越えてきた彼の言うことだ――なるようにしかならない、結局はその通りなのだろう。
気楽な口調で陽気に笑う恋人を見てエリオットは表情を更に固くした。そんな強張った頬をジンイェンが指でつつく。

「んー?どうかした?」
「いや……そうは言うが、きみだって自分の務めがあるんだ。僕ばかりをそう気にしていられないんじゃないか」

突き放すような言い方をする一方で、エリオットは己の頬を突くジンイェンの手を握った。
握った手を逆に引っ張られ、指や手の甲に酒に濡れた唇が愛おしげに数回触れる。恋人特有の愛撫に似た口付けだ。

「やだなぁ、俺が誰のためにわざわざ劇団に潜入したと思ってんの?」
「だからといって、与えられた役目をないがしろにはできないだろ」
「言いたいことはそれだけ?」

エリオットの機微に敏いジンイェンは、ニヤニヤと笑いつつも本音を暴くために瞳を覗き込んだ。
まっすぐに射抜かれてヘーゼルの双眸が揺れる。どのみちエリオットの下手な隠し事はジンイェンには通用しない。

「……あの『姉』ときみは、ずいぶんと仲が良さそうに見えたが」
「あらら、ヤキモチ?」

ジンイェンにからかわれたことで、エリオットは己の発言に棘があったことに気付かされた。

「すまない……嫌味な言い方をしてしまったな。嫉妬というよりは、焦りだと思う。きみが同郷の人々に囲まれているのを見て、踏み込めない壁のようなものを感じたから」
「俺が、宮廷魔法使たちに混じってるアンタを見たときの気持ちと同じかな?」
「――手が届かない、か」

聞き慣れぬ異国の言葉で彼らの集団に溶け込んでいる姿は、たしかにそう思わされた。
それに、フゥも義弟であるジンイェンをいずれ連れ戻すと宣言していたから余計に胸中がざわついたのだ。
そのことと『姉』との距離の近さも相まって、つい当て擦りをしてしまった狭量さを恥じた。

「しかし、男だと分かってはいても女性の装いをしている『姉』と仲睦まじい姿を見ていると、どうしても落ち着かない……」
「んー……さすがエリオット、鋭いね。あの人、俺に気があるみたいなんだよね」
「はぁ?」

なんでもないことのように零されたジンイェンの言葉に、エリオットは目を丸くした。

「っとと、それにはちゃんと理由があるんだよ?劇団員ってだいたいが子供の頃から芸人として育ってきてんの。親に捨てられた子供とか、一流の芸に憧れて自ら劇団入りする子供もいるし色々だけど、とにかく小さいうちから『仕込まれる』んだよ」
「そ、そうなのか」
「あの人……っていうか女役の人たちって、芸のために心も女になるよう仕込まれてるんだってさ。だけど伝統として陽根がないと舞台には立てないから体はそのままでね」

一流の芸というのはそこまでするものなのかと唖然とした。
劇団内で閉じられた教育を受けた役者は、そうして歪み偏った人格を形成する代わりに完璧な美を魅せるのだろう。

「だから本人は女のつもりでいるうえに外部との親しい交流ってほとんどないらしいから、よそ者の俺が珍しいみたい」
「ええと、身体は男性でありながら、じょ、女性としてジンに好意を抱いてるということか?」
「そうそう。なんか妙な感じだよねぇ」

ジンイェンが肩を竦めながら苦笑する。
女性として育ってきたジュランが、若くて見目が良く、おまけに異性の扱いに長けている男性に惹かれてしまうというのは、心理としては理解できる。
しかしその相手が自分の恋人となればエリオットとしてはやはり面白くない。困惑のあまり低い唸り声が出た。


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