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それからしばらくの間は何かと慌しく、ジンイェンに会いに行くことが出来ないまま二日が過ぎた。
もはや日課となった教師役を務めるため宮殿に赴くと、リアレアに開口一番難題をふっかけられた。

「先生先生っ!このお手紙をセラ姉さまに渡してほしいの!」

どうやら彼女は、エリオットが今日からプリエンテ家でセリーナの教師役を務める話をどこからか聞いてきたらしい。まったく抜け目ないことだ。
エリオットはズキズキと痛みはじめたこめかみを指先で揉み解した。

「……申し訳ございません、殿下。お気持ちに沿いたいのはやまやまですが、公爵夫人に申し付けられた職務以外のことはお受けいたしかねます」

それがたとえ皇女の頼みであろうと公爵家に余計なものを持ち込むことはできない。
エリオットが事務的に断るとリアレアは縋るように両手で手紙を握りこんだ。

「心配なら今この場で中を読んでもらってもいいわ!だからお願いっ!」
「ですが――」
「お願いお願いお願い!!」

いつになく気迫のこもった様子のリアレアに、エリオットも結局は折れた。少女の『お願い攻撃』ほど心の痛むものはない。

「……もしも渡せなかったときは、諦めてくださるのなら」
「もちろんよ!私が強引に先生に持たせたの!そういうことだもの!」

万が一の咎は全て被るとリアレアが胸を張る。たくましいというべきか、叱られ慣れているらしい彼女の自由勝手さに呆れるべきか。
とはいえ、仲のいい身内宛てに手紙を渡したいだけだというのならば彼女の行動にしてはおとなしい部類だ。手紙が異様に分厚いことを除けば。


殿下方の学習を終えたのち、プリエンテ家から近衛兵のジェイロズが迎えとして宮殿に現れた。
不自然に膨らんだ衣嚢を怪しまれるかとハラハラしたが、何も咎められることなく屋敷に通されてエリオットは拍子抜けした。
リアレアの考えなど公爵夫人には筒抜けなのかもしれないと思えば、罪悪感も少しだけ薄れた。

ジェイロズの案内で西向きの一室に通される。中は広々として淡いクリーム色を基調とした柔らかい雰囲気のする部屋だが、少女の私室ではなさそうだった。
部屋の中央に置かれたテーブルセットに、セリーナはいた。その傍らには先日見かけた彼女の乳母が付き添っている。
エリオットが恭しくお辞儀をすると、セリーナもそれに応えた。公爵家の姫君として恥ずかしくない楚々とした佇まいだ。

「またお会いできて光栄です、セリーナ様」
「こちらこそ。よろしくお願いします、教授――いいえ、ヴィレノー先生」

セリーナが少女らしい微笑みを見せた。とても出産を控えた身だとは思えない無垢さである。ラルフが言っていたのは実は根も葉もない醜聞で、彼女は本当に病を患っているのではないのかと思うほどだ。
しかし、どんな事情があろうとそれを詮索してはならない立場であることに違いはない。
セリーナを座らせたがテーブルの上には本の一冊、羽ペンの一本すら見当たらない。エリオットは仕方なく彼女本人に聞くことにした。

「セリーナ様の修学の様子はホライナス指導長から一通り聞いていますが、確認をさせていただいてもよろしいでしょうか」
「あの、そのことですけれど……」
「お話中、失礼いたします。ルドリック様をお連れしました」

セリーナの言葉を遮り、開け放したドアにノックをした使用人が咳払いをした。
聞き覚えのない名にエリオットが訝しく思っていると、「やあ」という歌うような若い男の声が響いたので顔を上げて見た。
少々横に広い丸顔だが、割れた顎や高い鼻、片頬を上げる笑い方、洒落た衣服を見る限り色男を気取っているように見える。そしてうなじで結ばれた長めの髪はセリーナと良く似た暗褐色だ。
公爵家でこれほどリラックスした態度なのだから彼女の身内だろう。そう考えたエリオットの耳に「ブノワ」という名が届いた。セリーナがつぶやいたのだ。

(……なるほど、彼があの「ブノワ」か)

鍛錬場で虫の毒に侵された青年、プリエンテ家の縁者で、リアレアとシルファンの教育を受け持っていた元プロヴリ校の教授――。
さんざん人となりを他者の口から聞いてはいたが、こうして顔を合わせるのは初めてだった。
するとブノワはエリオットと目が合うとハッと息を呑み、襟元を整え帽子の位置を斜めにずらした。
室内で帽子を被るという奇妙ないでたちに眉をひそめたエリオットだったが、毒を被ったせいで髪が抜け落ちた様を思い出して気の毒に思った。まだ頭頂部の毛量が戻っていないのかもしれないのだ。
ブノワは短杖を肩に乗せて斜に構えたような緩慢な歩き方で近づくと、大げさな仕草で胸に手を当てて銀の指輪を見せた。二級魔導士だ。

「ブノワ・ルドリック」
「エリオット・ヴィレノーと申します。どうぞお見知りおきを」

エリオットも魔法使としての挨拶を返すと、ブノワは額まで赤くなり不自然な咳をした。

「ま、まあ、そうだな、覚えておこう、エリオット。あなたも私のことはブノワと、そう呼んでくれて構わない」
「お体の具合は?療養中だと聞いていましたが」
「いっいや!ンンッ!あれくらいどうってことは、うん」
「……お元気になられたのなら何よりです」

毒虫に襲われたブノワを救出したのは他でもないエリオットだ。
こうして見ると顔色も良く、毒の後遺症はないように思える。それを確認できたことで胸のつかえがひとつ取れた。

「まぁあの、あれだ、毒に効くという希少で特別な香油が届いたからな」
「香油?ああ、バルディレオ副旅団長が精製したというブエェルウェチアの精油ですね」
「ブェ……?そ、そう!それだ!」

ブノワがパチンと指を鳴らす。
精油はプリエンテ家にも献上したとサイラスが言っていた。当然その身内である彼のために使われたのだろう。
それにしてもブノワという青年は、先程から言動が上滑りしていてどうにも格好がつかない。彼に関してあまり良い噂を聞いていなかったせいでそう見えるのかもしれないが。
エリオットが内心彼への評価を改めていたとき、ブノワは気障な仕草でテーブルをこつこつと叩いた。

「それで、あなたが私の代わりだと聞いたが」
「ええ」
「とても、とてつもなく重責だろう。難しい子供たちを抱え、あなたが一人耐え忍んでいる姿が目に浮かぶようだ」

苦悩の表情で大げさに肩を竦めるブノワ。そんな彼の言葉を受けて、今度こそエリオットの眉間にくっきりと皺が寄った。
重責であるのは認めるが、そもそも彼の軽率な行動が原因で巡ってきた職務だ。彼に憐れまれる謂れはない。
そのうえ、問題がないとは言い切れずとも、リアレアもシルファンもとても素直で利発な良い教え子であるだけにブノワの言い方は癇に障った。

「私もまだ本調子ではないが……しかしながらこうして日常生活は難なくこなせるまでになった。どうしてもと言うのならあなたの手助けをすることもできるが、どうかな?」
「待ってブノワ。先生には勉強の進み具合を伝えるだけと……」
「まあまあセラ、やはり私の大事な生徒を三人も託すのだからね、気が変わったんだ」

二人の会話から察するに、ブノワは様子を窺うため顔を見せただけのようだった。
彼のほうもエリオットの噂を方々から聞き及んでいたのだろう。気にならないわけがない。
何が彼の気を変えさせたかは分からないが、一癖ありそうなブノワとの付き合いが始まってしまったのだと知るとエリオットに新たな憂鬱が加わった。

「……それはぜひ、お願いしたいところです」
「結構!では茶などどうかな?特別に、ど、同席を許そう」

ブノワは使用人にいそいそと合図をして人数分の椅子とティーセットを運ばせた。立場が上の者として威厳を保っていたい姿勢は見えるが、親睦を深めたくて仕方がないようだった。
性格は悪くないが浅薄だという印象は、実際に話してみても変わらなかった。良くも悪くも育ちが良すぎるのだろう。
そしてそれとは対照的にセリーナの性格も浮き彫りになった。実に一回りも年が離れているはずが彼女のほうが落ち着いて見えたほどだ。

この日は雑談に終始したが、帰り際にリアレアからの手紙をセリーナへこっそり渡すと、彼女もそこでようやく年相応のはしゃぎようを見せたのだった。


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