朧げな境界


サイラスにこれ以上からかわれたくないエリオットは、気を取り直してジンイェンのところへ行こうと考えた。
ありきたりな言い訳をしつつ第十二執務室をあとにする。
劇団は今日から庭園で曲芸を披露するのだとジンイェンは言っていた。そこへ行けばきっと恋人に会えるはずだ。
しかし庭園とはいえど廷内は広く、どこで行っているのかが分からない。
エリオットは第四執務室に戻ってトリスタの姿を探した。子弟の彼ならば当然知っているものだと思ったのだ。そしてやはりその通りだった。

「ええと……音楽堂前の庭園広場です。ご案内しましょうか?」
「いや、それだけ教えてもらえれば十分だ。音楽堂ならラルフと一度訪れたことがある」
「そうですか」

承知したと頷きながらもトリスタが表情を曇らせた。その落胆ぶりにエリオットは驚き、急に焦りが生じた。

「すまない、ここのところの僕は単独行動が多かったな。そのことで旅団長殿からきみに何か……」
「いいえ、何も言われていません。ただ、僕の働きにご不満があるのではと……少し気になりました」
「不満などないよ。きみが抱えている業務の妨げにならないよう配慮したつもりだったんだが」

『エリオットの世話係』というのはトリスタの本業ではない。それに見習いといえど業務量は多いように思えた。少年が座っているところなど見たことがない。
だから自分でどうにかできそうなときには頼らずにいたのだが、かえっていらぬ心配をさせてしまったようだ。
ふと、エリオットはトリスタ自身のことが気になった。
彼の年の頃だと、だいたいの子供は学校へ通っているはずだ。それが魔導士階級で子弟として宮廷にいるのだから相当に優秀なのだろうが――。

「トリスタ、つかぬことを聞くが」
「はい、何でしょう」
「きみの年は?」

教職に就き同じ年頃の少年少女たちを相手にしているエリオットにとって、他愛ない話題のつもりで出た問いかけだった。
ところがトリスタは表情を硬くして「……十七です」と掠れ声で答えた。
まるで、厳しい教師を前にして誤った回答を恐れるような萎縮した態度だ。それ以上踏み込まないでくれと言わんばかりに、長い前髪の奥にある瞳が逸らされる。
その年で入廷していることを誇ってしかるべきだと思っていたエリオットは、大きな違和感に首を捻った。

「……そうか。ああ、手を止めさせてしまって悪かったな」
「いいえ……」
「きみが廷内のことをよく知っているから、僕はいつも助かってるんだ。ありがとう」

褒めたつもりの労いにもトリスタは唇を固く引き結んだ。宮廷にいる以上、やはりこの少年にも何か複雑な事情がありそうだ。
この先は少年の私情にむやみに触れてしまいそうで、エリオットも口を閉じて執務室を出た。

転移の間から音楽堂に繋がる魔法陣に入る。出入り口として固定されている陣のある東屋から出れば、音楽堂前は賑わっていた。
シャン、シャン、という金属音と弦楽器の音色が響いている。耳慣れないその音は、かの国独自の楽器から奏でられるものに違いない。
広々とした庭園はテーブルや椅子がいくつも置かれおり、略式のガーデンパーティーのようだった。
それらを避けて見てみれば数人の青年が曲芸を行っていた。けれどその中に恋人の姿はない。
きょろきょろとあたりを見回して、楽士のかたわらに立つジンイェンを見つけた。気持ちが明るくなったのもつかの間、エリオットは無意識に己の杖を引き寄せた。

ジンイェンの隣には椅子が置かれており、そこにあの赤い花飾りの『姉』役者――ジュランが座していた。
周囲には『妹』や、大きな日除け傘を持った者など他役者も数人いるが、『姉』は深窓の姫のような明らかに別格の扱いだ。
曲芸師や楽士よりも上等な衣服を身に纏っている今のジンイェンはおそらく、人気役者の護衛か通訳に徹しているのだろう。
さらに驚いたことには、ジュランの半歩うしろに、扇で彼に風を送っているフゥの姿があった。
フゥの擬態は見事なもので、ジュランの華やかさの影にいる十人並みの男がまさか当国きっての暗者だとは誰も思わないだろう。
あの様子ではジンイェンに声をかけることなどできそうにない。

エリオットは溜め息を吐き、仕方なく曲芸の観賞に集中しようとした。
しかし突然うしろから肩を叩かれて驚きに体を跳ねさせたのだった。

「もーつれないなァ、エリオット。こんなとこに来るならオレも誘ってよ!」
「サ、サイラス!?」

第十二執務室から逃げるようにしてサイラスを振り切ったはずが、いつの間にやらあとをつけられていたらしい。
彼が常に暇を持て余していることを思い出し、エリオットは己の迂闊さを嘆いて手で顔を覆った。彼の突飛な行動に今更驚きはしないがこそこそ追跡とは人が悪い。

「それにしても意外だねー。キミってこういうの興味あるんだ?」
「……ヒノン国の文化に触れられる貴重な機会だからな。なにより殿下方も気にしておられたから」
「それで話の種に?フーン」
「悪いか?」
「べーつーにーィ」

サイラスが窺うように含みのある返答をした。
パレードのとき、恋人の姿に気付いてうっかり声に出して反応してしまったのは失態だった。サイラスに何かを疑われている。彼の、他人の弱味を突くための嗅覚は尋常ではない。
これ以上詮索されてはたまらないので、エリオットはジンイェンから意識を外して興味の薄い態度に切り替えた。

幸いジンイェンは表舞台には立たず役者たちの影にいるばかりで特段目立つようなことはなかった。
同じ言葉を喋り生活をともにしていた恋人が、衣服も佇まいも劇団にしっくりと馴染んでいる。彼が他国人だということをまざまざと見せ付けられたような気がした。
時折ジュランが着物の裾で口元を隠しながらジンイェンの耳元に何事かを囁き、彼が笑顔で言葉を返す様子が窺えた。
ジュランはジンイェンにしか話しかけておらず、あれでは姫君にとっての特別な人物のようにしか見えない。
エリオットはそのことが気にかかって曲芸の華麗さなどほとんど目に入らずじまいであった。

「全員男――か」

サイラスが唐突に独りごちた。それは最初に彼から聞いた情報だ。
急に何を言い出すのかとエリオットが訝しんでいると、彼は、星の瞬きを湛える己の髪を指でするりと梳いた。

「男とか女とか……性別って、なんだろうね」
「サイラス?」

ジュランをはじめとした女役者のことを言っているのだろうか。
けれどそれもただの独り言だったようで、サイラスは「まァ、どうでもいいか」といい加減な調子で締め括った。


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