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エリオットの顔がこれでもかと顰められたのを見たサイラスは、おもむろに硝子瓶の蓋を開けた。
鼻の奥にこびりついてしばらく取れなかったあのねっとりとした腐臭を覚悟したエリオットだが、部屋に広がったのは、まるで草原に佇んでいるかのように気分の良くなる薫香だった。
ナッツのような香ばしさ、胸がすくような森林の爽やかさ、あるいは土の野生的な香り、肉厚に熟した果実の甘さ、満開の花の華やかさ――どう表現したものかと悩むほどだ。

「面白いだろ?あのキモチワルイ花を精油にすると、こぉんな風になるのさ。希釈には普通のオリーブ油しか使ってないのにね」
「ああ、驚いたな……」
「ブエェルウェチアが元気に生えてたのなんてずいぶん昔のことだから精製に手間取っちゃった。森から持ち出した古い文献を漁ってようやくだよ。あの大きさでも精油にするとほんのひと瓶にしかならないなんてね」

けれど精油は、希釈油にたった一滴混ぜるだけでこと足りるのだという。
原液は濃度が高すぎるので第一級危険品の劇物扱いだとサイラスが説明する。

「ということは、それはきみが作ったのか?」
「当然。アレの倒し方も扱い方も、ここで知ってるのはオレだけだよ?ま、古代研究って名目でね」

サイラスが瓶を軽く揺らすと新たな香りが再び広がった。元からあった本の匂いすら打ち消されてしまう。その香りに肩の力が抜け、気持ちが和らいでゆく。

「――ねぇエリオット、あの『花』が根絶した理由は何だと思う?」
「それは……あれほど厄介で危険な魔物だ、野放しにしておけないだろう」
「違うね。乱獲だよ」

正反対の回答にエリオットは瞠目した。
あの異様で不気味な魔物をこぞって捕獲したという先人の気が知れない。しかしそれにはちゃんとした理由があった。

「あんなにでっかくて虫が涌いてキモチワルイ花だけど、精油にするとアラ不思議!香水として使えば得も言われぬ芳香を放ち、肌に塗れば瑞々しい張りと若さを保つんだな、これが!」
「…………」
「もっと言うなら狩猟者の仕事にも大いに役立つよ。精油の香りは一定の魔獣や魔物なら嫌って避けるし、どんな古傷も綺麗に治る。貴重にして希少。だからその精油は最高級品として莫大な値がついて、哀れなブエェルウェチアは乱獲され根絶しましたとさ」

食人虫を孕む魔花など一歩間違えばこちらが食われる側だというのに『哀れ』とは、サイラスの感覚はおそろしく歪んでいる。

「てなわけでェ、稀なる精油は皇帝陛下ならびにプリエンテ公爵家に献上するためのものだけど、これはそのお裾分けね。少ないけど」
「そんな大層なものを何故僕に?」
「お詫び……ってとこかな」

サイラスは精油を少し掌に出し、それをするすると自身の腕に塗り付けた。
彼の体温に馴染むとまた違った魅惑的な香りがした。もともと美しい肌ではあるが塗った箇所がみるみる艶めきはじめる。

「ほら、この通り品質は保証済み。エリオット、鍛錬場で『虫』にやられて怪我しただろ?これを傷跡に塗れば数日ですっかり消えるよ」
「いや……傷くらいどうってことはないんだが」
「分かってないな〜。魔物に付けられた傷なんてこの先どんな風に影響が出るか予想できないんだから、治せるときに治しておくんだよ」

魔物や魔獣と何度も戦っているジンイェンも同じことを心配していた。
軽佻浮薄に見えてもサイラスは宮廷魔法使の副旅団長だ。これで貸し借りを個人的に清算するつもりなのだろう、そう思えば差し出された硝子瓶を受け取ることに躊躇いはなかった。
瓶がエリオットの手の中に移ったのを見て、サイラスの口角がニィーッと持ち上がった。悪戯を思いついた子供のような表情だ。

「……実はその精油にはもうひとつ効能があってね」
「は?」
「性交時に覿面の効果を発揮するんだよ」

予想外の言葉でエリオットは咽た。
そんなエリオットの反応が可笑しくてたまらないサイラスは部屋中に響く大声で笑った。

「昔は魔術交合にも使われたくらいだから、儀式用としても優れもの!芳香に体は蕩け、心はより開放的に、ひとたび塗れば萎えず乾かず、今までにない愉悦を得られるだろう!」
「サ、サイラス!」
「……と、文献には書き記されてるわけ。これが乱獲の一番の理由かもね〜?」
「ま、まさかそんな下世話な……」
「俗だろうと性は所詮ヒトの本質だろ?おかしくないと思うケドね。まァなんでもいいけど、それ、コイビトとの夜の営みに使ってごらんよ。古代研究に興味があるなら体験してみるのも手だよ。なにしろめったに手に入らない代物だからね!」

どうということもない硝子瓶が急に熱を持ちはじめた気がしてきて、エリオットは慌ててローブのポケットの中に隠した。
本当に、サイラスという男は人をからかうことに長けている。狼狽すればするほど彼を喜ばせるだけだというのに、不意打ちの猥談にエリオットは顔のみならず耳や首まで真っ赤に染まった。


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