プリエンテ


翌日、教師役を務めるためエリオットは宮殿へと赴いた。慣れというのはおそろしいもので、訪れるたびに胃が痛くなっていたこの場にもはや馴染みつつある。
決まった部屋と廊下を行き来するだけでそれほど人と会わないおかげというのもあるが。
二時間と三十分、座学と魔術実践の講義をきっちりとこなしたあと、ホライナス指導長が待つ客間に戻った。
ところがホライナスはそこにおらず、代わりに見たことのない人物が部屋の中央に佇んでいた。

顎鬚を蓄え、がっしりとした体躯の鋭い目つきの壮年男性で、黒の兵服に銀のサーベル、赤いマントを纏った近衛兵だ。
皇族周りを護衛する近衛兵は衛兵の中でも最精鋭の武人である。
記憶を浚ってみてもその人物に思い当たる節はない。しかし兵服の腕に縫い込まれている刺繍を見たエリオットは息を呑んだ。
ハヤブサとラッパスイセンを象っている――それは、プリエンテ公爵家の紋だ。
衛兵連隊は組織的に見れば宮廷魔法使の下に位置するが、帝国の中枢を担う公爵家直属の近衛兵ともなればただの護衛とはわけがちがう。エリオットは心持ち背筋を伸ばした。
男はそんなエリオットに対し、恭しくお辞儀をした。

「お待ち申しておりました、ヴィレノー准教授。私は近衛連隊所属、ジェイロズと申します。プリエンテからの招待により、貴殿をお迎えに上がりました」
「……失礼ですが、私は本日、そちらとのお約束はなかったと記憶しております。伝達の行き違いでもあったのでしょうか」
「いいえ。事前の通達なくこの場におりますご無礼をお許しいただきたい。当方の主人が、貴殿にお話がある、とのことです」
「話……?」

まるで見当がつかずエリオットは困惑した。
先日、プリエンテ夫人の茶会に招待された際に何か無礼を働いてしまったのかと心配になった。しかし、それならばわざわざ屋敷に招くことなどせず宮廷魔法使機関へと処断が通達されるはずだ。
ホライナスがいなくなっていることから、あまり公にしたくないような類の話なのだろう。

「それは私的なものでしょうか?私は現在、イジュ・ティナード旅団長預かりの身です。どちらにせよ、旅団長に所在を明らかにしておかなければならないのですが……」
「もちろん、旅団長閣下には准教授殿のお時間を拝借する旨をすでに伝えてあります」

なんともぬかりのないことだ。となれば、彼に付き従うほかない。
エリオットはジェイロズ近衛兵の案内で、もう来ることもないだろうと思っていたプリエンテ家の敷地に再び踏み入ることになった。
先日と同じく軽装馬車に乗り、屋敷前に到着した。今度は庭へは行かず直接屋内へと促された。
内観は外観と違わず重厚かつ荘厳な造りで、ひんやりと涼しく、どこか聖堂のような静謐さも感じられた。柱や階段の手すりの彫刻に至るまで精密で凝った造りをしている。

ジェイロズはエリオットを使用人に引き渡すと一礼して姿を消した。
緊張の面持ちで案内されるまま廊下を歩く。階段を登り、開けたドアは応接間にしてはずいぶんと奥の間だった。
余計な飾りのない内装の部屋だったが中は明るく、客間のひとつのようであった。しかしプライベート空間であることには違いない。
テーブルセットの椅子に掛けるエリオットを見届けた使用人は、静かに部屋から出て行った。
そのまま待たされること数十分、ジェイロズ近衛兵を伴った女主人が姿を現した。プリエンテ夫人だ。
エリオットが立ち上がってお辞儀をすると、夫人は扇で口元を隠しながら機嫌良くころころと笑った。

「急な呼び立てでごめんなさいね、先生」
「いいえ、私に何かお話があると伺って参りましたが……」
「ええ、ええ、そうですのよ。さ、まずはお茶をいかが?先日は味わう暇もなかったでしょう」

茶会のことを言っているのだろう。あの後味悪い終わりをまるでなかったことのように言っている夫人に違和感を覚えたが、エリオットは頷いた。
二人がテーブルについて間もなく、先程の使用人がティーセットと菓子を運んできた。
勧められるがままに淹れたての茶を口にする。馥郁たる香りの茶はまろやかな味で、澄んだ赤色をしていた。茶葉も淹れ方もこだわり抜いた一品であることは確かだ。
茶を味わうエリオットを見て瞳を細めた夫人は品良く扇を仰いだ。

「どうかしら、当家独自に作らせたお茶ですのよ」
「大変美味です。……それで、話というのは――」
「ふふ、殿方はせっかちでいけませんわね。まあ良いでしょう。先生にひとつ『お願い』がありますのよ」
「お願い……ですか」

あまり良い予感がせず、エリオットは内心訝しんだ。
なにしろ公爵家とは縁もゆかりもない子爵家の子息のうえ一介の准教授で、さらに夫人とは先日会ったばかりなのだ。身分差だけ見ても開きすぎている、そんな自分に『お願い』などとは、厄介事のにおいしかしない。
眉の一つでも顰めたかったが、それをすることすらこの場では命取りだ。どうぞ何でも仰ってくださいと、そういった態度でいなければならない。

「お願いというよりは、お務めの申し入れと言ったほうが良いかしら」
「詳しく伺っても?」
「――実はあなたに、私の娘、セリーナの教師役をお任せしたいのですよ」

セリーナ・プリエンテ、それは夫人の末娘の名だ。茶会で一度顔を合わせたが、それきりである。

「教師役……?セリーナ様のお年ならば学園生か、あるいは専属の教師がついておられるのでは?」
「ええ、セラは女学校に通っていたのだけれど……病を患ってからは休学しているのよ。それで、ブノワが休学中の勉学を見ていてくれたの。けれど、あの子も療養中でしょう?」

その穴埋めが、エリオットに回ってきたらしい。
それにしても不自然な話ではあった。正式な宮廷勤めをしていないエリオットには本来ならば任される仕事ではない。
対外的に見れば、皇子皇女の件に倣いブノワ青年の仕事をエリオットが代理として一手に引き受けるという見方なのだろうが。
扇を半分閉じて口元に当てた夫人が、内緒話でもするかのように声を潜めた。

「こう、少々言い難いことですけれどね……宮廷魔法使というのは私、鼻持ちならない方々だと感じているのよ。少しだけね」
「…………」
「その点、ヴィレノー先生はきちんとした、立派な教育者だと伺ってますわ。それに、邪竜を打ち負かすほど腕の立つお方ですもの。大切な娘をお任せするのに、これほど頼りがいのある殿方はなかなかおりませんでしょう?」

万が一、何かの過ちがあればフェノーザ校を巻き込んだ問題になると言外に圧力がかけられ、エリオットは身震いした。
そのうえこちらの自尊心までくすぐってくるのだから甘言の巧みさはさすがといったところか。
生真面目ではあるがそれを丸呑みできるほど純真でもない、そういったエリオットの性質も夫人は見抜いた上なのだろう。

「ですが、そのような大事なお役目、私の一存でお返事できるような事柄では……」
「ふふ、お願いとはいっても、私の口から本人のお耳に入れておきたかっただけですのよ」

つまりは承諾も拒否も必要ないということだ。あらかじめ『決まったこと』らしい。公爵家の決定だ、エリオットには従うことしか許されない。

「――畏まりました。精一杯務めさせていただきます」

プリエンテ夫人は、エリオットの従順な返事に満足げな笑みを浮かべた。


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