5


しばらく説明や談笑をしていたジンイェンはその役目を中年男性に譲り、フゥがしていたものと同じ型の挨拶をして退いた。
彼が軽やかな足取りで人々の間を縫い、やがて目の前まで来ると、エリオットはなんとも複雑な思いでその顔を見た。

「お待たせ。ついて来て、こっち」

無言で頷きジンイェンのあとをついてゆく。
奥まった階段を上ると一階の広間の喧騒とは一転してしんとした廊下があった。案内されるままにその先の小部屋に入る。
部屋の中には備え付けの棚とテーブルセットが置かれていた。陽当たりが悪く薄暗いが休憩室のようだ。

「――で、兄貴に何言われたの?」

戸を閉めた瞬間ジンイェンに前置きなしに切り出され、エリオットは言葉に詰まった。

「何って……」
「見えてたからね、アンタが兄貴と話してるとこ」
「…………」
「なんか嫌味でも言われたんでしょ?顔に出てる」

そう言ったジンイェンまで不機嫌そうな渋面だ。
エリオットは先ほどまでのやりとりを思い返して、石でも乗せられたかのように胸が重くなった。極力いつも通りにしていようと思っていたはずが、やはり敏い恋人には隠し通せないようだ。
ほんの少しの会話だった。それだけなのに、あれほど明るかった気持ちはあっという間に沈んでしまったのだ。

「……きみからもらったこの紐飾りのことで、少し」
「え?ああ、それのこと?つーかただの変な難癖でしょ。クッソ、あいつマジで頭来る!」

ジンイェンは軽く舌打ちをしてエリオットを引き寄せた。
宥めるように肩を撫でられたエリオットは、その心地良い体温に安堵しながら恋人に擦り寄った。

「あのね、兄貴に何言われても気にしなくていいから。どっちかっつーと、あいつは俺に嫌がらせしたいだけ。イヤな思いさせてごめん」
「きみが謝ることはない。だが……あの、僕のほうもきみの兄上に対して礼を欠いた態度をとってしまったから……」

エリオットが先ほどのやりとりを隠さずに伝えるとジンイェンは目を丸くした。そしてこらえきれなくなったように盛大に吹き出し、部屋中に響く大声で笑った。

「はははっ!あの兄貴に喧嘩売るなんて、さっすが俺のエリオット!!」
「その……少し腹が立ったとはいえ浅慮なことを……。彼にも命知らずだと言われたよ」
「大人気ないことしてんのはあいつのほうだって。大丈夫、あいつにはこれ以上アンタにちょっかい出さないよう言っとくから。――それで、お守りのこと?なんか気にしちゃった?」

頬を両手で優しく包まれながら灰色の瞳にじっと見つめられ、エリオットは胸中のざわつきが凪いでいくのを感じた。

「……きみからの贈り物が嬉しかったのに、その意味まで考えられなかった自分が不甲斐なくてな。きみの国の文化に疎いせいで、鈍くてすまない……」
「うーん……あのさ、赤の贈り物が特別だとかなんだとか、兄貴は大げさに言っただけだよ?や、俺もそういう意味を込めなかったわけじゃないんだけど――」

一度言葉を切って、ジンイェンは決まり悪そうに苦笑した。

「……なんていうか、恥ずかしいんだよね」
「恥ずかしい?」
「そ。俺がヒノンにいたのって子供の頃だしこっちでの生活が長いから、あっちの風習は昔の思い出をなぞるみたいですげーガキっぽいっていうか……照れ臭くてさ。それに、こんな意味があるんだよーなんていちいち口にするのも押し付けがましくてイヤだったし、言う必要ないと思ってたの」
「ジン……」
「それより、そんなこと知らなくてもエリオットが喜んでくれたってほうが俺には大事」

言いながらこめかみに口付けられてエリオットは頬を染めた。ジンイェンの愛情深さに改めて気付かされ、同時に細かいことを気にしていじけた己の狭量さが気恥ずかしい。

「結び方もね、俺が知ってる中で一番ほどけにくい型にしただけ。見た目も映えるし好きなんだ。あー……でも、これ知ってる同業に目ぇつけられちゃうかな。違う型に結び直す?」
「いや、このままがいい」

そうしてしまったらフゥの思惑にまんまと嵌まるようで癪に障る。そしてそれ以上に、まじないが解けてしまいそうな気がして、それだけは避けたかった。
エリオットのそんな気概溢れる返答に目を細めたジンイェンは、自分の腰に巻かれている帯をおもむろに探った。
しゃらりとかすかな鎖の音を立てて帯の中から取り出したのは、エリオットから贈られた懐中時計だった。

「俺もね、エリオットからもらった時計、ずっと持ち歩いてるよ」

見慣れた時計を目にしてエリオットは安心感を覚えた。
かつて自分の持ち物だったそれは、もうジンイェンの手によく馴染んでいるように思える。まめまめしく手先の器用な彼のこと、手入れも怠っていないようだ。
本来ならば釦穴に鎖を通して携帯するものだが彼の衣服には釦がないので、滑り落ちないよう帯にうまく巻きつけている。

「丁寧に使い込まれてる感じとか、内蓋に彫られてる名前とか……見ればエリオットが大切にしてたものだってわかる。そんな大事なものを、俺に託してくれたんだよね?」
「ああ、そうだ」
「だからね、意味とかわざわざ言葉にしなくてもいいんだよ。アンタのその気持ちが嬉しいから、俺はそれだけでいい」
「……そうか」

思い返してみればエリオットもそれだけで良かったのだ。他人の口から伝えられたのは口惜しいが、裏に込められた意味を知らなくとも十分に心は満たされていたのだから。

じんわりと胸に染み入るものがあり晴れやかな気持ちになる。するとジンイェンの鼻先が甘えるように頬に触れてきたのでエリオットは軽く唇を啄ばんだ。
軽い口付けで終いのつもりで名残惜しいながらも唇を離したはずが、エリオットの体はじりじりと壁際に追い詰められた。

「……ジン?」
「俺ほんと、エリオットのこと好きだよ」
「……あ……」

ジンイェンに背中から腰を撫でられ、ぞくりと官能が体中を駆け巡る。昨夜、恋人と存分に愛し合った身体は未だ敏感になっていた。
肩を震わせながら艶めいた声を上げたエリオットにジンイェンも喉を鳴らした。あれだけ情熱的に何度も肌を重ねたというのに、愛しい人を前にすれば情欲は尽きることがない。

「んー……ここだとやらしーことできないんだよねぇ」
「ジ、ン……」

そのつもりではないと言いつつジンイェンの手がローブを潜り抜けて服の中に入ってきたので、エリオットはたまらずに甘い吐息を漏らした。
首筋に薄い唇が滑り、場所を変えて何度もキスをする。その愛撫に似たじゃれつきに甘い震えが全身に走った。
エリオットもジンイェンの腰に手を回してさらに引き寄せ、耳元に口付けた。そうしてどちらともなく下半身を擦り合わせる。
布に隔たれていながらそれは擬似的な愛の交歓のようで、戯れつつも二人は呼吸を乱した。

「あ、ジン……あ、ぁ」
「ん……やっぱ昨夜やりすぎた?アンタずっとだるそうにしてるし……だけどすげー色っぽい……」
「きみは、ぁ、よくそんなに普段通りに動けるな……」
「普段通りなんかじゃないって。朝こっちに戻ってから、兄貴に説教食らったくらいだし、ん」

囁きながら唇を重ねる。舌先を触れ合わせるだけで痺れるほどの快感にたちまち支配された。
高まりはじめている熱を恋人と分かち合いたい――エリオットが時と場所も忘れてもっと濃密な愛撫をねだろうとしたそのとき、ジンイェンの体がパッと離れた。

「残念、誰か来ちゃった」
「えっ?あ、そ、そうか……」

彼の耳が何者かの気配を捉えたらしい。エリオットは行為に没頭してしまったことを恥じながら居住まいを正した。
ほんのりと赤く染まっている色気ある素肌を隠すためジンイェンがエリオットの乱れた襟元を直す。エリオットも彼の開きかけた衣服の胸元を閉じた。

呼吸を整えたそのタイミングで戸がノックされた。
ジンイェンが応えると、茶器を乗せた盆を持った青年が室内に入ってきた。
さらに、華やかで妖艶な装いの人物もそれに続いた。女性の着物を纏い、赤い花の髪飾りをしている。それは、先刻広間で見た『姉妹』のうちの『姉』のほうだった。

名前はなんといっただろうかとエリオットが考えていると、ジンイェンは二人と母国語でやりとりをはじめた。
さっきはひと言も喋らなかった『姉』だったが、ジンイェンとは憚ることなく話をしている。男とも女ともつかないような柔らかく不思議な声音だ。
ジンイェンは額に手を当てながら呆れたような言葉を吐き出した。そしてエリオットを振り返り、長い溜め息を漏らした。

「ごめん……兄貴が余計な気ぃ回して、客人――アンタをもてなせって指示したみたい」
「彼が?」
「あとね、ちょっと俺、この人のこと宮殿に送ってこなきゃ」

『姉』――ジュランは『妹』とともに人気役者であるがために、この離宮ではなく宮殿に部屋が用意されているとのことだ。
世話役がついていて本来ならばそちらが宮殿までついて行く手はずなのだが、姿が見えないのだという。

「すぐ戻ってくるから、ここでちょっと待っててくれる?」
「……いや、そういうことなら僕もそろそろ戻る」

あれこれと忙しそうにしているジンイェンの仕事の妨げになってしまいそうで、エリオットは自ら断った。
それにまたもやフゥの差し金で邪魔が入ったかと思うと、給仕の青年には申し訳ないがその茶も素直に飲めそうになかった。

「仕事中すまなかったな。また来る」
「結局ゆっくりできなくてごめんね。じゃあ、一緒にここ出よ」
「ああ」

ジュランを連れて裏口から出ると、送迎のための軽装馬車が待ち構えていた。
エリオットがそれに乗り込む二人を見ていたら、馬車が動き出した途端、煉瓦の段差を踏んでがくんと車体が揺れた。
驚いたらしく淑やかな仕草でジュランがジンイェンに縋りつく。ジンイェンはからかうように笑いながら、それを軽々と受け止めた。

仲睦まじく見えるその様子を見ていたらジンイェンが手を振ったので、エリオットは慌てて応えた。
そうしつつも、再びすっきりしない心持ちで去りゆく馬車を見送ったのだった。


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