3


離宮の中はざわざわとしていた。
建物に入ってすぐの一階部分は広間になっており、壁際には劇の道具類と思しきものが並んでいる。
当然だろうが数人いる芸人達は化粧の類はしておらず、地味な色合いの質素な装束を纏っていた。まさに舞台裏といった様相でパレードのときのような華やかさは欠片もない。

広間を見回すと、中央部にひときわ賑わっている人々の群れがあった。
誘われるようにそちらへと近づくと聞き慣れた声が耳に届いた。朝方まで愛を囁き合った恋人のものに間違いない。

「まあ……では、男性ばかりだというのは本当のことですの?」
「ええ。私どもの劇団に女性は一人もおりません」

集っているのは時間の空いている宮廷魔法使や宮廷住みの女性たちのようだった。
宮廷人自らわざわざこの場所に赴くとは好奇心が勝った結果か、娯楽の少ない宮廷暮らしの話の種のためだろうか。
人垣の隙間から覗き込むと、思った通りそこには囲まれるようにしてジンイェンがおり、次々と降る質問に答えていた。

「それには何か理由が?」
「古来より我が国では、男性を陽の気、女性を陰の気とする思想がございます。まだ国としての統一がなされていなかった内戦時代、慶劇は戦場に赴く男達を鼓舞するものとして発祥いたしました。
 当時は役者も観客もすべて男性であり、陽の気で満たされた舞台は神聖なものとして女人の立ち入りを厳しく禁じました。その名残で未だ演者は男性のみという伝統なのでございます。
 安寧の世が訪れて久しい現在、観劇のほうは老若男女、全ての方々に楽しんでいただいております」

驚いたことに、ジンイェンの口からはいつもとは違った崩れのない言葉がすらすらと出てきた。
多少の市井訛りはあるものの、それすら愛嬌のように感じられた。

「けれど劇というからには様々な人物が登場するのでしょう?」
「おっしゃるとおりです。男性、女性、動植物が人となった者など多岐にわたります。空想上の人ならざる怪しげな存在を演じることも――」

言いながらジンイェンが怪しい笑みを浮かべると、一人の宮廷魔法使が面白がるように身を乗り出した。

「ははぁ、それは面白い趣向だな。男性が女性役も演じるのか」
「芸術は極めますれば何事も成し得ます。本物の女性より女性らしいと、倒錯の妙が大変な評判でございます」

ジンイェンの軽快さを含んだ口調に、女性達は気分を害するどころかくすくすと顔を寄せ合って楽しげに笑った。
話術の巧みさは彼の得意とするところだ。それに何度も翻弄された覚えのあるエリオットが改めて感心していると、ふと、ジンイェンと視線が合った。
一瞬彼の表情が柔らかくなったが、うしろから他の劇団員に何事かを囁かれて短く言葉を交わした。

「噂をすれば。我が劇団の名物姉妹をご紹介いたしましょう」

ジンイェンがそう言うと二人の女性が広間に姿を現した。否、正しくは女性に扮した男性だ。
けれど装いといい楚々とした仕草といい、どこからどう見ても女性にしか見えなかった。
女性特有のふくよかさはないが、長く艶やかな黒髪を美しく結い上げ、紅を引いた唇などを見る限りとても男性だとは思えない。

「こちらの赤い花の髪飾りをつけているのは『姉』のジュラン、青い花の髪飾りは『妹』のシャオディエでございます」

二人がたおやかに袖に隠れた両手を合わせながら膝を折る。
劇の役には姉妹や義姉妹といったものがあり、彼らはそれらを主に担当しているらしい。美貌も演技の巧さも国内随一で相当な人気役者なのだという。
しかし彼らは紹介のあと一言も発することなく、すぐに奥の間に引っ込んでしまった。
惜しむ声が上がったがジンイェンが笑顔で「まあまあ」と場を宥める。

「花は喋らぬものと決まっております。『姉妹』の艶姿はどうぞ舞台の上にてご堪能ください。――ですが、これから曲芸など披露いたしましょう」

ジンイェンが近くにいた二人組の役者に声をかけると、彼らは軽業芸を始めた。派手な動きにわっと歓声が上がる。
人々の目がそちらに向いているうちにジンイェンが小さく手招きをしたのが見えて、エリオットは人の輪を抜けた。

恋人の姿が広間の隅にある衝立の影に隠れたのでそれに従う。
衝立の裏にはテーブルなどが置いてあり簡易的な控えの間になっていた。
ジンイェンは陶器製のポットから冷えた茶を椀に注ぎ、一気に飲み干した。

「……あーっ、ヤバイ!喉痛い!もー朝から何度も同じ説明ばっかで舌がもつれそう!」
「なかなかの通訳振りじゃないか。正直に言って、あれほどだとは思わなかった」
「はは、兄貴に習いながらすっげー練習したからね。どう、惚れ直した?」
「まあな」

エリオットがすんなりと頷くとジンイェンの目尻が下がった。そんな彼に杖を持った手を優しく撫でられて、エリオットはくすぐったい気持ちになった。

「待ってたよ、エリオット。あのあとちゃんと休めた?」
「ああ、その……寝坊をしてしまったくらいだ。それより、きみ、こっちに抜けてきて良かったのか?」
「いーのいーの。あらかじめそういう段取りになってるから。ま、ちょっとしたサービスってやつだよ」

ただ劇を披露するだけではなく、余った時間などはああして宮廷人を楽しませるのも芸人の仕事のうちなのだ。
あまり触れる機会の少ないヒノン国の文化ともなれば彼らも大いに興味を惹かれるようで、朝から同じことを繰り返しているのだという。
明日からは庭園の広場でもう少し大掛かりな曲芸を見せる予定だと、ジンイェンの説明を聞いてエリオットは目を瞠った。

「それは大変だな。気の休まる暇がないだろ」
「別に平気だよ。だけど、そういうわけだからそっちにはそう頻繁に行けないと思うけど……」

それでも同じ敷地内に恋人がいると思えば、エリオットの気持ちは浮ついた。

「僕のほうから会いに来るよ。どうせ午後は空いてるからな」
「そう?じゃあ来たら声かけて。絶対ね」

そう言って、ジンイェンはエリオットの唇の端に素早く口付けた。
いくらこの場所に二人だけだからといって衝立の向こうには大勢の人がいる。大胆なことをする恋人に呆れもしたが内心満更でもなく、エリオットは小さく唸るだけに留まった。

「……っと、もうそろそろ戻らなきゃ。アンタはまだいるよね?」
「ああ。今日の予定はここで過ごすことになってるんだ。初めて見るものばかりだし、僕もじっくり見物したい」
「もーちょっとしたらもう一人の通訳と交代だから、そしたらゆっくり話そ」
「わかった」

二人は軽い抱擁を交わして、ほんのわずかな時間、頬を擦り合わせた。


prev / next

←back


×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -