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恋人のそんな何とも言えない表情を見て取ったジンイェンは、笑いながらエリオットを軽く抱き締めた。
ゆるい抱擁を受け、エリオットは彼の肩に頬を寄せた。そして嗅いだことのない匂いにふと気が付く。
劇で使う白粉や、衣装の防虫香の香りだろうか――馴染みのある爽やかな薄荷の匂いと異なる怪しげな甘い香りに眩暈がして、ジンイェンがまるで別人のように感じた。

「まぁほら、侵入じゃなくて正面から堂々と来たんだからいいでしょ?」
「でも……劇団だろう?きみ、芸なんてできるのか?」
「そっちはそこそこね。どっちかっていうと通訳兼護衛って形で劇団に入ってんの。オルキア語を読み書きできるヒノン人って実は結構少ないんだよ。閉鎖的な土地柄だからしょうがないけど」
「きみから手紙を受け取ったのは半月前くらいだったよな。そんな急に増員できるものなのか?」

ジンイェンは、はぁ、と溜め息を吐いてエリオットを強く抱きしめた。

「それなんだよね。言うとおり宮廷に招かれる劇団ってさ、一人一人が事前に届出されてんの。だからちょっとだけ、コネ使っちゃった」
「コネ?そんな大層な伝手があるのか?」
「んー……これ言っちゃっていいかなー……まあいっか。あいつには恨みもあるし。ほら、フゥって覚えてる?俺の兄貴」

忘れられるわけがない。よりによって情事の最中に乱入された時のことだ。真っ白な仮面を付けた奇妙な男。
あのときの羞恥ややるせなさを思い出してエリオットの表情が歪んだ。

「覚えてるが……」
「実は兄貴がさ、通訳としてココ来てんの。パレードとは別の、荷物と一緒の隊でね」
「なんだって!?だって彼は――」

続きを言おうとしてジンイェンの手で口を塞がれる。
ジンイェンの兄というフゥはリーホァン一家の盗賊の一人で、ヒノンの国長お抱えの暗者だという話だ。
暗者の仕事には暗殺といった闇の部分も含まれる。エリオットはその最悪の事態を想像して冷たいものが走った。

「大丈夫、今回のは普通の偵察。つか、もし帝国に変なことして不利になるのはヒノンのほうだから。今マジで、上の内情ゴタゴタしてるらしいからね」
「そ、そうなのか……」
「兄貴、本業は特殊だけどあれでも宮中の人間だから上流階級の言葉も作法も完璧なんだよ。俺は役割的にその補助ってとこかな?」

ジンイェンは前回フゥと会ったときにこの仕事について聞いていたのだという。
エリオットからの手紙を読んで本格的に長期滞在になりそうな予感がしたので、近くの街に来ていたフゥと合流した。このあたりはリーホァン一家独自の連絡手段があるそうで難しくはなかったそうだ。
宮廷に行ったことで随分と消沈している様子のエリオットを放っておけなかったことと、フゥとももう一度話をしておきたかったこともあり、ジンイェンは劇団員の一員として潜り込んだのだ。

そうなると形だけでも芸ができなければならないので、宿を引き払ったあとは泊まり込みで毎日芸事の訓練と、フゥから上流階級の言葉や作法の手ほどきなどを受けることになった。
言葉などに関してはジンイェンも一応上流階級出身ではあるし、生粋のオルキア貴族であるエリオットと暮らしていた下地があるので、それほど苦労はしなかったようだ。
劇は立ち回りをする端役を担い、こちらも狩猟者として日々鍛え上げているジンイェンにとっては造作もないことだった。ただし、他の劇団員と呼吸を合わせて演じるというのが非常に難しかったそうだ。

「さっきも言ったけど、あらかじめ劇団員の届出はしてあるから一人代わってもらっちゃったわけ。だから俺、劇団ではリャンってことになってるからよろしくね」
「国外で演じる機会なんてそうないだろう。その……代わってもらった団員は大丈夫だったのか?」
「フゥが報酬として結構な金額渡してたし平気だと思うよ。郷に病気の母親がいるんだってさ。本物のリャンとはかなり年離れてるけど、ま、端役の一人くらい気にしないでしょ」

聞いてみればリャンは16の少年だという話だ。
さすがに年齢を詐称しすぎだとエリオットは笑ったが『外国人だから』でジンイェンは何とでも押し通すつもりのようだ。そもそもいち芸人の年齢など誰も気にも留めないだろう。

「てかさ、エリオットのほうはどうなの?新しい仕事って何?」
「ああ、そういえば僕も手紙では詳しく書けなかったな。それが、とんでもないことになったんだ……」

少し迷ったが、エリオットは皇子、皇女の教師役に就いていることを告げた。どのみち宮廷内では広く知られていることだ。

「うっわ、なにそれ!マジでアンタすごいね。なんでそんなことになっちゃったの?」
「……他言無用ということにはなってるんだが、実は、皇女殿下と色々とあって」

ジンイェンには他では言えなかった詳細を伝えた。ジンイェン、グランと街で会ったその日の夜にあった出来事とその後の流れを。
こういうとき住む世界の違う恋人の存在はありがたいと思った。もちろん彼を信用しているがゆえに安心して話せるということもあるが、生業を異とする相手には言い難いことでも素直に打ち明けられる。
全てを聞き終えたジンイェンは難しい表情で唸った。

「へえ、そうだったんだ……。なんかそれって、完全に宮廷人になっちゃってない?」
「端から見ればそれも否めないが、師団長がこちらに帰ってくれば僕も役目を終えられるから」
「ていうか――」

ジンイェンはゆるく抱いていたエリオットの体を離して首を傾げた。

「古代の魔物ねぇ?ブエー……なんだっけ、そんなの俺も聞いたことない。エリオット、大丈夫だったの?怪我とかは?」
「ああ、少しやられたが別にたいしたことはない」
「見せて」

そう言われてエリオットは躊躇った。


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