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『レオン・ジフリード』――。興奮した早口のため一瞬聞き逃しそうになったが、エリオットはその題名に覚えがあった。
以前、国立図書館の職員から借りたことがある巷で人気の空想小説だ。
内容は、狩猟者の主人公・レオンがメルスタン王国を中心に大陸中で冒険と恋愛劇を繰り広げるという、娯楽性の強い物語である。
皇女がそういった本を好んでいることを意外にも思ったが、俗世間と思想が乖離してしまわないよう教育の一環として取り入れられているとも考えられる。
そう胸の内で納得したエリオットに、リアレアが今にも飛びつかんばかりにぴょんぴょんとかかとを跳ねさせながら訊いた。

「ねえ先生は読んだことがある!?」
「はい、少しだけ。ですがその……リュシアン様というのは?私はその登場人物の名に記憶がありません」
「ああっ……まさか先生が知らないなんて!あのね、リュシアン様は五巻から登場するメルスタン王宮付きの一級魔道師なの!栗色の髪と淡い色の瞳の美麗な青年で、一見冷たく見えるけれどとても高潔で心根の優しい方よ!
 自由都市アルトニースでレオンと出会うのだけど、敵陣の姫と密かに想い合っていたところを六巻で悲しい別れをしてしまうの!
 そのときの事件でレオンと熱い友情を結び、仲間として一緒に冒険するようになるのよ!愛を失った悲しみを表に出さず、仲間を裏切ると見せかけその実、誰よりも皆との友情を大切にしていて、そこで明かされたエーデニア公の隠し子だという真実――」
「…………」

口を挟む隙もない。
大げさな身振り手振りを加えて滔々と熱弁をふるうリアレアに、この場の誰もが閉口した。
そしてそのような華美な人物と重ねられたエリオットは思考が追いつかず、ただ唖然とした。隣でホライナスがもごもごと「姫様はまたあのような下劣な俗本を読んで……」と一人でぼやいている。

「はぁ、なんて素敵なのかしら……。先生を一目見たとき、まさにリュシアン様だわって思ったの!たとえ本の世界から抜け出てきたと言われても、私、何の疑いもなく信じてしまうわ!
 少し残念なのは髪の長さね。リュシアン様が腰まで届く長い髪をさらりとなびかせて炎の魔法を行使する場面は、頁がボロボロになるくらい何度も読んでるのよ!」
「……殿下のご期待に沿えず心苦しいのですが、私は物語のような立派な人物では……」
「いいえっ!この前、私とブノワを救ってくださった先生は、本当にリュシアン様そのものだったわ!」

もはやエリオットが何を言っても無駄なのだろう。
リュシアン様なる人物がどれほど素晴らしい青年かは知らないが、夢見がちな少女の過度な期待をかけられても戸惑うばかりだ。
暴走を始めた愛娘を前にやや困り顔になった皇妃は、早言が途切れた隙間に割り込んでそれを止めさせた。

「そこまでにしなさいな、リアレア。その話を聞いているうちに日が暮れてしまうわ。あなたの落ち着きのなさは本当に昔のお父様にそっくりね。
 ――おてんばでびっくりしたでしょう?ヴィレノー先生」
「いえ、そのお年の頃は溌剌としていることが一番でございますから」

エリオットがそつなくそう答えると、皇妃はますます可笑しそうに笑った。

「さあリアレア、シルファン、先生にご挨拶を忘れているわよ」
「あっ……ごめんなさい!」

皇妃に注意され、二人の子どもはエリオットに向き直った。
リアレアはドレスの裾を持ち上げて膝を折り、シルファンも体に手を添えて同時にきちんとお辞儀をした。

「私は、リアレア二世・エレオノ・アエテルヌムです」
「僕は、シルファン三世・エレオノ・サエキュラです」

皇族に姓はない。かわりに二人は先々帝である曽祖父の名を持っている。末は祝福の文言で飾るのがオルキア皇族の伝統だ。どちらも始祖種族の古い言葉で『永遠・悠久』を意味する。

「不肖ながらお二方の教師役を勤めさせていただきますので、どうぞ、よろしくお願いいたします」
「はい、先生!」
「おっ……お願い、します……」

元気に答えたリアレアと、控えめに目線を下げたシルファン。
エリオットは、突然舞い込んできた殿下の教師役という重責に大きな不安を抱えながらも、自分にとって決して悪い経験にはならないだろうという確たる予感があった。


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