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再三の注意と作法の見直しをし、離宮内で昼食をとったあとにホライナスがこともなげに告げた。

「では、ヴィレノー教授。本日から業務に当たっていただきたい」
「はい。指導長」
「とはいえ今日のところは顔見せだけですからな。殿下方に失礼のないように」

ついにこのときがきたかとエリオットは背筋が冷たくなる思いだった。
ホライナスは重そうに腰を上げ、杖立てから自身の杖を取った。良く使い込まれ、いかにも彼の手に馴染んでいるようなつるりとした光沢のある黒い長杖だ。
エリオットの杖は修繕のため未だ杖屋に預けたままなので無作法を承知で手ぶらで行くしかない。
教師ということならば必ずしも帯杖していなくとも良いと、ティナードに前もって聞いていたのは幸いだ。
こつこつ、とホライナスが杖で部屋の壁を叩く。そうすると空間転移魔法陣がそこに一瞬で描かれた。

「ついて来なさい」

魔法陣をくぐった先は薄暗い部屋だった。無人ではあるが、雰囲気や調度品の配置からして控えの間だろう。
歴代皇帝の絵画が飾られているところを見るともうすでにここは宮殿内なのだと知れた。
ホライナスの転移魔法陣は直接宮殿に繋がっているらしい。つまり彼はそれを許されるほどの人物だということだ。エリオットは目の前の存在に畏怖の念を抱いた。

ホライナスが杖先でドアを三度叩くと重厚な音をたててそれが開いた。扉を開けたのは先日鍛錬場の前で会った、褐色肌に白灰髪の老侍従だった。
彼は新顔のエリオットに対し未だ疑いの色はあるものの、先日よりは軟化した態度だった。

「またお会いしましたな、魔導士殿」
「その節は、事情を知らぬこととはいえ失礼しました」
「いいえ私めこそ、魔導士殿――ヴィレノー教授への無礼をお許しくだされ。ささ、こちらへ。殿下方がお待ちですぞ」

老侍従はホライナスとエリオットを少し離れた一室に案内した。
部屋の前には四人の衛兵と、二人の宮廷魔法使が立ちはだかっている。彼らは承知したように無言で扉を開けた。

「失礼いたす。指導長と教授殿をお連れしました」
「どうぞ、お入りなさい」

応えたのは柔らかで優しげな婦人の声だ。
テラスに繋がる窓は開け放されており、明るい陽の差す開放的で広い部屋だった。薄暗い控えの間からの光量の差で、エリオットは眩しさに目を細めた。
内部の装飾は少なく個人が趣味で集めたような小物が置いてあることから、身内のための私的な部屋のようだった。室内にも近衛兵と宮廷魔法使が数人控えている。

「まあまあ、よくいらしてくださったこと」

誰より早くそう声を上げたのは、赤みを帯びた金髪の背の高い女性だ。目尻の皺が深く魅力的な笑みを浮かべた婦人は、頬に小さなほくろがある。
黄金色の虹彩に弱い瞬きが見える。少しだけステラ族の血が入っているのだろう。

婦人を一目見たエリオットはその場で倒れそうになった。この女性は、覚えている肖像画の通りならば、皇帝の正妃――皇妃陛下だ。
エリオットはすぐに胸に手を当てて頭を垂れ、膝を折った。ホライナスも同様にしているが、この顔合わせをあらかじめ知っていたのならばなんとも意地が悪いことだ。

「話は聞いていますよ。さあ顔を上げて。フェノーザ魔術校のヴィレノー准教授でしたわね」
「御意にございます。このたびはお目にかかることが出来、大変光栄に存じます、陛下。エリオット・ノーザン・ヴィレノーと申します」
「あらまあ、そう肩肘張らなくても良いのですよ。わたくしは我が子の付き添いで母として同席しているだけですもの」

エリオットがそっと顔を上げると、皇妃は口元に指先をあてて少女のように微笑んでいた。
その傍らには、先日の簡素なローブとは似ても似つかぬドレス姿のリアレア皇女。そしてエリオットが初めて目にする緊張した表情のシルファン皇子がいた。

リアレアはエリオットと目が合うと興奮気味に皇妃のドレスを引っ張った。

「ねえ、ねえ!母様!言ったでしょう!本当にリュシアン様のイメージにぴったりなの!」
「ごめんなさいね、そう言われても母様は分からないのよ」
「ひどいわ母様!でもシルファンなら分かるわよね!」
「えっと、僕も、よ、よく、分かんない……」
「どうして誰も分かってくれないのかしら!んもう、ここに姉様がいてくれたら……っ」

小鳥がさえずるような声で言いながらシルファンが小さく首を横に振るのを見て、リアレアはその場で足踏みをする。
エリオットも彼女の言葉の意味を図りかねて眉を寄せた。
リアレアとは対照的に、皇妃はおっとりとした仕草で頬に手を添えて嘆息した。

「ヴィレノー先生、どうやらあなたは、リアレアの好きな娯楽本に登場する人物にそっくりなのだそうよ。この子ったらあなたと会った日からその話ばかりなの」
「……はい?」
「ええと、題名はなんと言ったかしら……」
「『レオン・ジフリード』よ、母様!」


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