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「ぐっ……!」
服の上からがぶりと齧られてエリオットは苦悶の声を上げた。
鉤爪状の肢が食い込んでいて振り払えず、咄嗟にローブを脱ぎ捨てる。
齧られた部分にじわりと血が滲んでいる。しかし痛みに悶えている猶予はない。ローブについた血を啜っている虫に向けて黒炎を容赦なく打ち込んだ。
エリオットは二人組のもとに走り寄るとともに、周囲の虫を一掃した。
「大丈夫か!?」
「あ……あぁあ……」
青年はピクピクと痙攣しながら地面に倒れこんでいる。そして傍らで震える子供の顔を覗き込んで、ひどく驚いた。
子供は褐色の肌をした十にも満たないような少女で、銀色混じりの濃い青の瞳を揺らしている。涙は流れていないが、庇護欲を誘う哀れな表情だった。
なぜこのような子供がこの場にいるのか疑問は尽きなかったが、再び毒液の雨が降ってきたことでそれは一時忘れることにした。
毒液は精霊王眷属の炎で蒸発したが、いつまでもこの場に負傷者と子供を置いておけない。エリオットは一瞬でそう判断し、青年の体を抱えあげた。
「ここから出よう」
「……っう、ん」
震えながらもしっかりと立ち上がった少女は青年を逆側から支え、エリオットとともに鍛錬場の出口であるアーチへと急いだ。
ほんの数十歩の距離が、ひどく遠く感じた。その間にも虫が群がってきたが、眷属がそのたびに燃やし尽くした。
炎の魔術はもともと得意ではあるが、異空間の影響か、通常の火魔法よりも威力が増しているようにエリオットは感じたのだった。
アーチを抜けて外界に出る頃には魔力が底をつき、精霊王魔術は消滅した。
安全と思われる場所まで移動したあと、エリオットは教師職の癖で少女に向かって労うように声をかけた。
「きみは、怪我は?」
「わ、私は平気よ……。でも、ブノワが……」
ブノワというのは毒を受けた青年の名前のようだ。
顔色が緑に変質し、唇が紫色をしている。毒を被ったと思しき頭部は髪が抜け落ちぶくぶくに腫れあがり、口の端から泡を噴いているところを見ると毒の症状は相当にひどい。
エリオットには医術の心得がないので急いで薬師に診せなければならない。
誰か人はいないかとあたりを見回すと、近くの東屋から人影が飛び出してきた。
これ幸いとその人物に救援を願い出ようとしたそのとき、人影――皺深い中年男性が慌てたように膝をついた。
「殿下!!ご無事ですか!?」
頭を垂れた中年男性の、その前には少女がいた。
「――ブノワが毒に侵されましたが、私の身には何事もありません。この青年が助けてくれたのです」
少女はもう震えていなかった。かわりに背筋を伸ばし、凛とした態度で男性の前に手を差し出した。
老男性はその手を恭しく取り、額に押し付けた。続けて男性がエリオットへと体を向ける。
「殿下をお護りくださったこと、感謝の言葉もございませぬ。魔導士殿」
「……殿下?」
「なんと、ご存知ではなかったと申されるか!この方は皇帝陛下のご息女、リアレア殿下であらせられますぞ!」
この場におられること、他言無用に願います――褐色肌に白灰髪の中年男性はぴしゃりと言い放ち、鋭い目つきでエリオットを牽制した。
第五章 END
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