戦いのあと


エリオットは崩れた黒竜の破片を踏みしめた。
精霊王の眷属を送還して、はぁ、はぁ、と荒く呼吸する。氷結魔法で冷えた空中に散る息は白い。
大魔術の反動で急激な眩暈と吐き気に襲われ、エリオットはその場で嘔吐した。
やはりまだ慣れていない術を使うのはリスクが大きすぎる。しかしこれくらいで済んで良かったともいえる。

周囲は耳鳴りがするほどしんとしていて、まるで嘘のような静けさだ。
そして我に返り周囲を見回す。ジンイェンが黒竜の尾に吹き飛ばされた方向を目で探した。

「ジン……!」

黒竜の破片を踏みしめながら走り出す。足を取られてなかなか前に進めない。
ザクザクと氷の地面を走ると壁に凭れかかるジンイェンの姿を見つけた。
その傍らには、錫杖を手に群青色の法衣を纏った神官の姿があった。――カルルだ。

「カ……カル、ル……」
「お疲れ」

ジンイェンを支えているカルルが目尻を下げる。
こめかみや唇の端から血を流すジンイェンに、エリオットは駆け寄って手を握った。

「ジン、は……」
「軽い火傷と、何本か骨イっちゃってたけど大丈夫。ぎりぎりでおれの防御術で覆ったし受身を上手く取ってたからね。幸い内臓に損傷はないから何時間か寝ればすぐ良くなるって」
「そゆこと。だから、そんな顔しないでよ、エリオット……」

カルルの端的な説明にジンイェンが口元を緩ませる。
そこでようやくエリオットは、戦闘の最中に己を硝子の破片から守ってくれた不思議な光の正体を知った。カルルの神聖術だったのだ。
それでもなおも心配そうなエリオットの胸元に、カルルは指先を触れさせた。

「<クーラト>」

カルルが神に祈る所作をして祝福の文言を唱えると、瓦礫と硝子の破片で出来た傷が塞がった。同時にじくじくとした痛みも引いていく。
視線が刺さる。カルルの目つきが責めるような冷たさを孕んでいて、エリオットの背筋がぞくりと冷えた。
しかしその視線も一瞬で、すぐに穏やかな表情に戻る。

「あ、ありがとうカルル」
「どういたしまして。んで、そっちの彼も治癒したほうがいい?」

カルルが顎で指す先には、同じように傷だらけのラルフが立っていた。エリオットは先程の仕打ちを思い出して咄嗟に身構えた。
しかしラルフは皮肉げに笑いながら銀色の物を投げて寄越してきた。
ジンイェンがそれを受け取る。それは二本の小刀だった。特徴的な刀身と柄に赤い紐が巻きつけてあることで、すぐにジンイェンの持ち物だと分かる。
東屋で瓦礫の下敷きになってしまったものと、黒竜の瞳に刺さったもの。どちらもラルフが回収してくれたらしい。

「礼は言わないからね?」
「いらん。気色悪い」

ラルフも大魔術の連続でさすがに息が切れている。
何年も彼の魔術を見ていなかったが、実に洗練された術だった。宮廷魔法使としての底力を垣間見た気がする。
エリオットを見てラルフがふっと笑った。見慣れたその笑顔につい絆されそうになる。

「……エリオット、俺は諦めてねえからな」
「ラ、ラルフ……」
「何年片思いしてたと思ってんだよ、クソッ……」

そんな告白など聞きたくなかった。どうして良い友人のままでいてくれなかったのだろうか。
たとえそれが自身の我が侭だとしても、エリオットはそう思わずにいられなかった。
その様子を見ていたジンイェンが立ち上がり、エリオットを背に庇うように隠す。

「……そんで、何でよりによって恋敵がこんなのなんだよ。旅団長の方がまだ説得力があるっての」
「いちいちムカつく言い方してくれるよね、アンタって」
「まあいい。それよりそろそろお前達も退散した方がいいんじゃねえか? どうせ不法侵入なんだろ。じきに人が集まってくるぞ」
「ご忠告どうも。――行こう、カルル」

ジンイェンは傍らに立つカルルの肩を叩いた。何故彼らがここにいるのか聞きたいことはたくさんあったが、エリオットは口を閉じた。
もの言いたげなエリオットを見て、ジンイェンが足を止めた。

「……エリオット」
「ジン……」

ジンイェンはエリオットを引き寄せ、強く抱きしめた。まるで周囲に見せ付けるように。
エリオットもそれにあえて抵抗はしなかったが、恋人の情熱的な抱擁に頬が熱くなった。耳元で苦しげな掠れ声が囁かれる。

「ほんとごめん。俺が悪かった。聞きたくないかもしれないけど……ちゃんと話そ」
「あ、ああ……」
「待ってるから」

抱き返そうとした手からジンイェンの温もりがするりと抜けて、宙を掻いてしまう。
カルルが一度だけ振り返る。しかしすぐに二人の姿と気配は校舎の陰に消えた。

ラルフが予告した通り、すぐに人が集まってきた。中庭の惨状を見て何事かと騒然とする。
エリオットとラルフはその説明に追われた。もちろん部外者の存在など話せないので説明しながらその場で適当に口裏を合わせる。
打ち合わせなくこういうことが通じてしまうあたり、やはり長年の付き合いは伊達ではないし、有難いと思う。

そして中庭であれだけの騒ぎをしていたにもかかわらず、すぐに人が来なかったのには理由があった。
模擬戦の最中、演習場でも同様の襲撃事件があったのだ。
しかし魔物は黒竜ではなく人型の怪物、オーグルだった。
人型とはいっても、それらは禿頭に角を生やし、金属のように光沢のある分厚い皮膚を持つ三つ目の魔物だ。
それが地面から次々に湧き出してきて、その場にいた魔法使総出でかかっても殲滅にかなり時間がかかったようだ。

オーグルは事切れると溶けた金属のようにドロドロになり時間が経てば消滅する魔物なので、もう演習場自体は何事もなかったかのようになっているという。
負傷者が数十人出る事態になったので街の薬師を大勢呼び寄せているところらしい。

エリオットとラルフが共に演習場に戻ると、満身創意の二人を生徒や教授が歓声をもって迎えた。
たったの二人で国家級の悪竜を完膚なきまでにしたということで英雄扱いだ。
その空気がどうにも耐え切れず、エリオットは適当に言い訳をしてラルフにあとのことを任せて場を逃げ出した。



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