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あわや一触即発、というところで事態は急転した。
突然周囲が暗くなり、東屋の屋根にずんと重い衝撃が走ったのだ。
三人とも同時に天井を見上げたが、一瞬早く反応したジンイェンはエリオットの腕を引いて東屋を出た。
走って距離を取ってみれば、視界に信じられないものが映りエリオットは悲鳴に近い声を上げた。

「――ドラゴン!?」

エリオットの声にラルフは東屋を抜け出し、腰に下げた金属製の鞘から素早く杖を取り出した。
それは騎士が使うような刀剣と同じくらいの長さで、やはり剣のように両手で構えて魔術を行使する。
複雑な魔法陣を展開しているのを見てエリオットははっとした。

(あれは、ラルフの得意魔法の――)

「<ヴェニーテ・アイスベルグ>!」

ラルフが氷結の精霊王を呼び出すと、巨大な氷の獅子が咆哮を上げた。そのたてがみも被毛も全て真っ白な霜でできている。
校舎にぐるりと囲まれている中庭一帯の気温が下がり、隣接している建物全体が氷と霜に覆われた。
ジンイェンも二本目の小刀を革製の鞘から取り出し体勢を低くして油断なく構えた。

ドラゴンは全身烏のように真っ黒だった。その瞳は紅く、瞬膜が瞬くたびにぬらりと怪しく輝き、背には蝙蝠のような羽が生えている。
エリオットも、ジンイェンもラルフも、それぞれにドラゴンという生物を今までに何度か見たことがある。
普段ドラゴンは山奥深くに生息しているか南の騎士団で選ばれた者だけが使役している。彼らは賢く、人間と共生可能な種族だ。

しかし今目の前にいる黒竜はそれとは全く異なる生き物だ。魔物として『堕ちた』ドラゴンである。
聖獣として崇められているドラゴンが、何らかの理由で人肉を好む悪竜になってしまうことがある。そうすると体躯のみならず爪や牙まで真っ黒に染まり、瞳が血のように紅くなる。
そうなると如何な聖獣といえど魔獣として退治しなくてはならなくなる。
ただしそれは国家編成の特別部隊が処理するものだ。王国騎士団や宮廷魔法使が組まれるほどの超難易度の討伐に相当する。

そんな黒竜が、何故突然この場に現れたのかは分からない。

黒竜はその鋭い爪で東屋の屋根をばりばりと砕くと、この場にいる人間――餌の姿を確かめるように見た。
エリオットはそれを見てはっと息を呑んだ。

「ジン……まずい、僕の杖が瓦礫の下に」
「わかった、俺が取ってくる。エリオットはここにいて、絶対に動かないで」

ジンイェンが黒竜と慎重に間合いを計る。
ラルフはエリオットたちとは反対側に立っていて、三人は黒竜を挟む形で対峙していた。

「ちょっと待て、ジン。ナイフを貸してくれ」
「いいけど……何?」

エリオットは素早く小刀で掌を少し傷つけた。
じわりと滲んだ血を刀身に塗りつけるのを見たジンイェンは、驚いてその手を押し留めた。

「エリオット!?」
「心配ない。僕の血を介して魔術を通しやすくするだけだ。魔法剣みたいなものだと考えてくれ。そうでもしないと、たぶんあいつに普通の刃物は通じない」

ジンイェンはエリオットの傷ついた手を取り、滲む血を舐めた。腰に巻いた革袋から小さな容れ物を取り出す。中身は黄色い軟膏で、それを傷に塗りつけた。
それはジンイェンがいつも狩りのときに持ち歩いている傷薬なのだろう、とエリオットもすぐに察した。すっとする感覚と共に血が止まる。
自分のストールの端を切り裂いて傷ついた手にぐるぐると巻きつけてくれるジンイェンの顔を、エリオットはじっと見た。切れ長の瞳が憂いている。
そうして無言で互いに見つめ合った。

甘い雰囲気は一瞬だけ――二人は黒竜に向き直り、体勢を整えた。


エリオットは自分の中にあるドラゴンについての知識を懸命に引き出した。
ドラゴンは総じて火の耐性が尋常ではなく強い。火魔法はまず通じないだろう。となると水か、ラルフのように氷か――。
霜魔法の呪文を唱えジンイェンの小刀の刃に魔力を込めると、刀身の表面に薄く白い膜が張った。
得意ではない霜魔法は杖なしではそれが限界だった。あとは彼の腕に任せるしかない。

じりじりとジンイェンが間合いを詰める。狙いは黒竜の足元にあるエリオットの杖だ。
ジンイェンは素早く動いた。距離を取りながらエリオットから離れ、校舎に向かって風のように走る。
獲物が突如動いたので黒竜が怒ったように口から火を噴いた。火は校舎の壁を焦がさんとしたが、厚い氷に覆われた建物はもうもうと蒸気を上げるだけに留まった。
蒸気が視界を一瞬白く塗りつぶすと、ジンイェンは踵を返して黒竜の元へと走り込んだ。

一瞬の隙に黒竜に接近したジンイェンは、まず黒竜を自身におびき寄せて東屋の瓦礫から巨体を離した。
しかし長い首をもたげた黒竜がジンイェンに噛み付こうと顎を大きく開く。ばくんと口が閉じられるがジンイェンはそれを紙一重でかわした。
攻撃を避けて素早く体勢を整えたあと、黒竜の喉元を小刀で斬りつける。
白い刀身は厚い鱗をものともせず、溶けかけのバターを切るようにずぶりと埋まった。

熱い血が噴き出し、黒竜が鳴き声を上げながら怯んだ。
燃え盛る炎のような血を受けたジンイェンも痛みと熱で呻いた。

黒竜が己を傷つけた獲物を踏み潰そうとしたその瞬間、ラルフの氷魔法がその前足を直撃した。
己の足が白い氷に覆われると、突然動かなくなったそれに黒竜はパニックになったようだった。
その隙を逃さず、ジンイェンは瓦礫に埋まった杖を拾い上げてエリオットの元に戻った。
ラルフも彼の狙いを分かっていて補助してくれたようだ。

「エリオット!!」

エリオットはジンイェンから杖を受け取るとすかさず魔法陣を展開した。
一回しか使っていない上に、礼の交信もしていないがこの際そんなことは構っていられない。


呼び出す――雷の精霊王を。



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