10


荷受けが済むと、糸雨は別の出入り口を開けた。
そこからは屋根付きの渡り廊下が続いているので、雨に濡れる心配なく土足で母屋まで行ける。

「じゃあ手代さんはこちらに」
「へえ、失礼しやす」

腰を低くして愛想良く笑った手代は、両手で大きめの風呂敷包みを下げて糸雨のあとについて歩きだした。これから代価の支払いである。
屋根付きとはいえ屋外であることに違いはないので、渡り廊下の端は水浸しだった。それでも、一段高い敷石が続いているおかげで足が濡れることはない。
糸雨は、斜めうしろをついてくる狐の手代を少し振り返って話しかけた。

「そういえば、このたび娘さんの縁談がまとまったそうですね。おめでとうございます」
「おや、どちらからお聞きになったので?今日ようやっとご報告できると思ったのに、コリャ若旦那の方が早耳でしたか」

純粋に驚いたというふうに手代が細い目を見開く。糸雨は苦笑いしつつうなじを掻いた。

「いやぁ、手代さんの奥様から俺宛てにお手紙が届いたんですよ。おととい」
「なんと。亭主に隠れて付け文たぁ、こいつぁとんだ恥さらしで。うちのが勝手をしましてあいすみません。うちのはどうも二枚目には目がなくていけねえ」
「おめでたい事なんだからいいじゃないですか。あとでうちからもお祝いの品を用意しますね」
「へえ、お気遣いありがたく頂戴いたします」

恐縮しきりといったように手代がぺこぺこと頭を下げる。
軽い世間話をしながら長い廊下を渡りきると、二人は履き物を脱いで母屋へと上がった。
卓と座布団がきちんと並べられた客間へ手代を通す。
糸雨がろくろ首の女中に目配せすれば、待ちかねたとばかりに茶と茶菓子が座敷に運び込まれた。

女中がもてなしている間に糸雨は別室に行き、あらかじめ用意しておいた代価の箱を金庫から取り出した。
客間に戻るとひと抱えほどの箱を卓の上に置き、手代の差し向かいに腰を下ろした。
茶を啜っていた手代も茶碗を置く。そしてどちらともなく互いに頭を下げた。

「お待たせしました。こちらお代です」

糸雨は、卓上に置いた漆塗りの箱の蓋を開けた。
海老茶色の箱の中にはさらに小ぶりな杉の箱が何層も重なって入っており、そのひとつひとつに小さな丸い玉がぎっしり詰まっている。
一見すると色とりどりのビー玉だが、玉の中には靄状のものがゆるやかに渦巻いている。
これが、狭間で用いられる代価である。

統一された通貨のない狭間で価値があるのは、金銀宝石はもちろんのこと、霊力が特に珍重される。
霊力は、人ならざる者にとっては活力や動力の素であって、特に山や河川や海といった自然の場所に豊富に満ちている。
また神仏にとってはヒトの信仰心の篤さもこの霊力に値する。
しかし雑味の多いヒトの情念のうち純粋な信仰心というのは昨今得難いので、そうなると自然の気の方が混じり気がなく質がいい。
それらの漂う霊力を凝縮したものが、この『珠』だ。

山の幸と物々交換をすることもあるが、狐との交渉においてたいていは珠を代価とする。
ヒトの信仰の少ない寺社であったり、霊力の乏しい市井暮らしの者にとっては非常に有難いものなのだという。
怨念や邪気を含んだ霊力を多く取り込めば歪んだ存在になってしまうので、珠を受け取る側も慎重になる。そういった悪価を好む輩が少なくないのも事実だが。
とにもかくにも、この山の珠は巷ですこぶる評判がいい。

珠を作るのは主の仕事だ。何をどのようにして生成しているのかは糸雨には分からない。
ただ、淡く光ってひとつひとつ色が違うのがとても綺麗なので、なんとなく手放すのが惜しくなる。
糸雨も少しだけヒトではないから、このように惹かれるのだろう。なので完全な妖であればこれらが垂涎ものの代物だと思われる。

「今回のお代の確認、よろしくお願いします」
「へえ、では失礼して」

一箱には百個の珠が並べてぴったり収められている。糸雨は同様のものをいくつか広げて卓に置いた。
指の第二関節ほどの高さしかないこの木箱は、糸雨が狭間の職人に作らせたものだ。
この珠は札や硬貨のように識別できる色や数字があるわけでもないうえ、つるりと転がりやすく、しかも相当数が必要となる。
それまではひとつふたつと手で数えていたので、卑しい狐商人どもに数をちょろまかされていたのだ。
そこを一目で十個、百個と分かるよう四角い箱に詰めてしまおうと言い出したのが糸雨だ。
端数は珠の大きさにくり抜いたくぼみつきの板に乗せて数える。そうすれば下手にごまかすこともできないという寸法である。

実はこのやり方を先に気に入ったのはこの手代で、珠の持ち歩きに便利だと喜んだのだ。
従来のように袋に入れて持ち帰っていた時は、歩く度じゃらじゃらとうるさいし、中でざらざら動くのも不安定で苦労していたのだという。袋の口からぽろりと零れ落ちるのもしょっちゅうだ。
その点、箱に入っていれば珠はむやみに転がらないし、持ち帰ったあとに再度数を確認するのも楽である。
おまけに杉は軽いので持ち運びもさほど苦ではない。
何度か改良を重ね、用途に応じて大小の箱を作ったり、底に足を付けて数段重ねが出来るようにもした。

「ホウ、これはこれは……うーむ、いや素晴らしい」

追加のお代と合わせて珠の数を数えつつ、手代がいちいち感嘆の声を上げる。お世辞ではなく本音の様相だ。
間違いのないことを確認したのち、手代は前回持ち帰った空の箱を糸雨に返した。
替わりに中身の詰まった箱に蓋をして、重箱状になったそれらを織紐で括り、風呂敷で几帳面に包み直す。
次回分の注文を前もって帳面にまとめておいた糸雨が手代に渡す。それにざっと目を通し、了承したところで一連の取引は終了となる。

仕事が済んでホッと息をついた手代は、少し首を伸ばした。

「ときに若旦那。大旦那様は本日ご在宅で?」
「いますよ。何か用事でも?」
「エエ、秋向けの反物の一覧をお持ちしたので、よろしければちょいと見ていただこうと思いましてね」
「ああ、それなら俺が見ますよ。主からは任せるって言われてるので」

当然のことのように言った糸雨に、手代は伸ばした首を縮めた。

「へえ、畏まりました。でしたらこちら、若旦那にお渡ししておきやしょう。ご希望であれば手前どもでお仕立ても承りますので」

近頃はこの若者ばかりと会っていて屋敷の主本人を見る機会がとんと減った。
狐の目から見ても清々しく風流な主の姿を見られないのはいささか残念である。
手代はそんなことを思いながらも、笑顔のまま反物一覧の小冊子を糸雨に手渡した。

その時、ドタドタという荒い足音と甲高く騒がしい声が近づいてきた。
客間の襖を開けて飛び込んできたのは六から八歳ほどの四人の子どもだ。
丈の短い着物を着た彼らは楽しそうに笑い、客間の中で団子になった。
きゃあきゃあ言いながら男女入り混じり、やがて糸雨と手代の周りで埃が立つほど走り回って追いかけっこをはじめた。
無邪気な子どものように見えるがその目は白目がなく真っ黒だ。そしていくら時を経ても彼らはずっと子どものままである。――座敷童子だ。
糸雨は慌てて座敷童子たちを大声で叱った。

「こらお前ら!今日はお客さんが来るから静かにしろって言っといただろ!」
「だって糸雨にいちゃん、こいつがいけないんだよ!金平糖五つも多く食べた!」
「お前らがのろまなのがいけないんだ!きゃははっ」

喧嘩からはじまったはずが途中から全員楽しくなって、ただの追いかけっこに変わっただけのようだ。
客間がにわかに騒がしくなって少し驚いていた手代は、すぐに目尻を下げて座敷童子たちを手招きした。

「ああほらほら、坊ちゃん嬢ちゃんたち。おいで、おいちゃんがいい物をやるぞ、そら」

いいもの、という言葉に反応して座敷童たちが手代を一斉に取り囲む。
手代は懐から巾着袋を取り出し、油紙に包まれた大きな飴玉をふたつずつ、座敷童子たちの小さな手にそれぞれ握らせた。
座敷童子たちはそれはもう大喜びで、「稲荷屋のおいちゃんありがと!」と大声で言ったあと嵐のように去っていった。

「うるさくしてすみませんでした。童子たちにお菓子をありがとうございます」
「ナンノナンノ。いやね、うちの娘がまだ洟垂れの時分に、ご機嫌取りの飴玉をいつも持ち歩いてやしてね。その癖が今になってもどうも抜けなくて。いやお役に立って良かった」

懐かしそうに、そしてどこか寂しそうに言って巾着袋を懐に戻した手代は、目を細めて子どもたちが去っていった襖を見やった。

「座敷童子が元気なのは結構なことで。エエ、本当に良いことです」
「元気すぎて大変ですよ。主も手を焼いてるくらいで」
「オヤ何をおっしゃいますやら。こちらの童子らは特に活発でおられるのだから、それだけお屋敷が栄えてる証拠。……そういえば、こないだちょいと小耳に挟んだんですがね」

手代は茶碗を取って、冷めた残りの茶を小さく啜った。

「知り合いから聞いた話ですがね、こっから十里ほど離れた場所にあるマヨイガが、先月、火難に遭ったそうでして」

マヨイガ――迷い家とは、狭間における山中の大きな住居のことだ。
ヒトがうっかり狭間の家に迷い込んできた時、ヒトの目には住人の姿は見えないので空き家だと思い込む。
するとヒトはなぜか、無人だと分かるとその家の物を勝手に持ち帰るのだ。
この家はマヨイガだから空き巣に気をつけろ、という警告と皮肉の意味を込めて狭間の者の間ではそう呼ぶことがある。
たいていは裕福な住居を指すので、主のこの屋敷もマヨイガといえる。

「火事……ですか?」
「ええ。座敷童子が七、八人もいるほどの大層栄えたお屋敷だったとかで、突然、一晩にして焼け落っちまったって話ですよ。そこの住人も全員焼け死んだそうで。怖や怖や……」

そこに出入りしていた他の稲荷屋がその話を同業の間で伝え、この手代の耳にも入ったという次第だそうだ。
大口顧客を失って残念だという狐や、突然の災難に慄いている者、火元の原因が分からず首を傾げる者など反応は様々だったそうである。
当然、現世にも何かしらの影響があるはずだ。
そこを治めている土地神や大妖が急にいなくなったとなればあちらとこちらの均衡が崩れる。となると歪みが起こるのは必定。

現世と狭間の境目が歪み、邪気や物の怪がヒトに害をなすだけならまだしも、山火事、土砂崩れ、地震――最悪そういった災害が起こらないとも限らない。
糸雨は手代にその事についてもっと聞きたかったが、雷雨が近いこともあってこの場はお開きになった。


prev / next

←back


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -