喜之side


その夜遅く、守が帰ってきた。

酔っていて、ただいまもなしに無言で家に上がる。
守は酒に酔うと、いつもの陽気な性格が一変したように静かになる。全く顔に出ず、見た目は素面だけれど気持ち悪いのを我慢しているせいで急に不機嫌になったかのように見えるのだ。
それでも頻繁に飲み会に誘われるのは、守が会社の中で愛されキャラだからだろう。特に年上に可愛がられる愛嬌を持っているのは天性の才能だと思う。

守との出会いは合コンで、当時俺は大学生、守は技術系の専門学生だった。俺は顔だけはいいから女への餌用として呼ばれ、守は高校時代の友人の伝手で呼ばれた。
黙っていればそこそこ整った容姿の守は場を盛り上げるのが上手で、騒がしくて、自分からは近寄りたくはないと思わされる人種だと思った。
ところが守は、その場で女とではなく俺とアドレス交換をした。それから彼に誘われるままメールを重ねたり時々会って話したり。そんなことを続けて約半年後に土下座で告白をされた。

ホモなんてお断りだ、とは思ったけれど、その頃には俺も不思議なことに守に対して友情とも愛着ともつかないようなものを感じていて、彼の泣きそうな顔を見たらつい頷いていた。
守は、こんな俺のことを一体どこが好きなのだろうか。陰気で、会話が弾まない。
彼が俺に怒るたびに「ああこれで終わりなのかな」と思うのに一時間もすると謝ってくる。理解不能だ。

それでも付き合って七年。最初はホモなんて気持ち悪いと思っていた俺だって気持ちが動くし、情が移る。
俺は守のことが好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで、愛おしくて仕方がない。だがそれを今更表に出すのは俺のアイデンティティーに反する。
何より守は、俺の冷静沈着なところが好きなのだろうから。

夜の営みも、ひと月に一度くらい遠慮がちに「したいんだけどいい?」と聞いてくる守。決まって騎乗位で、俺が痛いのは嫌だからという理由で自分で後ろをほぐし、感じられるようにしてまで俺と繋がりたがる。
セックスのあとは守の疲労感がひどそうだから遠慮していたけれど、本当は俺だって貪るように守を愛したい。毎晩だってしたい。

それなのに三ヶ月ほど前に気付いてしまったのだ。守が俺から離れようとしていることを。
守がトイレに行っている間にふと目に入ったノートパソコンのディスプレイ。熱心に調べものをしているなとは思ったが、開かれたページに単身向けマンションの間取りがいくつも開かれていた。
明らかに二人が住むには足りない狭さ。守の会社に近いこのマンションから、電車で一時間もかかる立地。
それを見た瞬間の俺の心情を想像してみてほしい。ガンと後頭部をゴルフクラブで思い切り殴られたかのような衝撃だった。

守は本格的に俺と別れようとしている。一瞬怒って謝ってくるようなものじゃない、確固たる決意をそのディスプレイに映し出された画面から感じられた。
何故ならそんな話は一切聞いていないからだ。守は隠し事をしない、何でも俺に打ち明けてくる。そんなことどうでもいいだろうってことまで赤裸々に話す。
守は俺のために何でもしてくれる。俺が負担に思わないように、何でも。それは裏返して守がしてほしいことなのかもしれないと気付いたのだ。
笑顔で好きだよと言い、どんな些細なことでも喜んで、興味のないような話でも熱心に聞いて――そこまで考えていかに自分が守の好意の上に胡坐をかいていたか、恥ずかしくなった。

俺はそれから必死に笑顔の練習をした。鏡に向かって頬肉をほぐし、使っていなかった表情筋を駆使しうまく笑顔を浮かべられるように。
在宅ワークだから守が会社に行っている間はずっと笑顔の練習、そしてほとんどやっていなかった料理の練習。にやぁと笑いながらフライパンを握る俺。
デートも、外出はあまり好きじゃないけれど、守の好きそうな場所を必死に調べたりした。

こんなことしても無駄なんじゃないか、彼にとってはどうでもいいことなんじゃないか……何度も考えてはやめようと思った。でもそれ以上に守と別れたくなかった。

好きで、大好きで、愛していて、そういうものを表に出してこなかった己の愚かさ。
プライドなんていらない、全部いらない。ほしいのは、失われつつある守の愛情と信頼だけ。
そう思ったら焦って仕方がなかった。いつ別れの言葉を切り出されるか気が気じゃない。しかし長年保ってきた俺のキャラクターを捨てるのも躊躇われる。
そのジレンマに三ヶ月があっという間に過ぎた。

だから今朝、ようやく決心して練習の成果を披露したのだった。
守の唖然とした顔に挫けそうになったが、一方で途轍もない開放感があった。なんだ、こんなに簡単なことじゃないかと。
言葉にして、行動に表したらより一層守への愛情が増した。

「おかえり守。飲みすぎた?」
「平気……」

淡々と応える守。きっと彼から見た今までの俺はまさしくこんな感じだろうな、と思う。
酔い醒ましの水を飲んでソファーに沈んだ守が、俺をじっと見上げてきた。

「……お前、誰?」
「え?」
「俺の喜之はどこ行った。返せよ。俺の、よしゆき……」

ぶつぶつと言われた言葉に愕然とした。「俺の」という部分に密かに喜んでしまっているが、問題はそこじゃなかった。
返せというのは、やはり俺が朝から宗旨変えをしたせいか。

「喜之は、俺だよ」
「違う。俺の喜之はそんなんじゃない……」
「…………」

作戦失敗か。別れたくなくて努力したはずが、むしろ一気に嫌われてしまったようだ。

「おれの、よしゆきは……」
「…………」
「落ち着いてて、かっこよくて、俺に出来ないことなんでもできるすげえ男で、自分の道を信じて揺るがなくて、かっこよくて――」

かっこよくてが二回入った。

「俺が、ずっと片思いしてる、ひと……」

目の前が暗くなった気がした。
なんだ、守にとって俺は、恋人ですらなかったのか。そんな風に思わせてしまった自分の不甲斐なさに腸が煮えくり返る。

「……ごめん。長いこと、お前に甘えてて。俺も好きだから、片思いなんて言うな守」
「嘘だ……」
「嘘じゃない。信じてほしい。もう一度やり直させて。だから――」

たとえお前が嫌だと言っても、七年分の愛を囁いてあげる。



end.


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