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食べ終わって一息つく間もなく会社の携帯に着信があった。
「俺が会計しておくよ」という喜之の言葉に甘えて一足先に店から出て着信を取ると、山中さんからだった。
俺の担当してるクライアントから連絡があって、急ぎで折り返ししてほしいとのことだ。
通話を切ると同時に店から喜之が出てきた。

「あ、喜之ごめん。会計ありがと。俺の分――」
「俺が持つよ。こっちから誘ったんだし、もともとそのつもりだったから。それより守、仕事のほうは?」
「それがさ、急ぎみたいだからすぐ会社戻んないと」
「そう。もう少し話したかったから残念だな」

本当に残念そうな、寂しげな顔をする喜之。
そんな顔見せられると胸が締め付けられて困る。

「か、帰ったらいっぱい話せるじゃん」
「そうだね。今夜はお前とゆっくりしたいな」

一転、嬉しそうに言われて額が熱くなった。
今日は金曜で明日は俺が休み。『今夜はゆっくりしたい』――ここのところ週末の夜は必ず、その、アレをしてたから、その台詞が予告みたいに聞こえて恥ずかしくなった。
まあ、週末じゃなくてもしてるんだけど……とはいえ平日と週末ではがっつり具合が段違いだ。
こんなこと真昼間の往来で話すような内容じゃないし、真意までは聞かず曖昧に笑って頷いた。
実は久保田さんと今日、仕事後の飲みの約束をしちゃったんだけどキャンセルしよう。すいません久保田さん、喜之優先は譲れないんで。

せめて会社の近くまでってことで一緒に歩きはじめると、喜之が思い出したように聞いてきた。

「夕飯は何がいい?俺、作っておくよ」
「えっ!?いやいやいやいいってそんな!喜之だって仕事あるんだし!帰ったら俺が作るから!」
「そんなのそっちのが大変だろ。俺はこのあと家にいるからやるよ。料理の練習もしたいし」
「駄目だって!」

喜之は近頃、料理の腕が上がっていた。
あれだけ調味料の使い方がおかしいくせに、作る料理は常識的な匙加減なのが不思議だ。どうも自分が食べる分だけプラスアルファで濃くしたいってことらしいが。
それに料理だけじゃなく、喜之は、他の家事も慣れないながら丁寧にやってくれてる。
ありがたいことだけど、今まで通りにしてもらえないとそれこそ俺の存在意義が揺らぎそうな気がして怖い。俺が喜之の生活を担ってるという自惚れが、ひそかな心の支えだったから。
なにより念願の仕事が軌道に乗ってる今、喜之には思う存分執筆してほしい。

「ほら、お前いま仕事多くて大変じゃん。そんなのより書くほうに集中してほしいからさ」

必死に言い募ったあと喜之が黙って笑顔を消し、俺の顔をじっと見つめてきた。
――あれ、もしかして俺、変な言い方した?
彼を不快にさせてしまったかもしれない焦りで、取り繕うように言葉を繋げた。

「え、えっと、あのさ、だったら俺、帰りに弁当買ってくよ。そしたらお互い手間省けるじゃん?」
「……お前がそう言うなら。頼む」

あ、なんか『前の喜之』にちょっと戻ってる。しかしそれも数秒で、それ以上何を言うでもなく元のふんわりした笑みを見せた。
この変わりよう、何度見ても妙な感じがする。なんとも複雑な気持ちのまま会社の前に着いた。

「じゃあここで。午後も頑張って、守」

柔らかい励ましとともに肩を軽く叩かれてドキリとした。
喜之から触れられることにもまだ慣れてなくて、こんなちょっとしたことですぐ動揺してしまう。
触られた部分がムズムズしてきたから掌で擦った。

「う、うん。そっちも」

あんまり立ち話してる時間もなく、名残惜しいがそこで喜之とは別れた。

予定では午後はデスクワークに専念するはずだった。が、そう順調にはいかなかった。
会社に戻ってすぐ担当先のブライダルホールに折り返しの電話をした。するとプロジェクターが突然使えなくなったのでどうにかしてほしいと言われた。
至急修理の手配をしようとしたが、保守管理担当が全員出払っていてつかまらず、俺が現地に行ってメンテナンス。

連絡がついた保守担当に引き継いだところで、また別件の連絡があった。
あさって行われる野外イベントの音響トラブルがあったから急ぎで機器レンタルできないかってことで、現地近くにいた俺が車で直行。
代替機の手配を終えてようやく会社に戻ったと思ったら、今日休みの後輩が担当してるスポーツバーからクレームが入って俺が代わりに謝りに行った。これでも肩書は一応主任なもんで。

俺は普段、ルート営業が基本で修繕提案やトラブル対応といったメンテナンス業が多い。
そんなわけで呼ばれたら行かざるを得ない。営業の宿命とでもいいますか……。
俺の場合、資格を持ってるから今日みたいに現場で技術対応することもしばしば。

他にも行ったり来たりを繰り返して、自分のデスクに腰を据えられたのは日が落ちる頃だった。デスクワークのほうは完全に残業。
仕事の合間に喜之に『今日は遅くなりそうだから夕飯先に食べてて』と連絡したら、『待ってるから一緒に食べよう』と返事が来た。
喜之に待ってると言われたらできるだけ早く終わらせるしかない。
設計担当から指摘されたミスを直し、作成途中の書類を形にして、今日一日の営業記録を入力したところで終わりにした。

そんなこんなで会社を出たのは二十時すぎ。
帰り途中にある総菜屋で幕の内弁当とカップみそ汁を二つ買い、家路を急いだ。

「ただいまー。喜之ー?」

玄関からリビングに入る前に、廊下の途中にある喜之の部屋をノックした。だけど返答がない。
風呂かトイレにでも入ってるのかな?そう思ってカバンを置き、手洗いのために洗面所に入ったが風呂は無人だった。じゃあ後者か。
暗いリビングのドアを開け、まず明かりをつけた。
するとソファーに人影を見つけたもんだから、ビビって「うおっ!?」と変な声が出た。

「よ、喜之?そっちにいたのかよ。ただいま」
「…………」

ダイニングテーブルの上に弁当が入ったビニール袋を置きながら話しかけたが、喜之は無言で虚空を見つめていた。
おかえりの返事もなければこっちを見もしない。
どうしたんだろう。やっぱり俺の帰りが遅くなったことに腹立ててんのかな。にしては不機嫌になるでもなく、ただぼんやりしてる。

「喜之、遅くなってホントごめん。えっと、腹減ったよな。今、お茶淹れるから――」
「……いや、いいよ。おかえり、守。弁当買ってきてくれてありがとう」

電源スイッチが入ったみたいに喜之が急に動き出した。喜之アンドロイド説浮上。いやそんなわけねえよ、アホか。
気難しい彼がよくわからない行動をするのは時々あることなので、それほど気にせずお湯を沸かした。
みそ汁カップにお湯を注いで弁当を並べると、喜之もダイニングテーブルについて向かい合わせに座った。ぬるくなった弁当をそれぞれつつく。

――いや、やっぱり変だ。
喜之が自前の調味料に手を伸ばさない。醤油もケチャップもマヨネーズもソースも、何も使わず黙々と食べている。
出先だと量を遠慮するものの、家では思う存分使うのに。量が多すぎたら見かねた俺が「体に悪いからやめたほうがいい」と言う。それが日常会話で、いつもの俺たちだ。

「……あの、喜之。仕事でなんかあった?書くのがうまくいかないとか……」
「別に。問題ないよ」

寡黙な喜之らしい淡々とした返事。昼のときは愛情表現過多喜之だったのに、また前の状態に戻ってる。
彼の愛情表現に俺がうまく応じられないから、それで前みたいに戻したのか?
変わった喜之のことは、慣れなくて困惑するだけで別に嫌なわけじゃない。
嫌じゃないと内心思ってはいても、表に出してた態度はひどかったかもしれない。喜之のほうはせっかく俺のために色々してくれてたのに。

「よし――」

申し訳なさから目を泳がせつつ呼びかけた。ところが、さまよわせた視線の先に真っ赤なミミズ腫れみたいなものを見つけてギョッとした。
喜之の白い右手首にくっきりと付いた一本線。切り傷じゃないし引っかき傷でもなさそうだ。
驚いて腰を浮かせ、衝動的に喜之の腕を強く握った。

「喜之!どうしたんだよそれ!?」
「は?……ああこれ」

喜之のほうは俺の剣幕に引くことなく、むしろ腫れがよく見えるように手を上げた。

「家帰ってきてから明日の昼食用にカレー作ったんだけど、煮込み中の鍋のフチにうっかり触って火傷しただけ」
「火傷!?」
「すぐ冷やしたのに痕が残ってね。少しヒリヒリするけど、たいしたことな――」
「なにやってんだよ!飯とか作んなくていいって言っただろ!」

遮って大声で言うと、喜之が顔をしかめた。

「今日食べる分じゃなくて明日のだけど」
「今日も明日も関係ねーよ!手ぇケガしたら仕事できなくなるじゃん!お前の、大事な手にそんな……!」

喜之の手は素晴らしいものを生み出す手だ。手に限らず、大好きな喜之がケガなんてした日には俺の寿命が縮まる。
そんな恐れから喜之に詰め寄ると、彼はおもむろに俯いて目を閉じた。

「そんな言い方ないだろう」

静かに、低く諫められて興奮しかけた頭がすっと冷えた。
顔を上げた次の瞬間、冷たい表情で俺を見据える喜之。付き合いの長い俺だからわかる、相当怒ってるときの表情だ。
怖い。胸が苦しい。俺の何が彼を怒らせたのかがわからなくて、苦しくて怖い。
けれどそれも続かず、喜之は嘆息して表情を緩めた。それから手首を掴んだ俺の手にそっと左の掌を重ねてくる。

「……とりあえず食べよう、守」

穏やかに言い切られると俺も勢いがすっかり削がれ、手を離して椅子に座り直した。
喜之の行動の何もかもが読めなくて、もやもやを抱えたまま冷えた飯を腹におさめた。


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