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そうして俺らの五回目の冬――喜之は、とある文芸誌の新人賞を受賞した。

ある日、仕事から帰ると喜之に一冊の小説雑誌を見せられた。
あらかじめ開かれたページに目を通し、そこに載っていた名前に首を傾げた。
第三十二回黎雲新人賞、受賞作――作者、吉野雪城。

「誰これ?知り合い?」
「……俺」

ぼそりと喜之がつぶやいた。『よしのゆきしろ』っていうのはペンネームだという説明も添えて。
一瞬呆気に取られ、誌面と喜之を何度か交互に見た。
遅れて理解が追いついて、俺は、精一杯笑顔を張り付かせた。

「や、やったじゃん!おめでとう喜之!」
「ありがとう」

そう応えた喜之は嬉しそうでいて、同時にどこか恥ずかしそうだった。
だけど俺のほうは、祝いの言葉とは裏腹に激しいショックを受けていた。

喜之は今まで書いたものを必ず俺に見せてくれていた。
それなのに、この作品については読んでなかった。賞に応募したことすら知らなかった。ペンネームのことも。
この文芸誌『黎雲』の新人賞は、選考に大御所作家が名を連ねていて、多くの人気作家を輩出しているのだという。
なにより副賞の金額が大きいことから世間の注目度が高い賞らしい。

喜之は饒舌にそんなことを説明してくれた。
それから、おなじみの封筒を。受け取る俺の手はびっしょりと汗ばんで、かすかに震えていた。

――題名は『矢車の眼』。

主人公は睡眠障害に悩まされる三十代のサラリーマン。年中、目の下に隈があるような冴えない男だ。
そんな主人公にも五歳年下の恋人がいる。口うるさくなく控えめながら目鼻立ちのくっきりした女性で、年齢的にも結婚をしなければと思うが、彼女のほうが乗り気ではなかった。
毎日を漫然と過ごしてきた主人公だが、ある日それは終わりを告げる。

通勤途中のスクランブル交差点で通り魔殺人があった。雑踏のなか目撃者多数で、主人公もそのうちの一人だ。
日常の風景が一転、阿鼻叫喚となる。その日のニュース速報で報じられるほどの大事件となった。
被害者は五十代の既婚男性、ただ一人のみ。しかしそれは、主人公と同じ会社に勤める男だった。
ところが、状況証拠も目撃者も多いのに犯人の足取りは杳としてつかめなかった。

主人公も目撃者としてインタビューを受け、昼のワイドショーで数秒テレビに映る。
そんなある日、主人公のもとに刑事と名乗る二人の男が尋ねてくる。
そこから主人公は一連の事件に巻き込まれ、やがて自身の出生の秘密にたどりつく。

SNSの噂、風俗店通いの若者の借金、消えたタンザナイト、導かれるように目にする矢車の紋、山奥の限界集落でひっそりと続けられてきた奇祭、恋人の裏切り――誰も彼もが主人公を欺いていた。
そして知らず殺人に手を貸していた事実に、狂気と絶望の淵に立たされる主人公。
たった一筋残された糸を頼りに、やがてすべての真相が明かされる――。

ページをめくる手が止まらなかった。主人公と同じように目の下に隈を作りながら眠れずに読みきった。
なかでもラスト間近にあった台詞が俺の胸に刺さった。

『あなたは私の乾ききらない傷に何度も爪を立てた。そのたび私は血を流す。あなたは何度私を殺せば気が済むの?』

恋人から主人公に向けられた言葉だ。
そこまでの物語の流れに添ったあまりに強烈な恨み言に、反射的に一度本を閉じてしまった。

愛憎と狂気、閉じられた寒村の異様さ、現代社会の闇。そんなヒューマンドラマを巧みに描きつつも読後感は不思議とさっぱりしていた。
だけど、どうしても解けない謎がひとつある。
そう、喜之の得意技ともいえる『別の選択肢を考えさせる』物語構成だ。
物語はきれいに収束しているから気にするほどでもない。でも暇な人は解いてみて、という作者からの隠されたメッセージとでもいうか――。

受賞から半年弱で書籍の形になった喜之の作品は、なんと、それがネット上で議論になったのだった。
そこからSNSで話題となり喜之の受賞作は幅広い世代から一気に注目され、知りたがりの読者の興味は作者本人にまで飛び火した。
受賞者は簡単なプロフィール、経歴とともに顔写真を文芸誌のホームページに掲載される。
そこで喜之も前例に倣っていた。不運なことに、喜之は怖いくらい写真写りが良かった。
不機嫌そうな無表情なのにもかかわらず、逆にその理知的な美貌が人々の目を引いた。

イケメンすぎる作家として別の意味でも注目された喜之の本の評判はうなぎのぼり。
けれど喜之自身はそれ以上メディア露出する気はなかったみたいで、プロフィール画像だけで異様な盛り上がりをみせた。
むしろ情報が少なすぎるせいで、余計に世間の好奇心を刺激したのかもしれなかった。
なかには『盛ってるだけ。騙されんな』『本人じゃない可能性』『どこがイケメン?ブッッッサ』と叩く人もいた。
作品に対しても『ありきたりでクソ』『読みはじめ五分で本投げた』と口さがなく書く人が爆発的に増えた。

ふざけんな、喜之は写真なんかより百万倍イケメンなんだぞ!笑うと案外かわいいし!
作品だって今までで一番すごかった!ずっと読み続けてきた俺が言うんだ、間違いない!
……なんて、俺が怒ったところで当の喜之のほうはちっとも動じなかった。さすが俺の喜之!!

そんな風に思う一方で、俺は卑屈になっていった。
俺の批評なんてなくても喜之はすごい作品を書ける。そもそも俺らの関係ってなんなんだろう?
喜之は俺なんか必要ないんじゃないか?それ以上に、俺の存在が喜之を不自由にさせてるのかもしれない。
湧き続ける悶々とした悩みが連日俺を苛んだ。

そのうえ、吉野雪城というワードをネットで検索していたとき、大物女優や女性タレント、アイドルのブログがひっかかった。
『売り切れで買えなかったご本、ようやく手に入れました!雪城先生の大ファンです!』
『ラストでたくさん泣いちゃって、涙でページがふやけちゃいました。もう一冊買わなきゃ。』
『見てください、直筆サイン入り!先生のご厚意に感謝です。』――と、出るわ出るわ喜之へのファンメッセージ。

一体いつのまに超人気アイドルに直筆サインなんてしたんだよ。なんにも聞いてねえぞ。
たしかに、これだけ話題になればいずれこういう芸能人や著名人と会う機会があるのかもしれない。
華やかな女子たちに囲まれる喜之を想像する。そしたら心が折れそうになってきた。

何も言わずに受け入れてくれてたからって調子に乗って彼氏面していた自分が、とてつもなく汚い人間のように思えてきた。
俺の存在はいつか喜之の足を引っ張る。もうこれくらいにしよう、彼の親切に甘えるのは。
でもまだ、少しくらいなら傍にいてもいいかもしれない。だけどもう十分夢を見させてもらったじゃないか。
いいだろうという甘えと、いや駄目だという気持ちが両極端に揺れてなかなか行動に移せなかった。

ぐずぐずしながらも、心の整理をつけるために思い出の品を少しずつ処分していった。
といっても俺が一方的にそう思ってるだけの、喜之と泊まった温泉旅館のパンフレットとかデートしたときのレシートとか、そういうつまらないものだ。

一人になるなんて簡単なこと。ただ喜之がいなくなるだけ。
早く、これ以上、彼の重荷にならないように――。
そう思っても大好きな喜之と離れがたくて、結局、一年も決意が鈍ってしまった。


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