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動画が終了してからも、オレはしばらく指一本動かせなかった。
一緒に見てた一年の二人は「おー」と声を上げながら小さく拍手してる。
なんでそんな風に軽く反応できるんだよ。背筋に痺れが走って鳥肌立つくらい衝撃受けてるのってオレだけ?

「部長、リハと全然違う書風だったからあのときはほんと驚いた」
「そうそう、なんかリハのときは無難な草書っぽかったからね。本番で本領発揮するタイプなのかも」

由井の言葉を受けて小磯が笑いながらスマホをポケットにしまう。そしたら呪縛が解かれたようにフッと体の力が抜けた。

「寒河江、どうだった?」

由井に肘で腕を小突かれてようやく「あぁ」と唸りに似た声が出た。
たかがスマホの動画でこれなのに、もし目の前で直接パフォーマンスを見たらどうなるんだよ。
一度気を落ち着かせるために口を手で覆って、今見た動画をゆっくり思い出した。

センパイの書いた文字は『森羅万象』。この熟語はセンパイの字じゃなきゃいけないって思うくらい見事にハマってた。
その左右に文字が飾られていて、全体を合わせて見るとひとつの文章になってた。
普通にこれだけ見たら恥ずかしいポエムなのに、パフォーマンスを通して見たオレにそんな感想は出なかった。
それはまぎれもなく『作品』で、ひとつの世界なんだと思った。

「なんか……やばかった」

色々感じたことはあるのにこんな言葉でしか表せないのがカッコ悪い。だけどこんな言葉でも、由井は明るい表情で誇らしげに頷いた。

「お前が言ってたこと、ちょっとわかった気がする。センパイ、マジでスゲーと思う」
「そうだろ!?」

胸を張って何度もうんうん頷く由井。
その日の帰り、駅でバス待ちの列に並びながらセンパイの姿を探した。もしかしたら同じバスに乗るかもしれないと思って。
もしあの人に会えたら謝って、そのあとパフォーマンスのことを話してって考えてガラにもなく緊張する。――だけど幸か不幸か会わなかった。
朝も会ったことがないから乗ってる時間帯が違うんだろう。そもそも登校時間ギリのバスなんてうちの生徒で使ってるヤツそんなにいないけど。

翌朝、教室に入ってすぐ由井をつかまえた。
入学当初と違って、今はクラス内ではあんまり話さないせいか由井に変な顔をされたけど前置きなしで話しはじめた。

「あのさ、オレ考えたんだけど」
「なに?」
「昨日見たあのパフォーマンスって、オレでもやれる?センパイみたいに」

そう言うと由井はますます渋い面になった。

「お前、自分の実力わかってる?部長は簡単そうにやってるように見えたかもしれないけど、あんな複雑な字面、部長くらい基礎も熟練した技術も備わってないとできない芸当だよ」
「だったら、その基礎ってもんを教えてほしい。オレ、そういうの全然わかんないから」
「…………」

由井が丸い目を大きく見開いてじっとオレを見つめる。
その場で返事がないうちに始業のチャイムが鳴って、由井は席に戻っていった。
イエスなのかノーなのかわからなかったけど、放課後になってオレを部活にしぶしぶ誘ってきたから、由井的にノー寄りのイエスってことらしかった。

その週は由井の鬼指導を受けながら同時に由井の知ってる限りの『楠センパイ』を話してもらった。
書道部で一年過ごす間、あれだけ部員がいてもストーカーまがいのことは何もなかった。それはセンパイのおかげなんじゃないかって由井は分析してた。
センパイといると、不思議とおかしなヤツは近寄る気配がない。「そんなのは寒河江以外に初めてだ。性格も見た目も全然違うのに」と、そう言う。
たしかにセンパイのあのヘタレっぷりを見てると気が抜ける。いや、そうじゃなくて空気が和むんだ。
あの人の弱さは優しさで、近づけばそれだけ知らないうちに巻き込まれていく。

一方で、部室に姿を見せないセンパイのことを思うたび中学時代のことが頭をよぎった。
部活に来なくなったあの子。いくら話しかけてもオレを無視する彼女。
結果的に彼女を登校拒否に追いやったのはオレなんじゃないかって、どうしても考えてしまう。考えると、息が苦しくなった。
センパイを由井のストーカー扱いして、怒らせて無視をされ、部活に来なくなって――こんなの、当時をそのままなぞってるみたいじゃねえか。
オレはまた同じことを繰り返すのか?それだけはイヤだ。

もしこのまま来週になっても来ないようなら、センパイのクラスに直接謝りに行こうと決めていた。
本当ならすぐにでもセンパイのいる教室に走りたい。オレは気が短いほうだから待つ時間は堪える。
でもその前に、書道ってものに向き合わなきゃいけないと思った。あの人があれだけのものを得ている書道を。
センパイが見ている世界を、少しでも知りたかった。


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