20


センパイを追って一段飛ばしで石段をのぼり、最後の段に足を乗せたときには息が上がっていた。

「とーうーちゃー……くっ!」
「はぁっ、はぁ……セン、パイ?」

ようやくペースを緩めたセンパイは、今度はキョロキョロとあたりを見回しながら歩いた。
石段の上は広い平地になっていた。木々に囲まれて整地されてるあたり、高台の公園らしい。下よりも風が強く吹いていて気持ちいい。
外灯はまばらで数が少なく、奥のほうまではよく見えない。

オレが暗がりに目を凝らしてる間に、センパイは斜面沿いの柵のほうへ移動していた。
慌てて走り寄って隣に並び、センパイの視線の先を追う。そうして眼下に広がる風景に溜め息が漏れた。
白い月がくっきりと空に浮かんでいて、広大な海の水平線が一望できる夜景は壮観だった。その手前に色とりどりの街明かりが点々と光っている。
あそこからここまで自分の足でのぼって来たんだと思うと、リアル感と達成感で込み上げるものがあった。

「すっげー……なんですかここ、超景色いいじゃん」

独り言のようにつぶやけば、隣でセンパイが得意そうに「でしょ?」と胸を張った。

「センパイ、なんでこんなとこ知ってんですか?」
「一年のときの合宿でね、自由行動で、友達と見つけたんだよっ……と」

屋根つきの休憩所があるにもかかわらず、センパイはそれに目もくれないで柵をひょいっと乗り越えた。
センパイがそこに寄りかかるように座ったから、オレも同じようにした。
低めの柵は手すり部分がしっかりした丸太でできていて座るのにちょうどいい。

「友達?部活の先輩じゃなくて?」
「あーそっか、寒河江くん知らないんだったね。一年のとき、俺だけじゃなくて同学年の部員がもう一人いたんだよ」

説明された「フルヤ」って名前に心当たりはなかったけど、センパイの当時からの友達なんだそうだ。
友達っていうか、親友みたいな言い方をしてるから相当仲がいいらしい。
センパイの普段の学校生活は知らない。それ以上に去年、一昨年のことなんて全然知らない。
それを少し知ったことでモヤついた気持ちになった。

センパイと出会ったのはほんの数ヶ月前。同じバスに乗って同じ学校に通ってたのに、互いの存在を知ることなんてなかった。
学年も違う。書道部だって入りたくて入ったわけじゃなかった。
つまり、オレとセンパイは、たまたま偶然が重なって交差しただけの関係だ。

「……センパイ、進路ってどうするんですか?」
「ん?あー……普通に受験だよ。俺の学力に合ったそれなりの大学だけどね」

なんとなくそうだろうと思ってたから今まで特に聞かなかったこと。
受験って単語を聞くと、本当にセンパイが三年生だって実感する。それが寂しい。その前にやってくる『引退』の二文字が重くのしかかるから。

「部活の引退って、やっぱ文化祭のあとですか?」
「うん、そうだよ」
「……そしたら、部室に来なくなります?」

センパイのいない部室なんて、考えるだけで苦しくなる。
きっとそのまま受験勉強で忙しくなって、卒業して、同じ部活にこんな後輩がいたなぁって、オレの名前もぼんやりとしか思い出してもらえなくなるんだろう。
隣に並ぶ横顔をじっと見つめた。センパイがオレのほうにゆっくりと顔を向けて、少し驚いた表情をする。

「ぶ、部室には遊びに行くよ。頻繁に行くとアレだから時々様子見くらいで」
「……そうですか」
「あっ、そうだ!せっかくだし寒河江くんには教えとくよ。我が書道部、次期部長はなんと、由井くんです!」

湿っぽい空気を察して話題転換を図ったのか、明るい声で『とっておき情報!』みたいに披露した。
正直、今そんな話を振られても、だから何?としか言いようがない。

「ふーん……」
「な、なんだよーもっと驚こうよー」
「驚くもなにも、フツーに順当でしょ。オレらは二年っつっても入ったばっかだし」

どうやら明日のミーティングで発表することを特別にこっそり教えてくれたらしい。
由井が部長で、小磯が副部長。由井は今もクラス委員長をやっていて、あれでなかなかリーダーシップがある。
計画を立てて予定通りに事を進めるきっちりした性格のおかげかもしれない。
センパイとは違った主導をするだろうけど適任だと思う。そうやって順調に引き継がれて、上の代は去っていく。

少しの間、二人して黙り込んだ。センパイも引退を意識したことで、何か思うところがあるのかもしれない。
会話が途切れた代わりに、木々のざわめきや虫の音が耳に入った。人の声はしない。ここにはオレとセンパイの二人きりだ。

「――中学んときにさ」

驚くくらい自然に、そんな言葉がするりと出た。そのとき、さっき感じたモヤモヤの正体がわかった。うしろめたさだ。
オレが知らないセンパイの歴史があるように、センパイもオレの過去を知らない。――オレは、センパイに隠していることがある。
こう暗いと普段は言えないようなことが言えてしまう。
なにより今、センパイに聞いてほしかった。由井の名前が出たことで思い出した、昔のことを。

「オレ、中学生んとき部活で仲良かった女子がいたんですよ」

センパイの手前、ちょっと遠回しな言い方をしてしまった。
もう過去のことだけど、だからって現在進行で好きな人にひけらかすような図太さはオレにはない。

「部活やってたんだ?」
「はい。陸上部で男女混合だったんで、クラスは違ったんですけどよく話してた子でした。正直、ちょっと気になってたっつーか……」
「……それで?」

静かに聞き返されて今更ながら照れくさくなる。
活発で、努力家で、ムードメーカー。そして陸上部の中心だった彼女。
太陽みたいに明るい彼女に引き寄せられるように、部員みんなが彼女を好きだった。好成績をおさめる彼女に顧問も目をかけていた。

中でもオレは彼女と趣味や話が合って、部内で一番仲が良かったんじゃないかと思う。だから当然、彼女もオレのことを好きなんだと思い上がってた。
このまま付き合ったりするんじゃないかって、漠然と感じていた。

『あのさ、私、好きな人がいて』

中二の夏頃のこと。ある日の放課後、二人で下校してるときにそう切り出された。
もしかして告白されるんじゃないかと期待した。けれど続いたのは、「昨日、その人の彼女になりました」という嬉しそうな彼女の報告だった。

同じ塾に通ってる他校の男子で、勉強ができて、真面目で優しくて、なにより自分を大切にしてくれる。付き合うならやっぱりそういう人だよね、と。
彼女は無自覚っぽかったけど、オレのことは全然好みじゃないみたいなことも言われた。
友達としてはいいけど恋愛対象としてちょっと……だとか。

ショックだったけど、今まで彼女に対して何のアピールもしてなかったのも事実だった。
当時はそうやってがっつくのが恥ずかしかったし、「恋愛?興味ないけど?」って顔してかっこつけてたっていうか。
そんなことしてるうちに知らないヤツに横取りされたんだから、自分のバカさ加減を思い知らされた。

――それで終わるなら良かった。ありがちな片思いで終わるなら、オレもそのうち忘れてただろう。

好きな子がだんだん狂っていくところを見るのは恐怖だった。
性格が捻じ曲げられたのか、元からそういう性格だったのかは未だにわからない。
彼女は、オレが横槍を入れたせいで由井に嫌われたと思ったらしくて、オレを敵視した。そうすると彼女の味方の子までオレに冷たくなった。
そのあたりからもう部活の雰囲気は悪くなってたんじゃないかと思う。

「部活中オレと話さなくなったしこっちから話しかけても完無視するんで、その子と友達付き合い続けるのは諦めました」
「…………」
「だから全然知らなかったんですけど、ある日突然、由井から電話が来て――」

この件がもとで、由井は、自分が傷つくより『自分のせい』で他の人や物が傷つくことを恐れるようになった。
彼女が彼女自身の体を盾にして由井に復讐を図ったからだ。
物語だったら事件がおさまってハイ終了、あとがき、エンドロール――で済む。だけど現実は続いていく。

一年のとき皆勤だった彼女は学校を休むようになってしまった。
校外で起こったことだし、その理由を周りは知らない。やがてオレが原因じゃないかと噂された。
わりとえげつない噂も耳に入ったけど、自分に非はないと思ってたし部活も続けた。
部活中に女子から、「寒河江、あんたあの子に何したの?」「今日なんか教室でいきなり泣き出したんだから」とか責められたところで、オレは何も言えなかった。

他人に言いふらしたら、それこそ本当に彼女の居場所がなくなると思った。
そんな考えも、ただかっこつけたかっただけかもしれない。

あるとき、部活の顧問から指導室に呼び出された。何かと思えば、「少し部活を休まないか」という提案だった。
優しい言い方をしてるけど、要するにオレがいると部に亀裂が入ってやりにくいから辞めろってことだ。
素行に問題のない生徒を教師から辞めさせるとカドが立つ、だから休部って形にして穏便に去ってくれないかと、そう言いたかったんだろう。

部員だけじゃなく先生までオレを邪魔者扱いしたことに、頭が真っ白になった。
陸上競技は好きだったし普通に部活をやっていけると思ったのに、裏切られたように感じた。
耐えていたものが一気に崩れ、オレはキレて、その場で休部届けにサインをした。

オレの様子がおかしいと、真っ先に気づいてくれたのは兄ちゃんだ。
なんでオレがこんな目に遭うんだって、やり場のない怒りでむちゃくちゃ荒れた。目に入ったもの何もかも壊したい気分だった。
兄ちゃんはそんなオレを止めてくれた。兄ちゃんにも覚えがある感情だからって、誰より共感してくれた。

そのとき開けたのが、ヘソのピアスホールだ。中二の冬のことだった。


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