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大部屋を出て、男湯のドア前まで行こうとした。だけど途中で休憩スペースが目に入って足を止めた。
スペース自体はたいして広くない。雑誌と新聞、それと有料のマッサージ器が置かれていて、お茶やコーヒーといったセルフサービスのフリードリンクがある。
ソファーに手作りっぽいキルトの座布団が敷かれてるわ民芸品が飾られてるわで、妙にアットホームな空間だ。

考えてみたら、女湯も併設されてる風呂場前をうろつく男なんて怪しいにもほどがある。ここでセンパイが通りかかるのを待っていよう。
ソファーのひとつに力なく腰掛ける。そうして両手で額を覆ってうなだれた。

……マジやばい、すっげーダメージ受けてる、オレ。
出会いは「間に合ってる」、けど、「彼女はいない」――センパイはそう言った。
それは、好きな人か気になる人がいるんだって受け取れる言い方だ。
いや、それだけじゃない。性別を逆手に取って『彼氏』がいる……可能性だってある。

夏休みに入って会わない間に、本当はセンパイに何かあったのかもしれない。
夏期講習でクラスメイトといい雰囲気になったとか、友達だと思ってた男と付き合うことになったとか。
そんな可能性が脳内を駆け巡り、風呂で上昇したはずの体温が一気に下がった。心臓が嫌な速さで音を刻むから、耳の奥でどくどくと大きく響く。

センパイのあの感じからして絶対『ない』と思ってた。
でも実際は離れてる時間のほうが多いんだ。オレ以外の人と仲を深める機会があって当然じゃねえか。
爽やかな清潔感ある見た目で、優しくて和み系。どうしようもないヘタレだけどそんなとこも可愛いと思う人がいるかもしれない。……それはオレか。
それにセンパイはビビリだから、強引に押されると弱いところがある。積極的な相手なら簡単に落ちそうだ。

オレは、どうしてこんな悠長に構えてたんだろう。絶望的にモテない人だからと思って完全に油断してた。

間に合ってるってどういう意味?実は好きな人いるんじゃねえの?
そしてそれを隠されてると思うと死ぬほどヘコむ。
勝手に好きになって知らないうちに失恋してたなんて冗談じゃない。それこそ中学のときと同じだ。

オレはまだ、センパイに何も伝えてない。聞きたい、今すぐにでも。
センパイの好きな人って誰?オレは一人で恋人役気取りしてたわけ?それで、合宿だとか一人で浮かれて――。

「……あー……」

無意識に小さく唸り声が漏れた。
そのタイミングでメッセージ通知が来て、のろのろとスマホを見た。それは兄ちゃんからで、『俺、参上!』とかいう超どーでもいいふざけたスタンプでイラッとした。

「――寒河江くん?」

名前を呼ばれて顔を上げると、すぐそこにセンパイが立っていた。
湿った髪や上気した肌がいかにも風呂上がりって感じで石鹸の香りが漂ってくる。
オレはソファーを離れ、そんなセンパイの前を塞いだ。

「ど、どうしたのこんなとこで。あー……あの、行ったんじゃないの?例の新館の……」
「行ってねーし」

直前に見た兄ちゃんのウザスタンプのせいで、センパイの言葉を不機嫌に遮った。
困った顔で「え?」と聞き返されたから、一呼吸置いてもうちょっと柔らかく言い直す。

「別に興味ないから。つーかオレ、センパイに聞きたいことあったから待ってたんですけど」

するとセンパイはへらっと脱力したいつもの笑顔になって、それを見たら、さっきまで荒れてたオレの気持ちも少し落ち着いた。
逆に何の用かと聞かれて内心焦った。
他の宿泊客も通るようなこんな開けた場所で、「センパイの好きな人って誰なんですか?」なんて言えない。
だけど大部屋に戻ったら由井たちがいるし、誰もいない今ここでさらっと聞くのが一番いいのかもしれない。なにより気が急いてしょうがない。

「……まあいっか。あのさ――」
「ごめん、やっぱちょっと待った」

さっさと言おうとしたそのとき突然ストップがかかった。
オレの思惑がバレたのかとドキッとしたけど、「ねえ、寒河江くん」という呼びかけのあとに、全然思いもしなかったことを切り出された。

「これから俺と、夜の散歩にでも行かない?」
「……はい?」

言われてる意味が一瞬わからなくて呆気に取られた。
オレの反応を面白がるように、センパイが珍しく悪戯っぽい表情を見せる。

「え?……は?えっと、散歩……すか?」
「うん。ちょっとここで待ってて。荷物置いてくるから」
「は、はぁ?」

オレの頭の中ははてなマークでいっぱいだ。
センパイはそんなオレを置き去りにして、音を立てない早足で廊下を歩いて行った。呆然とそれを見送りながら言われた言葉を思い返す。
夜の散歩?どこを?いや、その前にオレ頷いたっけ?
とりあえず言われたとおりにその場で待っていたら、すぐにセンパイが戻ってきた。

「お待たせ、行こう」
「あの……センパイ?」
「部屋戻ったらさ、由井くんたちみんな寝ちゃってたよ。だからもう電気消してきちゃった」

わけがわからなくて戸惑うオレのことなんか目に入らないみたいで、センパイは小声で喋りながら玄関方面に向けて歩き出した。
まさかこの時間に外に出るつもりなのかよ。それってまずいんじゃねーの?
宿のフロントで止められるかと思ったのに、センパイは「浜辺にケータイ落としたから探してくる」とかいうもっともらしい嘘で難なく通り抜けた。
花火のときからカウンターにいる従業員は気安く頷いて、快くオレらを送り出した。

「メチャ簡単に外出れちゃったんすけど……あんな言い訳で大丈夫なんですか?」
「この宿、夜中までチェックイン受け付けしてるからね。それまでは入り口開いてるしちょっとくらい平気だって」

ちょっとくらいって。
ヘタレで臆病なセンパイがまさかこんなことをするとは思わなくて、逆にオレのほうがビビってる。
そういえば、この人が怖がりを発揮するのは『初めて行く場所』で、一回その場所に行けば平気になるタチだった。
合宿で三年連続来ているところならこういうこともできるんだろう。堂々とオレを外に連れ出すセンパイは、めちゃくちゃ頼もしく感じた。

花火のときにも持っていたライトで足元を照らしながら先を行くセンパイの背中を追う。
好きな人と二人きりで秘密の悪巧みをしてるみたいで、一歩ごとに胸の高鳴りが大きくなる。
軽い興奮で息が上がった。湿った夜風に吹かれ、風呂で流したはずの汗がまた全身にじわりと滲む。

「センパイ、待って。どこ、行くんですか」
「この先」

宿の裏手から傾斜をのぼり、やがて見えてきたのは急で長い石段だ。
ここからじゃ上に何があるかわからない。ただ空に向かって伸びているだけに見える。
センパイが無言で上を目指しはじめたから、オレもそれに倣って階段に足をかけた。

目的地も定まらないままにセンパイを追いかける。今はそれが楽しい。
上がりきった先に何が待っているんだろう。けれど、このまま終着点なんてなくてもいいと思った。


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