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由井の指導を受けるにあたって真っ先に怒られたのは座る場所だ。
なんとなく座ってたのが『部長の椅子』なんて知らなかったしセンパイだって何も言わなかったんだ、しょうがないだろ。
そんな暗黙のルールを注意されながら書道部での活動を続けた。
別に書道部で仲良しこよしがしたかったわけじゃない。
由井を除いて元からいる部員たちと気が合う感じでもなかったし、部活にはどうしても苦手意識がある。
それでも目的があって部室に通い、終了時間まで活動してるうちに『オレの席』みたいなものが自然と出来上がっていた。そのことは悪い気がしなかった。

つっても正直、由井のスパルタ指導はきつかった。
由井は人に教えるってことに絶望的に向いてない。「こんな簡単なことをどうしてお前はできないんだ」って否定から入るからだ。
荒い言葉遣いなんかは慣れてるからいいけど、こっちは言われてることをやってるつもりでも由井の求めるレベルに達してないらしい。
極力おとなしく言うことを聞いててもずっとそんな調子じゃ反抗心が湧いてくる。
由井も由井で、自分ができることを何でオレができないのか理由がわからないらしくてイライラが募りまくるっていう悪循環。

そうしてその週の終わり、オレらの不満が溜まり溜まってあと少しで爆発しそうってときに、ようやく待ち望んでいた人が現れた。
小磯の「あっ、部長!」の大声でオレも由井もハッとして顔を上げる。

「何やってるんですか入ってくださいよ!」
「いやぁ、や、やってるねー……楽しそうで何より……」

小磯がいち早く見つけて部室の中に引きずり込んだセンパイは、引きつった笑顔でオレたちを見回した。
久しぶりに見たセンパイの姿は思ったよりいつも通りで、そのことに胸を撫で下ろした。
たった一週間にも満たない出会いで、同じぶんだけ会わなかった。なのに何故か懐かしい気にさせられる。由井から毎日センパイの話を聞いてたからかもしれない。

由井がセンパイに泣きついて文句をぶちまけたからオレもすかさず反論する。これ以上オレの印象を悪くしてほしくない。
そのときセンパイと目が合って、なのにすぐ視線をそらされて、そのことに勝手に傷ついた。
やっぱり避けられてるんだなってのはわかったけど謝るものは謝らなきゃいけない。誤解してたことや態度が悪かったこと、色々と。
そのための最初の言葉を言う前に、センパイのほうから話しかけられたことで意気込みが空振りした。

「寒河江くん、ちょっと筆持ってみて」
「は?」
「寒河江。『は?』じゃない、『はい部長』だろ」
「……はい、部長」

そうだ、由井の言うとおりまずはちゃんとセンパイに対して敬意を示すのが先だろ。そこからはじめないと、ただ謝っただけじゃ意味がない。
オレの改まった態度にセンパイはますます戸惑ったみたいにして視線をさまよわせたけど、おずおずとオレの背後に立った。

「えっと、その持ち方だと書きにくいよね。筆って先が柔らかいからもっと立てないとさ……こう」

言いながらセンパイはうしろから、筆を持つオレの手を少し強い力で包んだ。墨汁の皿の上で斜めに寝ていた筆がまっすぐに立つ。
パフォーマンスであの堂々とした大文字を書いたセンパイの手が、オレの手を握ってる。筋張っていて力があって、思った以上に掌の皮膚が硬い。
センパイの手の温度を感じた瞬間にいきなり心臓の動きがスゲー速くなって、そのまま体だけ硬直した。
緊張で背筋がピンと伸びる。そんで頭の中が真っ白。言葉をきれいさっぱり忘れたみたいに声も出ない。なんだこの感じ。
センパイはそんなオレから手を離して「と、とにかくそんな感じで書いてみるといいよ!」と苦笑いした。

やばい、オレが変な感じになったのがバレた?
言い訳なんかしたらもっと変に思われそうで、オレはただ小さく頷いて黙った。
すると、由井に矯正されて慣れない持ち方でつりそうになっていた手の筋が緩んだ。何度言われても直しきれなかったのに、筆ってこうすれば持ちやすいんだって一瞬で理解できたことに驚いた。

そのあと、今まで気にもしてなかったセンパイの書道姿が見られると思って期待したのに、センパイはこの日、見学だけだった。
やっぱりオレがいるから部活をやる気になれないのかもしれない。でもセンパイがいるだけで部室の空気が全然違った。
由井も猫かぶりを発動して落ち着いてるし、『部長の椅子』とやらに座ってるセンパイの姿は安定感があって、調和が保たれてる感じがした。

ただ一人、オレだけがその輪からはずれてる。
何か言わなきゃって思ってセンパイに視線を送っても、時々目が合ったところで慌ててそらされる。
嫌われてるのはわかってる。でも嫌ってる相手の手なんかフツー握ったりしないよな?
態度の悪い後輩に怒ってる感じでもないし、逆に怖がって怯えてるわけでもない。かといって好かれてるとは思えない。
センパイはオレのことをどう思ってるんだろう。そのことが気になって仕方なかった。

それから部活終了時間ギリギリでなんとかセンパイに謝ることができて、センパイも一応態度を軟化してくれたことに安心した。
これで書道部を辞められる。辞めようと思ったのに、引き止められて嬉しいと思ったオレはどうかしてる。
ここに残ってもいいんだっていう口実がほしかった。だからセンパイに指導を頼んだ。あのすごい字を作り出す人だから教えてほしいってのが一番の理由ではあるけど。
消極的な返事だったものの頷いてくれたから、それほど嫌われてないみたいだってことがわかってまた喜んでるオレ。
先に頼んだ由井には悪いけどあいつのほうもオレに教えることに限界を感じてたみたいだし、こうするのが最善なんだっていう妙な確信があった。

センパイは優しいからオレの言い分を黙って聞いてくれたけど、今からでも『イヤな後輩』の印象をなくしたかった。
こんないい人に嫌われたくない。その一心でどうにかして汚名返上したかったオレは、センパイへの協力を惜しまないことを決めた。そう、例の『彼女作り』だ。
長い黒髪の背の低いおっとりニコニコした料理の上手い……あとなんだっけ、柔らかい巨乳?……とは言ってなかったか。
そこまで揃わなくても二、三個当てはまる子はいるだろうから、そういう好みの子と出会ったときに挙動不審にならない程度に話せるようにすればいい。
見た目だって体型も身長も普通だし、元からの顔のつくりは別に悪くないし、それほど手を加えなくても流行をおさえとけば問題ないと思う。

オレができるのはセンパイの望むとおりにすること。役目を終えたらあとを引かずに立ち去ること。
それが、オレの考えられるせめてもの償い形だった。


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