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抱き合ったまま寒河江くんが落ち着くのを待った。
俺の肩がしっとりと濡れている。
彼がこんな風に泣くなんて思いもしなかった。押し殺していたものが溢れ出したような、こっちまで胸が潰れそうになる泣き方で。
しばらくして呼吸が穏やかになったから腕の力を緩めた。

「寒河江くん……」

掠れた鼻声の、ん、という返事を聞いてから両手で彼の頬を撫でた。涙のあとでかさついてる。
男前が台無し……にならないってどうなってんのイケメン。暗いから粗が見えてないだけ?
寒河江くんが俺の手に掌を重ねてきたのが嬉しくて、ちょっと背伸びをしてキスをした。唇が湿っていて熱い。
唇を離して至近距離で見た寒河江くんは、照れくさそうな笑みを浮かべていた。

「……すいませんでした、色々、マジで。イヤな思い……させましたよね」
「うーん、たしかに失恋気分味わっちゃったけどね。まあ今日のとこはそういう話ナシにしよ。また落ち着いてるときに聞くからさ」
「……はい」

ちゃんと想いが通じ合ってたんだって確信できた幸せに浸らせてほしい。それに俺は今、寒河江くんにいっぱい褒めてもらえたから気分がいいんだ。
もう一回チューをしたら寒河江くんからも優しいキスが返ってきた。
たぶん気持ちの問題だろうけど、今までのキスよりもっとずっと温かさが染み渡る感じがした。
何度かキスをしたあと、突然寒河江くんが現実に立ち返ったような声を上げて俺を引き剥がした。

「センパイ、部室の片付け」
「あっ!そ、そうだね!」

色々あって忘れるところだった。慌てて部室の明かりをつけたら眩しすぎて反射的に目を閉じてしまった。寒河江くんからも「急につけないでください」と苦情がきた。

「寒河江くん、先に顔洗ってきたら?俺、片付けはじめとくから」
「……すいません。すぐ戻ります」

そう言って部室を出た寒河江くんは本当にすぐ戻ってきた。目はまだ赤いけどスッキリしたような顔つきだった。
寒河江くんが書いた展示用の作品は、話し合っているうちに墨が乾いていた。

「これ、今までで一番いい字だね」
「つーかなんですかこの紙。デカすぎなんですけど。嫌がらせかと思いましたよ」
「ご、ごめんね。嫌がらせとかそういうわけじゃないんだけど……ほ、ほら、大きいほうが見栄えいいじゃん!」

今までの練習には、最大で書初め用紙くらいのサイズしか使ってなかった。
散々避けられた仕返しって気持ちもなくもないが、慣れていない大きさの紙を出すことで寒河江くんを足止めしたかったのかもしれない。
でも出来上がったものを見てみると、この悪筆が不思議とある種の味に思える。紙への収まり具合もいい。
もしかして寒河江くんは大きい字を書くほうが性に合ってるのかな。だとしたら俺と同じだ。
作品は折れたり皺をつけたりしないよう注意しながら新聞紙に包み、あとは筆や皿を洗って道具を片付けた。
時々目が合って、そのたびに頬が緩んだ。

壁時計を見るとかなり時間が過ぎていた。といっても書道部は比較的終わるのが早いし校門が閉まる時間までには余裕がある。
部室の鍵を閉めて寒河江くんと二人で校舎を歩いた。運動部はまだ活動中で、おまけに文化祭まであと一週間だからこの時間でもけっこう生徒が残っている。
靴を履き替えて昇降口を出る。その先の前庭にある照明の下に見慣れた小柄な姿があった。
おだんごヘアの春原さんだ。彼女の隣にはギャル子さんもいる。

こんな時間になるまで、春原さんは俺を待っていたんだろう。色々あった今となってはそれくらいの心情は分かる。
声をかけるべきかどうか迷っていたら、目が合った途端、春原さんは小走りで駆け寄ってきた。
そのとき、何を考えたのか寒河江くんが距離を取ろうとしたから、俺は彼の腕を掴んで引き寄せた。

「くっ楠先輩、おつかれさまです!文化祭の準備だったんですか?」
「うん、そんなとこ。そっちも?」
「いえ、あ、ぁの、あのっ……先輩、ちょ、ちょっと今いいですか……?」
「ん?」

帰りの挨拶をして終わり、いつもはそれで済んでいたのに様子が違う。
春原さんは俺と一緒にいる寒河江くんを何回か見上げてはモジモジしている。ただでさえ男子が苦手だという話だから、寒河江くんが近くにいるのが居心地悪いのかもしれない。

「どうしたの?」
「たた、たいしたことじゃないんですけど……あの、これ、よかったら先輩に」

小さな両手で差し出されたのは掌サイズのぬいぐるみだった。ボールチェーンがついていてカバンにでもぶら下げられそうだ。
ぬいぐるみマスコットはペンギンとパンダを掛け合わせたようなゆるキャラだ。
クチバシのついたパンダというか、目の周りが黒いペンギンというか……同じ白黒だからといって混ぜてみたら失敗しちゃった感のある謎の生き物だ。微妙に可愛くない。
けれどこのゆるキャラは俺にとっては馴染みのあるものだ。ケータイにつけているストラップがこれだから。

「これって……」
「せ、先輩のケータイについてたから、もしかしてこのキャラ好きなのかなぁって思って……えっと、手芸部で使ったフェルトが余ってたんで、つっ作ってみたんですけど」

春原さんと連絡先の交換はしてないからケータイは見せたことないはずだけど……あ、アレか!例の痴漢事件のとき、冤罪を被らないよう春原さんに見せ付けるようにしてケータイいじってたんだっけ。
このぬいぐるみ、表情の微妙さや細部まで再現度がすごい。クラフト術が得意だと知ってはいたが彼女の器用さには感心する。
すごいとは思うけど、胸が痛かった。

「――ごめんね春原さん。それ、もらえないよ」
「え?」
「そのゆるキャラ、俺、別に好きとかじゃなくてさ」

春原さんのきょとんとした顔が目に入る。親しみやすさのある美少女だ。彼女を好きになる男子はきっと多いんだろう。
――俺はそうなれなかったけれど。

「……付き合ってる子からもらったお揃いのだから、つけてただけ」

俺の言葉に一番驚いたのはギャル子さんだった。
おととい彼女が俺のところにわざわざ春原さんのことを伝えにきたときから、なんとなく何かがある予感はしてた。
ギャル子さんは友達思いで、春原さんがこれを作っているのを知ってたから俺に事前告知のようなことをしたのかもしれない。
だって、ものを作ることがそう簡単じゃないことくらい分かる。材料だけじゃなく、そこには時間も技術も必要だ。俺が子供の頃から身近だった絵画や書もそうだから。
わざわざそれをしてくれたってことは、少なからず特別な気持ちが込められたものなんだろう。

バスの中で見たゆるキャラが春原さんにとって意味があるように、俺にもあのストラップには思い入れがある。
寒河江くんのことが好きな気持ちを貫くって決めた。だからこそ俺は、春原さんからの贈り物を受け取れない。

春原さんはぬいぐるみを引っ込めてうしろに隠した。笑っているけれど、泣きそうに見えた。

「あっ……で、ですよね!先輩、すごいカッコイイですもん、つ、付き合ってる人、やっぱいますよね……」

かっこよくなんてない。情けないし、怖がってばかりで格好悪い。見た目だって繕ってるだけ。
そういう俺の姿を全部知っていて好きだと言ってくれた寒河江くん。そんな彼は今、隣にいる。

「だからごめんね」
「そんな……っ、わ、わたし、知らなくて勝手に作っちゃっただけなんで、そんなぜんぜん、気にしないでください!」
「じゃあ。もう暗いし、帰り気をつけてね」
「……はい、さ、さようなら……」

春原さんの笑顔が固まっている。
彼女の気持ちにお礼は言えなかった。ただ謝ることしか出来なかった。
その代わり、寒河江くんを捕まえた手に力を込めて歩き出した。


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