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翌朝、バスを降りて学校に向かう途中で寒河江くんが何気なく聞いてきた。

「昨日どうでした?」
「きのう?……あ、春原さんのこと?」

寒河江くんがこくりと頷く。だから俺は「いい子だったよ」と返した。
それから彼女と話した内容を簡単に説明した。やっぱり痴漢をされていたことや、古屋の彼女と同じ部活だということ。俺が書道部の部長だって言ったら、案外書道に興味を持ってくれて色々聞いてきたことなんかを。

「へぇ、そうなんですか」
「うん。そうそう昨日のクッキー、あれ春原さんが作ったんだってさ。すごい器用だよね。簡単だっていうから作り方聞いてみたけど、さっぱりわかんなかったよ。――そういえば寒河江くんって料理できる?」
「全然やらないですね」
「俺も。あ、でも俺、インスタントラーメンと焼きそばくらいなら作れるよ!」

胸を張って自慢をしたら寒河江くんが笑った。
毎日の食事は父さんが作ってくれるし、じいちゃんちの食卓に誘われることもあるので自分ではほとんど料理はしない。が、父子家庭のようなものだから手伝いくらいはするし全くやらないわけでもない。
もしや料理の腕は寒河江くんより上かも?そう思うと謎の優越感。
そんなことを話しながら昇降口に入ったところで、噂をすればなんとやら、春原さんが昨日の友達と下駄箱付近にいた。……おっと、目が合ってしまった。

「おはよう、春原さん」
「お、おはようございます先輩!」

向こうも俺に気付いていたらしくすぐに挨拶を返してくれた。あんなにニコニコして、なんていい子なんだ。
靴を履き替えたら寒河江くんと再び合流して校内に入った。彼とは廊下の途中まで一緒に行くことにしている。廊下の先の階段前、そこがそれぞれの教室に行く分かれ道なのである。

「寒河江くん、今日ってバイトある?」
「ないですよ」
「じゃあまた放課後だね!」

別れ際、寒河江くんが俺の前髪をかき上げた。あらわになった額をじろじろと眺めた彼の顔が半笑いだ。

「……また眉やりましょーか」
「えっ、伸びてる?」
「やばいですよ」
「そんなに!?」

毎日鏡を見てるのにやばいほどとは気付かなかった。とはいえ寒河江くん基準なんだろうけど。彼の美意識は容赦ないな。
そうして放課後には部活前に眉毛を整えてもらった。おまけに今日は彼流の整え方を教えてくれたのだ。
まあ、毎回この調子じゃ寒河江くんにとっても面倒だよな。引退したら部室にも来なくなるし、そろそろ自分でも出来るようにならないと。今度シェーバー買おう。
それにしても、寒河江くんはいつも髪留めピンとシェーバーを持ち歩いてるんだろうか。
部活が終わり、昇降口を出たところで再び春原さんと遭遇した。彼女は前庭で友達と話をしている途中だったみたいだ。

「せ、先輩!さようなら!」
「さよーなら。帰り気をつけてね」
「はい!」

あれ以来、彼女は痴漢被害に遭ってないのかな。ちょっと心配だけど友達も一緒みたいだし、バスの時間が重ならない限り俺が気にしてもしょうがない。
春原さんのことを詳しく知らない由井くんが、首を傾げながら俺の制服の裾をくいっと引っ張ってきた。

「部長、あれって昨日の子ですか?」
「うんそう」
「もしかしてあの子、部長のこと待ってたんじゃないですか」
「へ?」

そう言われても、特にあれ以上の用事はないはずだし心当たりがない。

「それはないと思うけど……ていうかそうだったら話しかけてくるよね?」
「……そうとも限らないと思いますけどね」
「えぇ?」

由井くんの謎めいた言葉に困惑する。用がないのに待ってるって、考えられるのはクッキーの味の感想を求められることくらいか?
クッキーは普通に美味しかった。この普通っていうのがすごいところで、固くももろくもない絶妙な歯ざわりで甘すぎず、これが手作りだというのだから彼女は相当手馴れている。洋菓子店のものだと言われたとしても納得するほどの出来栄えだ。

「そ、そっかぁ。なんか悪いことしちゃったかな?俺から話しかければよかったんだね」

今度見かけたら話しかけてみよう。春原さんは、俺の個人的な印象だけれど話しやすい雰囲気があるし。
由井くんと駅で別れたあと、すぐバスには乗らずに寒河江くんと駅前のコンビニに入り、パックのコーヒー牛乳とコロッケパンを買った。寒河江くんはペットボトルのお茶と新商品の菓子パンだ。
間食片手に堤防沿いをしばらく歩き、石造りの階段に並んで座る。二学期からはじめた放課後デートというやつである。

夏休みが終わってからずいぶんと日が短くなってきた。残暑も長引かず、もう秋なんだなあとしみじみ思わされる風の匂いがする。
薄暗い中で黙々と空いた腹を満たす。俺と寒河江くんは始終喋り通しというわけじゃない。だけどこういうときの沈黙ですら苦にならない。

「寒河江くん、それ美味い?」
「このパンですか?まあそれなりに。ひと口食べてみます?」
「ううん、いいよ。今度それ買ってみよーかなって思っただけだから。……ていうかさ、そろそろ文化祭の展示のやつ完成させよっか。墨乾かす時間とか展示の配置も考えなきゃいけないからね」
「……はい」

そう応えた寒河江くんは、どこか心ここにあらずといった様子で暗くなっている遠くの空を見上げた。


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