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それでもせっかく登校デートの話題になったわけだし、次の日からためしに乗るバスの時間を合わせてみようということになった。
まずは寒河江くんが早起きをして俺がいつも乗るバスに。そしたら、寒河江くんは目が半分しか開いておらず、何度もあくびをした末に立ったまま寝だした。
髪型や制服なんかの身だしなみはびっくりするほど手抜きで、いかにも急いで用意しましたっていうのが丸わかり。
合宿のときは早起きしてたじゃん!あれは何だったんだ!……と放課後になってから聞いてみたら、いつもと違う場所で寝るのと日常生活の起床では勝手が違うらしい。

俺のために無理をさせるのも申し訳ないので、翌日は俺が寒河江くんのバスに合わせた。
そうしたらめちゃめちゃ混んでるんだよ!こんな満員バス、学校に着く前から疲れる!
寒河江くんは慣れているようで疲れは感じてないみたいだった。しかも降りてからも早足で学校に向かわなきゃいけないなんて何かのトレーニング?
元陸上部の寒河江くんは足取りが軽快で、一方俺はヒーヒー言いながらあとを追うのがやっとだった。
無事時間内に学校に着いたあとぐったりしていたら、彼にたくさん謝られてしまった。

そんなわけで、俺は一本遅いバス、寒河江くんは一本早いバスということで手を打った。
いつも乗るバスより混んでいるけれどぎゅうぎゅう詰めではない。寒河江くんもあんまり眠そうじゃないしちゃんと身支度もできてる。
通学時間にちょうどいいのか比較的学生が多いみたいだ。自校や他校の制服が入り乱れている。
バスを降りる頃には寒河江くんの目もぱっちり冴えて楽しく登校することが出来た。
これで憧れの登下校デートができる!――と、思ったのに。



『ねぼうしました』

――翌日の金曜日、そんなメールが俺のケータイに届いた。もうバスに乗っちゃったあとで。
いや!まだ始めたばかりだ、そんな急に変えようとしても難しいよね!……うん、大丈夫だぞ寒河江くん!
しかしこのメッセージをもうちょっと早く送ってもらえたら、一本遅らせて遅刻ギリギリ満員バスに乗れたのに。なんとも間が悪い。
『わかった。また来週に期待する』、ちょっと窮屈な車内でそんな風にメールの返事を打った。

昨日と同じくほどほどに学生で混んでいるバス。
手すりにつかまって考え事をしていたらしばらくしてポケットでケータイが振動した。たぶん寒河江くんからの返事だろうし、あとで見ることにしよう。

『亀ヶ林小学校前』に停車したとき、もしかして寒河江くんが奇跡的に間に合ったんじゃないかと淡い期待を込めて乗車客をチェックした。はい、いませんでした!
乗車ドアを見るために立ち位置をずらしたせいか、背中というか腰あたりに硬いものが当たる感触がした。
やたらと何度もガツガツ当たるから気になって振り返ったら、うしろに立っている人の手提げカバンのせいだった。重そうな大きい黒のカバンで、その角が当たっているのだ。

ふと、違和感を覚えた。
そこまで満員バスでもないんだから、ただ持ってるだけでこんなに人にぶつかることってないよな。
改めてもう一度うしろの人のカバンをよく見る。カバンを持っている手が隣の人の尻周りにぶつかっている。
いや、腕を開き気味にしてわざとぶつかるようにしてる?

カバンを持っているのは、青いTシャツを着た大学生風の痩せた男で、その隣は俺と同じ学校の制服の女子だった。
彼女は頭の上のほうで髪の毛をふんわりと丸くまとめている。俺の目の前にそのおだんごがあって、うしろ姿だから表情は分からないけれど、じっとうつむいていた。時々体をよじったりスクールバッグを男の側に持ち替えたりしている。
女子は隣の男に話しかけるようなそぶりもないし、どうやら知り合い同士じゃなさそうだ。

――あれ、もしかしてこれって……痴漢?

その可能性に思い至った俺は、急に心臓がドクンと大きく脈打った。
ど、ど、どうしよう!他の人は気付いてないの!?
ベタベタ触ったりしてない。あくまでカバンを持ってる手が不可抗力で隣の人に触っちゃった、みたいに見える。その回数が多すぎて不自然に思うのは、俺と――彼女だけみたいだ。
彼女も、もしかしてただの偶然かもしれないと思っていて、はっきりできずにいるのかも。
じゃあだからといって、俺が男に向かって「触るのやめろよ」と言えるかというと……できるわけがない。
だいたい、喋ってないだけで二人が本物の恋人同士で、彼氏が彼女にちょっかいをかけているという可能性もあるかもしれないじゃないか。

けれど、俺はパッと夏休み中のことが頭をよぎった。そう、由井くんと間違われてマッチョボウズ男に抱きつかれた事件だ。
知らない人に触られたりするのはすごく怖いことだ。どうしていいか分からず、声も出せなかった。
だから、このおだんご女子も同じ不安に苛まれているかと思うといてもたってもいられなくなった。
あのときは寒河江くんがいたから助かった。でも今は、俺がその役を引き受けようじゃないか!
もしも二人が恋人同士で特殊なプレイの最中だったとしても、そのときは俺が謝ればいいんだ。

とはいえ根が気弱な俺が寒河江くんみたいに格好良くできるかというと、100パー無理だ。おまけに車内の注目を浴びたりしたら、俺はいいけど彼女に恥をかかせることになりかねない。
この青Tシャツ男だって、本当に偶然に手が当たっちゃってるだけで何も意識していないのかもしれない。その場合、痴漢冤罪は男が完全に不利だ。俺もそうならないよう常日頃から重々気を配っている。
迷ってる時間はない、でもどうしたら――と考えていたそのとき、五番バス名物、急カーブにさしかかった。

バスがガクンと大きく揺れた瞬間、ここだ!と直感した。

体勢を崩したふりをしてうしろにあとずさる。そして青Tシャツの男に思いっきりぶつかった。
男はあんまりこのバスに慣れていなかったみたいで俺と一緒にぐらっと揺れた。チャンスとばかりに男と女子の間に割り込む。

「おっとー、あっすみません」

超棒読みの小声で謝りつつ男の顔を見た。痴漢をしそうに見えないキリッとした真面目っぽい人だ。
そんな青Tシャツ男にじろりと睨み返されてヒヤッとした。しかし彼は、俺の謝罪に返事はせずそっぽを向いただけだった。
男が立つ位置を変えようとしたので、俺はできるだけ彼にぴたりと張り付いた。どうだ、いきなり意味もなく見知らぬ野郎に密着される気持ちは!
ついでに女子との間を空けた。だって今度は俺が痴漢だと思われたら色々とやばい。

女子が立っている側の手でケータイを取り出して、高めに上げた。触ってないし触る気もありませんよという意思表示、かつ痴漢冤罪防止である。
ちょうどいいから寒河江くんからのメールチェックでもしよう。

カーブからの思いつきでここまでやってしまったが、心臓はありえないほどドクドクいってるうえに手もブルブル震えてる。
Tシャツ男に怒鳴られたらどうしようって怯えてるし、女子に気味悪がられてるかもしれないと思うと冷や汗が出る。自分のした行動が怖い。それでも俺は、後悔はしていなかった。

二人がどう出るかとビクビクしていたら、Tシャツ男は終点のひとつ前の停留所でバスを降りた。よかった、これで一安心だ……。
終点である駅前で降車した俺は、おだんご女子に文句を言われる前にと早足で学校へと向かった。たまたま同じバスに乗り合わせた生徒、そんな顔をして。
三メートルほど進んだそのとき寒河江くんから着信があったので、ほぼ小走り状態で歩きながらケータイを耳に当てた。

『おはよーございます、センパイ。バス降りました?』
「おはよう!今降りたとこ!な、なに寝坊してるんだよー」
『すいません、アラームの設定間違えちゃって。……ってセンパイ、なんか声おかしくないですか?風邪?』
「そ、そんなことないよ!?」

バスを降りた瞬間から、緊張の糸が切れて泣きそうになってるなんて、そんな情けない報告はできない!


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