32


さあっと柔らかい風が俺たちの間を通り抜けた。寒河江くんの髪が揺れる。それに合わせて俺の鼓動もとくとくと速まった。

「――オレ、センパイに聞きたかったことがあるんです」
「あ!そ、そういえばそんなこと言ってたね。なに?」
「さっき……あー、あの、女子大生の部屋に行くとかって話してたときのことなんですけど」
「うん?」
「センパイが言ってた『間に合ってる』って、どういう意味ですか?」

どういう意味って、それこそどういう意図で聞いてるんだろう。
裏も表もないそのままで、言った俺でさえ深い意味なんて考えてない。

「つまり……ぶっちゃけ出会いのチャンスだったわけじゃないですか」
「そのこと?えっと……だ、だって大人のお姉様との出会いとか怖いじゃん……」
「うんまあ、センパイならそう言うだろうなって思ってました。だから誘っても来ねーよって前もってあいつらには言っといたんですけど、でも――」
「?」
「『間に合ってる』ってことは、その、気になってる子とか好きな女子が他に出来たのかなって思って……」
「あ」

そうか、たしかにそう取られる言い回しだ。無意識に出た言葉だったけれどどうしてそれが出てきたんだろう。
いや、もう答えは出てる。輪郭をはっきりさせていなかっただけで。

「オレ、そんなのひと言も聞いてなかったから結構落ち込みましたよ。彼女作りに協力してるんだし、そういうのはオレに真っ先に言ってくれるもんかと思って……」
「いやいや!えっとあれは言葉のアヤというか……全然そんなんじゃないよ!?俺だってそんな人が出来たら真っ先に言うつもりだし!」
「……ほんとに?」
「うん……つーかごめん、寒河江くん呆れてるかと思った。俺が、女子と知り合う機会から逃げたから」

いつもみたいに深い溜め息が聞こえてくるかと思いきや、耳に届いたのは全く違う、静かな声だった。

「……あのさ、センパイ」
「は、はい……」
「センパイってほんと、肝心なとこでダメですよね。女子に縁がないっつーかむしろ積極的に自分から逃げちゃうっつーか」
「うぅ……ごめんなさい……」
「だからもう、オレでいいんじゃないですか?」

え?と聞き返そうとして言葉に詰まった。
引っ込んでしまった声のありかを探して喉を押さえると、声にならない吐息が漏れた。

「……由井を脳内彼氏にするくらいだったら、いっそオレにしとけば」

茶化すような言葉なのに、寒河江くんの声音も瞳も真剣だった。欠片も笑っていない。
だから俺も、笑わずに返した。

「うん……そうしようかな」

ようやく気がついた。
寒河江くんを夜の散歩に連れ出したこの昂り、高揚感はあのときと同じだ。『永』の字を書いた、あの日と重なる。
ずっと感じていたムズムズの正体も心のどこかでわかっていたんだ。彼女なんていらない、今のままでいいのは、寒河江くんと一緒にいたかったから。寒河江くんと離れたくなかったから。
その寒河江くんが、暗闇のなかで優しく微笑んだ。

「じゃあ、せっかくだしチューでもしときます?」
「えぇっ!?ちゅ、ちゅう!?」

チューってことはキキキッスですか!?
俺のイメージでは、付き合ってから一日ないし数日間置いてデートなどを重ねお互いの気持ちを確かめ合ってから初チュー……って段階を踏むものだと思ってたんだけどな!

「イヤならしませんけど」
「そんなことはないよ!?よ、よし、やっとこうぜ!」

展開が早くて思考の処理が追いつかないだけだからね!しかし俺も男、やるときはやるのだ!
ギュッと目をつむって、ええいままよと寒河江くんの肩に手を置いて顔を近づけた。
けれど寒河江くんは俺の肩を掴んで引き剥がし、ブルブル震えながら笑いを噛み殺した。

「センパイ、センパイやばい、緊張しすぎてガッチガチじゃないすか」
「そそ、そんなこと言ったって、お――」

俺初めてで、と言おうとしたそのとき、頬と口の端の境目あたりにムニュッと柔らかいものが触れた。
驚いて閉じていた目を開いたら間近に寒河江くんの顔があった。潮風より熱く湿った吐息がかかる。
脈打つ鼓動は速く、血が全身を巡る。熱い。なにもかもが。

夜の虫の音、草いきれの青いにおい――唇に触れる、唇。


俺のファーストキスは、相手が後輩で、男で。
そして、海の香りがした。


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