29


入浴が一足遅れた俺は後輩たちより出るのも遅く、着替えにもたついた。
パジャマ代わりのTシャツとハーフパンツ姿で脱衣場を出たけれど、風呂上がりの熱と熱帯夜の暑さでちっとも汗が引かない。
宿の廊下にあるレトロな柱時計を見たら、もう九時を過ぎていた。

俺たちが泊まっているのは本館だ。数年前に増築したという新館は、この先にそっちへ繋がる通路がある。
様子を見に行こうとしてフラフラと足が動いたが、ハッとして踵を返した。
今更行ってどうするっていうんだよ。能天気に「やっぱり参加させて」なんて言ったら水を差すだけに決まってる。

肩を落としながらトボトボと来た道を帰る。
廊下の途中にある共用の休憩スペースを通りかかったとき、人の気配に気付いてなんとなくそこを覗き込んだ。
そうして視界に飛び込んできた人物を見た途端、心臓が跳ね上がった。

「……寒河江くん?」

寒河江くんがぽつんとソファーに座っていた。
俺が声をかけると彼は操作していたスマホをスウェットのポケットにしまった。ぎし、とソファーが軋み、寒河江くんが俺の目の前に立った。
休憩スペースには寒河江くんの他に誰もいない。彼の友達も、誰も。

「ど、どうしたのこんなとこで。あー……あの、行ったんじゃないの?例の新館の……」
「行ってねーし」
「え……?」
「別に興味ないから。つーかオレ、センパイに聞きたいことあったから待ってたんですけど」

淡々とそっけなく返されたにも関わらず、俺は内心ホッとしていた。
寒河江くんがお姉様方の誘いには乗らなかったんだと知ってついつい頬が緩んでしまった。

「えぇと、聞きたいことって?」
「あー……や、ここだと……まあいっか。あのさ――」
「ごめん、やっぱちょっと待った」

彼の言葉を遮り、俺は、速くなりはじめた鼓動を落ち着かせるようにひとつ大きく息を吸った。

「ねえ寒河江くん。これから俺と、夜の散歩にでも行かない?」
「はい?」

きょとんと目を見開いた寒河江くんの驚いた表情を見て、してやったりという気持ちになった。


寒河江くんをその場に残して、俺はまず着替えやタオル類を大部屋に置きに行った。まだ消灯には時間があるはずなのに『元から書道部員班』は布団の上で全滅してた。
『新入部員班』の姿がないってことは今頃彼らは女子大生たちの部屋にお邪魔してるんだろう。
部屋の電気を常夜灯にしてからポケットライトを握り締め、休憩スペースへと戻った。
宿のフロントには「花火のとき携帯電話落としちゃったみたいなんで探してきます」と声をかけた。

俺は今、すごくドキドキしてる。宿の人に嘘をついた後ろめたさからじゃない。これはいつか感じたことのある昂りだ。
この高揚感はなんだろう。だけど今の気持ちに逆らいたくなくて、半ば強引に寒河江くんを外へと連れ出した。

「メチャ簡単に外出れちゃったんすけど……あんな言い訳で大丈夫なんですか?」
「この宿、夜中までチェックイン受け付けしてるからね。それまでは入り口開いてるしちょっとくらい平気だって」
「でも……」

なんだかいつもと逆だ。先を歩く俺に寒河江くんが慌ててついてくる。
花火のとき空はまだ少し明るかったけれど、今はすっかり真っ暗だ。生温い風が風呂上がりの湿った肌を舐める。月は白く小さく見えた。

宿の裏手側へと回って海方面から遠ざかった。ライトで足元を照らしながら夜道を歩く。自分の記憶を探りながら慎重に、足早に。
少し離れた場所に長い石階段があり、その先は高台になっている。よかった、ちゃんと覚えてた。

そうして着いたのは広めの公園だ。遊具類はないけれど遊歩道や広場があり、なんといってもここからは海がよく見える。
夜だから海はほとんど黒い水たまりにしか見えないが、それでも空に浮かぶ月や海沿いの様子が一望できる場所だ。昼間にはない、幻想的な風景がそこにある。
小走りに着いてきた寒河江くんは、俺の視線の先を追って感嘆の声を上げた。

「すっげー……なんですかここ、超景色いいじゃん」
「でしょ?」
「センパイ、なんでこんなとこ知ってんですか?」
「一年のときの合宿でね、自由行動で友達と見つけたんだよ」

景色を一望できるスペシャルスポットである手すりに俺が腰かけると、寒河江くんも倣って隣に座った。
この場所から外灯は遠いが真っ暗じゃない。周囲が少し暗いほうが景色が綺麗に見えるのだ。
階段を駆け上がってきたせいで息が荒い。でもそれだけじゃない胸の高鳴りがある。

「友達?部活の先輩じゃなくて?」
「あーそっか、寒河江くん知らないんだったね。一年のとき、俺だけじゃなくて同学年の部員がもう一人いたんだよ。古屋っていうんだけど……放送部の、聞いたことある?」
「放送部……フルヤ先輩……ちょっとわかんないっすね」
「顔は知らなくても声は絶対聞いたことあると思うよ。とにかくそいつがさ、当時は書道部と放送部のかけもちだったんだよ。放送部に専念するっつって一年でやめちゃったけど」
「へえ……」

空を仰ぎ、海から吹いてくる風を肺いっぱいに吸い込んだ。
少しべたついたような独特の潮気がある。だけれど生い茂る草木を揺らすさらさらとした音や風景の開放感も相俟って気持ちがいい。

「あいつ海で泳ぐの好きじゃないらしくて、二日目の自由行動は古屋と一緒にこの辺の探検してたわけ」
「探検……」
「あっ、いまガキだって思った?いーじゃん探検!超楽しかったよ!?」
「思ってないですって。や、でも散歩とか散策とか他にも言い方あんじゃん。ちょっと恥ずかしくないですか?」

恥ずかしいもんか!探検――なんと心躍るワードだろう。
寒河江くんだって男なんだから、このトキメキわかるよな?わかってくれ!


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