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萱野とは、校内や体育祭で遠目に見かけることは何度かあったが、まともに会うのはあの若林のイジメ事件以来だ。キスどころか話すらしていない。
俺も俺で委員やテストや体育祭の面倒事が重なっていてそのことをあまり気にしてなかった。
萱野のしなやかで上品な立ち姿も綺麗に整った顔立ちもどこにも変わりはない。しかし弱々しく浮かべられた微笑みに胸の奥がざわつく。

「萱野、俺に何か用?外じゃなくて部屋で待ってれば良かったのに。若林いなかった?」
「うぅん、いたけど彼に悪いと思って」
「……まあ別にいいけど。なんかお前とすげー久々に話したような気がすんな」
「そうだねぇ。僕、ちょっと謹慎を受けてたから」
「謹慎!?」

萱野が謹慎処分なんて初耳だ。そんな大事件があれば俺の耳にも当然、風紀の監査経由で入ってくると思うのだが噂すら聞いてない。
どういうことかと目で問うと、萱野がその美しい顔に苦笑いを滲ませた。

「……学校の、じゃないよ。親衛隊のね」
「え?あ、そ、そーゆーのあるんだ。親衛隊って」

内部で何かゴタゴタが起こったのか、親衛隊っていうのも楽じゃないんだな。
しかし仁科様親衛隊長の萱野がどうして謹慎なんか受けたんだ?てか謹慎って何を制限されるんだろう。親衛隊活動?活動っていっても何をしてるのか――生徒会室の警護当番くらいしか知らないんだが。
俺の言いたいことを雰囲気から読み取ったのか、萱野が傍に来て小声で喋った。

「僕がねぇ、志賀ちゃんに余計なこと吹き込んだせいで、仁科様に怒られちゃった」
「は?俺に何を教えたって?」
「親衛隊のこと、とか」

親衛隊のことと言われて忘れかけていた記憶を辿り、瞬時に思い返す。
若林のイジメ騒動のときに聞いたアレのことか。親衛隊のあり方とか制裁の有無とか。ああいう情報って内秘だったんだ。

「……それってつまり、聞いた俺のせいだろ?なんか悪かったな」
「ううん、志賀ちゃんが思ってるようなのとは違うよ。自分のせいだからそこは気にしないで。志賀ちゃんと接触禁止になったくらいだから」

接触禁止?仁科の親衛隊って結構厳しいんだな。掟みたいなものでもあるんだろうか。
むしろアイツが他人に罰を与えるほどに怒ることがある事実のほうが驚きだ。

「んで、今俺の前にいるのはその謹慎が解かれたってこと?」
「少し違うんだよね。僕は、ひとつの使命を帯びてここに来たの」
「なんだそれ」

萱野のひんやりとした手が俺の頬を撫でる。少しかさついた指先が唇をなぞり、そして離れた。

「仁科様のメールの返事、聞かせてくれる?」
「……あー、そういうこと」

俺がメールをシカトすると思って萱野を派遣してきたわけか。パシリここに極まれり、だな。

「フツーにメールで返事するつもりだったのに」
「断るつもりでしょ?」
「わかってんなら聞くなよ」
「だから僕が来たんだよぉ」

要するに俺に拒否権はないってことか。
『志賀ちゃん。デートしよ』――たったそれだけの一文からそこはかとない圧力を感じる。
デートしようなんて気軽で冗談みたいな言葉だが、たぶんヤツは俺にとって愉快じゃない話をするつもりだろう。
例えば、三春のことについてとか。今日三春と一緒に食堂行ったのは失敗だったな。

「なに、今から?」
「いま仁科様は体育祭副賞のデート中だから、明日」
「あー俺も明日はデート権の任務があんだけど?」
「だめ、だよ。明日。仁科様がそう言ったから」

萱野に断言されて思わず言葉を飲み込む。世界はアイツを中心にでも回ってんのか?

「……明日の夜、今くらいの時間にまた僕が迎えに来るね」
「逃げ場なしかよ」
「仁科様から逃げたいの?」

何気なく言ったことを真正面から切り返されドキッとした。
俺は逃げたいんだろうか、仁科から。そりゃそうだ。アイツがちょっかい出してこなけりゃ俺だって穏やかに日々を過ごせるはずなんだ。

「……志賀ちゃんはさ」

萱野の紅い唇が近づき、頬に触れた。小さい掠れ声が耳元に届く。

「極端だね」
「え?」
「どうして中間がないのかな。……ああ、逃げるとか逃げないの話じゃなくて。どうして仁科様なの?」

謎かけのような、責めるような萱野の言葉が俺に突き刺さる。顔がカッと熱くなった。
萱野は知ってるのか。俺が仁科に対して恋愛感情があることを。そして俺自身気付いていなかった『何故よりによって仁科なのか』っていう真意も。
極端――これに尽きる。

「僕が言うのも変だけど、仁科様のやり方はひどいと思うよ。でも志賀ちゃんもいい加減どうなのかな」
「萱野……」
「……こういうこと言っちゃうから、僕ってダメなんだろうなぁ」

親衛隊長失格だね、と自嘲する。
寮の廊下は俺達以外に誰もいなくて、しんと静まり返っている。萱野に対してどう返答していいのかわからなくて口を開けたり閉じたりを繰り返した。
そんな俺の唇にほっそりした指先を触れさせた萱野は、妖艶な笑みを見せた。

「僕は志賀ちゃんのこと好きだよ。仁科様が構いたがる気持ちが分かるくらいには」
「…………」
「また明日、ね」

俺は萱野の姿が見えなくなっても、呆然とそこに立ち尽くした。


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