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二人きりになった監査室にくすくすという仁科の小さい笑い声が響いた。

「……お前、なんでいんの。赤組の大将がこんなとこにいたらまずいんじゃねーの?」
「えぇ〜?別に俺がどこにいたっていーじゃん?」
「よくねーだろ……。つか、金。勝手に立て替えてんなよ」
「立て替えてなんかないよー。あれ志賀ちゃんのお金だし、返しに来ただけ」
「は?」

仁科は椅子を引き寄せて、膝を突き合わせるように俺の対面に座った。
机に頬杖をついて正体不明の怪しい笑みを浮かべている。

「ほらぁ、一緒に食堂で食べたときにさ、志賀ちゃんが置いてった千円」
「え、あ、いやあれってお前が俺の分までチケット買ったからその分の金のつもりだったんだけど」
「いらない。だから返しに来たの」

つまりあれは仁科の奢りだったってことか。
それにしたってこの日に、このタイミングで?俺はどうにも腑に落ちなかった。
釈然としない心持ちで整った顔をじっと見つめると、ヤツは血色のいい唇を引き結んだ。

「……志賀ちゃん、余計なことしないでよね」
「余計って……何が?」
「シラタマ使ってコソコソ調べたりして……そーゆーの、やめてよ」
「なんでお前がそんなこと言うわけ?関係ねーじゃん」
「関係あるよ」
「ねーだろ」

その時ジャージのポケットに突っ込んだスマホがブルブルと震えた。
取り出してみるとメールが届いたみたいだった。たぶんさっき言ってたミネ君からの写真添付メールかもしれない。
ところが仁科があっという間に俺のスマホを取り上げ、勝手に操作しはじめた。

「お前何して……」
「つまんない情報なんて消しちゃうねぇ」
「仁科!?」

ロックがかかってるはずなのだが素早くそれを解除して、メールを消去したみたいだった。
コイツ、なんで俺のスマホのロック番号知ってんだ?
湧き上がる恐怖に似た感情に言葉も体の動きも金縛りのように止まってしまった。

「……志賀ちゃん」

スマホを机に置いてにっこりと微笑む仁科。それがどうしても笑顔に見えなかった。むしろ、すごく怒っているように見えた。

「志賀ちゃんが知る必要ないよ」
「……に、し……」
「なぁんにも知らないままでいいんだよ」

真綿で首を絞めるような、それでいて煮詰めたシロップのようなとろりとした甘い声音。
冷や汗がうなじを伝う。
ごくりと唾で喉を潤して、ようやく声を絞り出した。

「だって、若林が……」
「若林って子がそんなに大事?」
「大事とか、そーゆーことじゃなくて、同室、だし、色々あったし、フツーに気になるだけで……」
「俺だって同室だったし志賀ちゃんの友達でしょ。だったら言うこと聞いて」

めちゃくちゃな言い分なのに思わず頷いてしまいそうな妙な説得力をもって俺の耳を侵す仁科の声。

「ここに来て」

腕を広げて仁科が誘う。眩暈がした。

「俺にキスして、理仁」

毒を含んだ甘い誘惑。
嗅ぎ慣れた香水の匂いが俺の思考力を奪っていく。それに抗うように片腕で顔を覆った。

「……ほんと……もう、やめてくれ……」
「理仁?」
「お前、わかっててやってんだろ……」
「わかんないよ。俺は言われたこと以外のことはわかんない」

少し顔を上げて仁科を見る。その表情はひどく悲痛で、悩ましげだった。
ずくん、と心臓が跳ね上がる。

「食堂で、言ったじゃない。キスしてくれるって」
「…………」
「理仁、おいで」

ゆるりと腕を引かれて、その抗いがたい誘惑に、俺はついに負けた。


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