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薄暗くなってきた空の下、走る寸前の早足で地面を踏みしめる。幽霊かゾンビにでも遭った気持ちで歩調と呼吸の速度が揃う。
そうして無心で足を動かしている最中、うしろから強い力で腕を引っ張られた。

「――って、待って!リヒトくんっ!!」

その大ボリュームの声でハッと我に返った。同時に狭まっていた視界が開ける。
気がつけば、校舎を抜けた先の食堂付近で三春に引き止められていた。帰寮途中らしい周りの生徒たちが何事かとこっちをじろじろ見てる。

「……わり、三春。なんか、急に」
「い、いいよっ、そんなっ。でも、あの……リヒト君、顔が真っ白……大丈夫?」
「ああ」

言われて片手で目元を覆う。
ダメだ、やばい。押し込めていたものが溢れそうだ。
腕には痛いくらいの馬鹿力で三春の指が食い込んでる。それを剥がすことなく、三春をひと気の少ない場所へと引きずっていった。
建物の影に隠れたら、俺は、掴まれた腕ごと三春を壁に追いやった。
背中のデイパックがクッションになって何かが潰れる音がした。

「――お前、知ってたのかよ」
「えっ……えっ?」
「深鶴さんとお前が親戚ってのは、本当なのかって聞いてんだよ!」

壁に押し付けながら三春に低い声で迫る。
こんな真似をしたら三春は怯えて泣き出すかもしれない。けれどすぐに答えがほしくて余裕なく圧力をかけた。
案の定、三春は顔を真っ赤にして涙目になっている。それを見ても、罪悪感より腹の中に溜まった熱が上回っただけだった。

「ぁあの、ごめんっ、ごめん、ね、リヒト君」
「どういうことなんだよお前!あの人のこと、知ってて俺に――」
「ほんとっ……ごめんっ!し、知らな……おれ、みつるって人のこと……!」
「……は?」

俺の口が間抜けな半開きになった。対して三春は舌を噛みそうな勢いの早口で一生懸命喋りはじめる。

「おれ、そ、そんな、おじさまのしし親戚の人とか、知らなくて……ッ。にっ仁科様もリヒト君も、ともだち?な、何クラス……あっ、大学って言ってた……大学生?なの?」
「や、その」
「……おれ……き、嫌われてるの?その人に……」

会ったことないのに、と、三春が沈んだ声でつぶやいた。下を向いた大きな瞳からは、溜まった涙が今にもこぼれそうだ。
そういえばさっき天佑は『深鶴は遠縁』って言ってた。そのうえ歳も上となると、親戚といえど本当に三春は付き合いがなかったのかもしれない。
これでこいつが嘘をついてたとしたらすげえ役者だ。それくらいおどおどして体が震えている。
なにより俺は、三春のことを疑いたくなかった。苦々しい思いで押さえつけていた手を緩める。

「……ごめん、悪かった。こんなことして」

ちょっと冷静になってみれば、無抵抗の気弱なヤツを無理矢理脅してるようなひどい体勢になってる。
しかし三春は、溢れる直前の涙を拭いながら頭を振って健気な笑みを浮かべた。

「そんなの、おれ……リヒト君に何されても、大丈夫!気にし」
「あーらら、浮気現場はっけーん」

三春の言葉を遮った声に二人して固まった。
色々な意味で、こいつにだけはこの状況を見られたくなかった。――天佑だ。
天佑は、俺らがいなくなったあとすぐに『休憩』を終えて戻ってきたんだろう。逆にこっちが追いつかれたわけだ。

「なんかぁ、理仁が俺のこと探してたよーって、いろんな子に言われたから来たんだけど?何してんの?」
「あぁ、その、いや」

マジで何もかもタイミングが悪すぎる。
言うべき言葉が見つからなくて口ごもると、腰にするりと天佑の手が回された。そのまま流れるような仕草で引き寄せられる。
頬に唇が触れた。くすぐったいそれは、次に俺の唇に、軽く。

「……俺に会いたかったの?」

天佑が色っぽく囁きながらもう一度キスを仕掛けてくる。優しい口付けに体の力が抜けていく。
脱力したついでに、すぐそこにいるヤツの存在も思い出した。
慌てて見ると、三春は壁に寄りかかったまま今にもへたり込みそうで、夕焼けに負けず劣らずの真っ赤な顔を両手で覆っていた。

「あっ、おれっ!ジャマして、ご、ごめんなさいっ!まままたねリヒト君っ!」
「ちょっ……三春!?」

引き止める前に、三春は俊足を生かして瞬く間にいなくなった。あいつマジで小動物っぽい。
三春がいなくなるや否や、何故か今度は俺が壁に追い詰められた。天佑のニヤニヤ顔がすぐそこに迫る。

「も〜、俺が見てないとこで浮気なんてひどくない?」
「違う!全っ然ちげーし!そうじゃなくて、お前を探してたのは」
「うん?」

話を聞く気があるのかないのか、また唇を塞がれる。
開いた隙間を縫って舌が入り込んできたら、鼻にかかった呻き声が出た。
そうされると気持ちいいことを体が覚えていて、柔らかい舌をすんなり受け入れる俺。
人前でするキスに慣れすぎてたせいか、こんな風に人目を避けてする屋外のキスが妙に新鮮でゾクゾクした。

「ん、ぅ……」

シャツの裾を潜り抜けた天佑の長い指が俺の肌を直に撫でる。
互いに熱く汗でべたついていて、セックス直後の素肌を思い出した。
しかし単なるおふざけだったらしくて行為はそれ以上続かなかった。かわりに耳元でそっと囁かれる。

「それで、どうかしたの?」
「あ、あぁいや、実は謝りたくて」
「んん?何を?」
「それが……ごめん俺、どっかに落としたっぽいんだわ。――寮の鍵」

決まり悪く告げると、天佑は一瞬きょとんとした。だけどすぐに思い至ったらしく頷いた。

「あ〜あれね!ん、わかった。言っとくからいーよ」
「い、言っておくって誰に?会長とか?つか先生?」
「んーん?まぁ、こっちで探すから心配しないでってこと。合鍵もあるし」

あんまりにもあっけらかんとした返答に、正直拍子抜けした。
天佑は笑いながら、白玉にしたみたいに俺の額をちょんとつついた。安堵で俺の眉尻が情けなく下がる。

「なぁに、怒られるとでも思ったぁ?」
「だってアレ、ほんとは貸し出し禁止なんだろ?俺が説教されるとか弁償すんのはいいけど、お前にも罰則がいくんじゃねーかって思って……」
「ふふ、やさしーね。でも大丈夫。理仁に勝手に預けたのは俺のほうだもん。ね?だからぁ、そーんな顔しないのー」

包み込むように両手で頬を撫でられる。そしてその手は俺を抱き寄せた。
天佑の背に腕を回して密着すれば、ささくれ立っていた気持ちが穏やかに凪いだ。
いつも思うが、こいつはこんな夏の放課後でも汗の不快な匂いがしないのが不思議だ。
腕の中に収まると溶けそうになる。あの茶色いうさぎみたいに。

「でも――」
「ま、なんか埋め合わせしたいってんならこのあと生徒会終わるまで付き合ってよ。も〜ちょ〜つまんなくて死にそうでさぁ。理仁いてくれたら頑張れるからぁ」
「そんくらい別にいーけど……」

むしろそんなんで許すつもりなのか。
前のスマホのことといい、天佑のほうこそ優しいっつか甘すぎねえか。


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