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「おかえり、志賀ちゃん」

うしろを向いたままの仁科がいきなり話しかけてきた。
不意打ちを食らった気になって、体が無意識にビクッと跳ねた。

「ずいぶん遅かったね」
「あ、ああ、ちょっと寄り道したから」
「ふぅん。息抜きはできた?」
「あー……うん、まぁ」

そういえば「ちょっと気分転換」とか言って出かけたんだっけ。
うしろめたいことなんて何もしてないのに、どうにも歯切れの悪い返答になった。
お前はテスト勉強しないの?なんて聞くような野暮はしない。コイツに一夜漬けなんて必要ないから。
勉強道具入りのビニール袋をソファーに放り投げたあと近くに寄ると、仁科はようやく俺のほうを向いた。
その表情はいつも通りに見えた。シャワーを浴びたばっかりなのか、ボディソープの香りが漂ってくる。

「なぁに?」
「いや、これ。さっき会長からお前に渡すように頼まれたんだけど」

新品ジャージ入りの紙袋を差し出すと、仁科はちょっと驚いた顔をして体ごと振り返った。
唇を尖らせながら「テスト明けでよかったのに。お節介カイチョー」とぶつくさ言う仁科。
紙袋を受け取ろうとしないから、手持ち無沙汰にさっき聞いた話を振ってみた。

「あのさ、お前、ジャージなくしたんだって?」
「……うん。勝手に持ってかれちゃった」
「は?持ってかれた?」

盗まれたと聞いてふと椎名の顔を思い出し、なんともいえない微妙な気持ちになった。
親衛隊持ちの人気者は苦労も多いな。『仁科様の使用済みジャージ』なんてどんなプレミアがつくんだ?

「マジかよ……。まぁ、持ち物の管理には気をつけろよな。こんなんキリねーだろ」
「別に、たいしたことないよぉ」
「いやいや全然平気じゃねーだろ」
「俺のこと、気にしてくれるの?」

紙袋を差し出した手を包み込むようにして握られた。もう片方の手も掬い上げられ、両手が包まれる。
慌てて顔を上げると仁科の綺麗な微笑みが目に入った。
まずい、こういうのホントやばい。一気に体温が上昇して、脈拍が駆け足同然の速さになる。
仁科にとっちゃさりげない触れ合いかもしれないが、俺的には、さっき三春とした握手とは感覚が全然違う。
触れた手が、肌が熱い。風呂上がりでさらさらした仁科の手と違って、汗まみれのべたついた自分の手が嫌だ。

「に、にし――」

何の前触れもなく、突然リビングに明るい音楽が響き渡った。バラードっぽい曲が、俺たちから離れた場所で流れる。
それは、テーブルの上に置いてあるスマホの着信音だった。俺のはポケットに入ってるから仁科のスマホだ。
だけど仁科は動かなかった。着信音だけが延々鳴り続けている。

「……お、お前のだろ?出なくていいのかよ」
「うぅん?うーん」

曖昧な返事をしながら瞳を細める仁科。着信音は一度切れたが、間を置かずに再び鳴った。
仁科はスマホへ視線をチラリとも向けようとしない。ただ、俺の手を握りながら俺のことだけを見てる。
電話が鳴り続けてるのは苦手だ。俺のケータイじゃないのに、応じないと怒られそうな気がして、すごく焦る。

落ち着かなくて手を離そうとしたら、いきなり抱きしめられた。
ボディソープの香りで鼻腔が満たされる。紙袋が手から滑り、乾いた音をたてて床に落ちた。
頭をかかえるようにしてギュッと抱き寄せられた。片耳は仁科の肩にくっつき、もう片耳は掌で覆われる。そうされると着信音が遠ざかった。
聞こえにくくなった音楽がぴたりと止んだ。けれどすぐにもう一度鳴る。
こんなに着信が続くってことはよっぽど大事な用か、もしかしたら――。

「や、あの……電話じゃねーの?」
「うん」
「つか、ほら、彼女からだったらどーすんだよ。あの、女優のさ」

前に聞いたことがある仁科の恋人。自由恋愛というか、お互いに享楽的な付き合いをしてるって話を聞いたときには呆れたもんだ。
それとは違う恋人の可能性もあるが、誰にせよそういう電話だったら俺とこんなことやってる場合じゃない。
なのにそう言いながら、仁科の腕から抜け出そうとしない俺は馬鹿だ。
ひとたび仁科に捕まってしまえば、逆らえないし抗えない。思考が蕩かされるくらい、この腕の中はひどく心地いい。
掌に覆われた耳元に唇が近づいて、低く囁かれた。

「……その子、別れたよ」
「え?」
「別れちゃった」
「はぁ!?い、いつ?」
「ん〜……去年?」

だいぶ前じゃねえか。ていうか俺と同室だったときかよ。全然気付かなかった。
当時それを知ったとしても、コイツほどの遊び人に気の利いた慰めの言葉なんか思いつかなかっただろうが。
今もどう反応していいか、正直複雑だ。

「そ、そうなんだ」
「……志賀ちゃんが変だって言うから」
「え?」
「恋人がいっぱいいるのが変だって」

俺はその話をしたとき特に反論しなかったはずだ。ただ『俺は理解できない』って感じのことを答えた。仁科の付き合い方に口を出したつもりはない。
けれど仁科は違う受け取り方をしたんだろうか。いや、覚えてないだけで反論したのかもしれない。
じゃあたくさんいたうちの誰か一人に絞ったのか?
それとも、誰とも付き合ってないのか……。


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