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千歳の部屋を出たあと、もともとの自分の部屋に足を向けた。
再び一人部屋状態になった若林に声を掛けると、こっちの特待生は、男と男が密着してる漫画を読むことなく真面目にテスト勉強に励んでた。
中断させて悪いとは思ったが、問題集でどうしても解けなかった問題を教えてもらった。俺が普通寮に来た目的はむしろこっちが本命だったわけだが。
つまずいて進められなかった物理問題を式から答えまであっさり提示してくれた若林に感謝しつつ、俺はそれとなく聞いてみた。

「――若林、最近どう?なんか変なこととか起こってない?」

あの生ゴミぶちまけられ事件以来、いじめや怪文書、制裁の類はないかどうかってことだ。
質問の意味がわからなかったらしい若林は一瞬ポカンとした。でも、問題集の解と同じように「全然、何もないよ」と簡潔に答えた。
若林の無表情を見ても、無表情なりに困ったり隠したりっていう様子は感じられない。嫌がらせは本当にぱったりとなくなったみたいだ。
一応、こいつの身辺で異常事態があったとしたら滝から俺に即連絡が来る手はずになってはいるけど。

「大丈夫。ありがとう志賀君」
「うん、ならいーけど」

あれが一過性のもので終わったのならいい。いや起こったこと自体がよくねーけど。
ハイパー三春がおとなしくなったから騒動が治まったって考えていいのか?若林は付き合わされてただけで、今もって執行部の皆様と特別仲がいいわけじゃないみたいだし。

若林とちょっと喋ったあと、寮の門限が近づいてきた頃に部屋を出た。
千歳に倣うわけじゃないが今から必死に勉強したところで頭に入りきらなさそうだし、戻ったらダラダラしてさっさと寝よう。
そんなことを考えながら寮の玄関を出たそのとき、背後から大声で呼び止められた。

「リヒトくんっ!!」
「うおっ!な、なんだ?」

慌てて振り向くと、部屋着の三春がそこにいた。だぼだぼのパーカーを着てるのがまた小柄さを際立たせている。
変装状態のときに聞いたばかでかい声だったから超驚いた。やっぱり仮装なんかしてなくても、『元気いっぱい翼君』は三春の本質なのかもしれない。
だけどまたすぐに俯いて、両手をもじもじと擦り合わせながら蚊の鳴くような喋り方に戻ってしまった。

「よ、呼び止めてごめんね……」
「別にいいけど。どうしたんだよ、こんなとこで」
「あの……おでかけ……」
「おでかけって、もうすぐ寮閉まる時間じゃね?」
「行って、か、帰ってくるだけ……」

俺が歩き出すと三春もつられるようにしてピョコピョコ動いた。

「なに、勉強イヤになって気分転換とか?俺みたいに」
「あ、その……秘密基地に行く……だけ」
「はぁ?こんな時間に?一人で?」

小さく頷く三春。
マジかよ。いくら日の長いこの時期でも、九時近い空は真っ暗だ。秘密基地――つまり寮裏の林の奥にある用具物置周辺にも、明かりなんて親切なものはない。
まあ、だからこそ肝試しや密会に都合がいいわけだが。
おどおど頼りない三春がそんな場所に行くと聞いて妙に不安になった。この気弱な美少年が、暗闇に乗じて誰かに悪戯されないとも限らない。

「一人じゃ危ねーじゃん。俺でよかったら付いてってやろうか?」
「い、いいのっ!?」

保護者っぽい心配をされて嫌がるかと思いきや、三春はすごい勢いで食いついてきた。
俺の服を掴んでパッと笑顔を見せる。暗いからか、空色の瞳も夜の色に見えた。

「いいよ、それくらい。俺、今日はもう勉強する気ねーし」
「ほ、ほんと?ありがと……っ!」

スキップでもしそうな勢いで三春がぐんぐんと寮の裏手側へと進む。服を掴まれてるせいで俺もそのペースに合わせて歩いた。
やっぱり寮裏の人工林は真っ暗だ。月も出てないからよけいに。
三春は小さい懐中電灯を持ってたけど、俺のほうはスマホのライトを起動させた。

山林近いせいか、学園周辺はこの季節でもすげえ暑いってことはない。そのかわり土の湿った匂いや、木々から独特の青臭さが強く香ってくる。
問題集と筆箱を雑に詰め込んだビニール袋がガサガサと音を立てる。それが妙に周囲に響いて聞こえた。
少し風が強い。俺たちの足音のほかに、葉擦れの音、虫の声、それからかすかに人の話し声が耳に届いた。
テスト前だってのに夜のデートに勤しんでいる恋人たちがいるらしい。煙草を吸いに来てるヤツかもしれないが。
こういうふてぶてしいヤツらがいるから、三春がひとりでウロチョロしてると危ないんだよ。

「つーか三春、秘密基地に何の用なわけ?」
「あ……わ、忘れ物……」
「えっ、なに?コソコソしなきゃいけないくらいヤバいもの?」
「ちちち違うよっ!あの、あ、じゅじゅうでんするの……」

じゅじゅうでんするの?……って充電器?ケータイとかの?

「なに、スマホの充電終わりそうなの?てかそんな大事なもの忘れるって、お前」
「置いてあるの、よ、予備のやつだから」
「だったら明日、明るくなってからで良かったんじゃねーの?」
「えと、えと……すごい、気になっちゃって。いきなり」
「あー……なんかわかるわ。テスト前ってどーでもいいこと超気になるよな。今やらなくてもいいのにってやつ」
「う、うん!」

突然部屋の掃除をはじめてみたり、今必要ないものを探してみたり。
三春にもそういうことがあるって知っておかしくなった。斜め上行動することもあるけど、案外普通なんだなぁって。
執行部のヤツらが三春のことを気に入ってるのは、そういうところなのかもしれないな。

夜の空気で少し湿った土の上をざくざくと歩く。
舗装された道こそないが、代々の生徒が幾度も通ったそこは歩きやすく踏み固められている。

「で?結局、秘密基地はどうするんだって?」
「んと……あの、元に戻すって。テスト終わって」

ちょっと要約。三春の言うところによると、期末テスト後に元の状態に戻すよう風紀委員から指示されたようだ。
廃物置とはいえ学園施設を私的に改造するのはいけません、っていうのが予想通りの建前。だが、執行部がそっちにかまけて業務をおろそかにするのがムカつくってのが本音。
とはいえ執行部側も、ここにきて実行委員が発足して学園祭に本腰を入れなくちゃいけなくなった。秘密基地づくりで遊んでる時間がなくなったからってのが落としどころらしい。

「まあ、なんとなく丸く収まった……ってことでいいのか?」
「う、うん」
「それで三春は、そこに置いといた私物を思い出して思い立ったってわけか」

三春がこくこくと頷く。服を握っていた華奢な手は、いつの間にか俺の腕に移動していた。


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