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そんな深鶴さんとの付き合いが続いてる間、様子がおかしいということに誰も気付かなかった。当事者である俺自身、全く自覚がなかったくらいだ。
あの人は俺を支配していた。これも「あとから考えてみて結果的にそうだった」ってほど、変化は緩やかだった。
束縛じゃなくて『支配』だ。俺の全てが深鶴さん一色になっていた。
そうなった原因を思い返しても未だにピンと来ない。龍哉と何度も話して分かったのは、たぶん、少しずつの積み重ねってヤツだ。
暴力を振るわれたとか、そういうのじゃない。精神的にじわじわと狭められていた感じ――とでも言えばいいのか。

例えば、深鶴さんからの電話に出られない、メールを返せなかったときにはやんわりと怒られた。謝るとすぐに許してくれるが、そうするたびに必ず機嫌が悪くなった。
風呂に入ってたとか、カバンの奥にケータイが入ってて気付かなかったとか、そういうどうすることもできない理由でも「じゃあしょうがないね」とはならない。彼には『応答しなかった』という結果だけが全てだ。
俺はいつしか、ケータイを風呂に入ってる間にすらビニール袋に入れて持ち歩くようになっていた。

他にも、ダチとちょっと話してたのを見られたら『お仕置き』と称してその日はイキ地獄コースだったり、そのことを俺がいけないんだと教え込まされた。
冷静に考えてみれば俺が悪いことなんてないはずなのに、深鶴さんは不思議とそれを正当化するような話し方や態度だった。
そうしていつも『いけない子を許す自分』で話を締め括る。俺一人だけを愛していると囁きながら。

別れる直前あたりでは、俺はすごく恐れていた。深鶴さんを、じゃない。俺を取り巻く環境や、日常を。
深鶴さんが機嫌良くいてくれるよう常に気を遣っていた。深鶴さん第一で、もちろん勉強なんて全然手につかないから成績はボロボロ。
エスカレーター式の学校で助かったが、不登校ってわけじゃないけど結構休んだ日もあったように思う。
これも正直、今の俺の中では本当にあったことなのか疑うほど現実感がない。要するにあの人と付き合っていた期間の俺はまともじゃなかった。

中三の夏休み前、龍哉がさすがに俺の様子が変だってことにようやく気付いたらしい。
そのときの俺は深鶴さんに怒られるのが嫌であんまり龍哉とも喋らなくなってて、龍哉のほうも深鶴さんに完全シカトされてるから俺らの関係は放置してた。
でも、期末テストをすっぽかして自室に篭りっぱなしの俺を心配したのがきっかけで話をするうちに、そうなった原因が深鶴さんだと思い至ったらしい。
何故か俺は頑なに「深鶴さんは悪くない」の一点張りで龍哉と何度も喧嘩をした。龍哉はそれでも根気良く俺を諭してくれた。
あいつはあいつで、同室でいながら俺がここまでになっているのを察知できなかったことを悔やんでたみたいだ。龍哉の心配性に拍車がかかったのは、このあたりからだと思う。

第三者の目が入って初めて俺もだんだんこの関係がおかしいって分かってきて、夏休み前に別れることにした。
別れるのは怖かった。けれど日常生活に支障が出るのは困る。だから別れるっていうよりちょっと離れてみる、みたいな、そういう心構えでいろと龍哉には言われた。
なかなか決心がつかなかったけど、深鶴さんを呼び出して距離を置きたいと言った。建前上は深鶴さんの受験の妨げになるからとか、そんなありきたりな理由を並べて。

俺はどこかで期待してたのかもしれない。別れたくないと深鶴さんが言うのを。俺は深鶴さんに愛されてる自信があったし、当然そうなると思った。
しかしあの人はあっさりと頷いた。壊れたおもちゃでも捨てるような目で俺を見て――。

「……ッ!」

まぶたを開くと仄暗い天井が映った。いつの間にか冷や汗が額に滲んでいる。
カーテンの隙間から薄青の光が漏れていて、時計を見なくても夜明け時だということがわかった。
腕で視界を遮る。心臓が嫌な速度で脈打っていた。浅く息を吐いて、何度か深呼吸をする。

――大変だったのは、そのあとだ。
深鶴さんの呪縛はなかなか解けなかった。別れても、着信があるかもしれないと思ってケータイを握って寝食し、誰かと会ったり話すときは周りを異常に気にした。
一人が怖かった。深鶴さんのことが恋しくて仕方なかった。俺には深鶴さんしかいなかった。

ちょうど夏休みに入って実家に帰り、学園から離れられたのは良かったと思う。全寮制の学園は閉鎖的で、そういう環境も俺を駄目にしていた一因だったんだろう。
夏休み明けからはトラウマを克服するので精一杯だった。
ガタ落ちした成績を引き上げながら日常生活に戻る練習。ケータイも、今のスマホにして番号変えてアドレスをまっさらにした。
それでもやっぱり精神的にキツイときがあるわけで、そういうときは龍哉にキスをしてもらった。事情を聞いた千歳にも。深鶴さんの『お仕置き』はないんだとそのたびに安堵しながら。
隔絶していた反動の人恋しさに、気が付けば色んなヤツとチューチューするようになってた。

そうやって俺の生活が徐々に落ち着いてきた頃、深鶴さんが海外の大学に進学するという噂を聞き及んだ。
物理的に遠距離になると知ったらびっくりするほど気が抜けて、そして高等部に上がる頃には俺はちゃんと元通りになった。いや、前よりも色々と緩くなった気もするけど。

そんな俺が、恋愛とかそういうものに懲りたはずの俺がどうして仁科のことを好きだと思ったんだろうって、ずっと考えてた。
仁科が示す愛情は幅広くて、深鶴さんみたいに排他的じゃないからだ。人を好きになることに安心を求めた結果だ。
なのに深鶴さんにとことん愛されたあのときの心地良さや優越感を覚えてるせいで、その他大勢のうちの一人は嫌だって思っている。

もう吹っ切れたはずだったのに、また深鶴さんの名前を、よりによって仁科から聞くだなんてどんな皮肉だ。
俺はまだ、あの人に囚われているんだろうか――。


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