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思えばいつも何かを言うのは私だった。何かを始めるとき、何かしたい時、だいたい私が言って貴方はいつもそれを受け入れていることが多かった。
好き、そう言った私を貴方は笑って受け入れてくれた。受け入れてくれたけど、一回も好きって言われたことがなかったな。それに気付いたのは、街で貴方が女の人と一緒に楽しそうに歩いていた時だった。長くて綺麗な黒髪をした大人の女の人を、優しい目をして隣に置いて楽しげに話しながら歩いていた。
私がどんなに頑張っても手に入れることが出来ない大人の魅力を携えたその人は、私が好きな人の隣にいるにはぴったりすぎて、お似合いすぎて悔しいよりも悲しい気持ちでいっぱいになった。

以前、他の女の子に告白されている所を目撃したことがあった。それは一度だけでなくて、本当に何で私なんかを側に置いてくれるのか解らないくらいかっこいい人だから、何度か目にしていた。

彼―― 仁王雅治は、私がその光景を見ていることに気付いているのか気付いていないのか定かではないが、彼女が一番好きだから、他の子に興味はないときっぱりと毎回断っていた。

だから、私は愛されているのだと、大切にされているのだと思っていた。安心していた。




街中を歩いている彼氏とその横で笑っている女の人を見るまでは。

遠く見える二人は、私が見ているとも知らずに楽しそうに歩いている。女の人が仁王の腕に自分のそれを絡ませる。それを振り払うでもなく受け入れている仁王を、私はどんな顔をして見てるのだろう。
ねえ、その人誰? 仁王は私が好きなんじゃなかったの。私が一番好きだから、他の女に興味ないんじゃなかったの。何で私以外の女の隣で笑ってんの、楽しそうにしてんの。意味がわからない。出かけるなら出かけるって、連絡してよ。そうしたらこんな場面見ずに済んだかもしれないのに、なんてそんな事を思いながら、そういえばとまた一つ気付いてしまう。

いつも連絡をするのは私の方からだった。それに短い返事が戻ってくる。送るのはいつも私の方、だけど返信を止めるのはいつも仁王の方だった気がする。

あれ、私、本当に仁王の彼女だっけ。大事にされてるんだっけ。好かれてるんだっけ。だって、好きって言ったのは私の方。連絡をするのも私から。好きって私からは言うけど、向こうは頷くばかりで向こうから好きだの甘い言葉だのかけられた記憶がない。

あれ、あれ、と二人の姿が消えた方を見つめながら次々と違和感が浮かんできた。
一つ疑問が浮かんでは足下から少しずつ力が抜けていくようだ。
ねえ、仁王その黒髪の女の人は誰なの?
なんで、いつも連絡くれないの?
どうして私から連絡しないとほったらかしなの?
本当に、私のこと好きだった……?

腹が立つはずなのに、怒っているはずなのに、どんどん頭の中が冷えていく。


放課後、今日初めて会った仁王はいつも通りの何を考えているか解らない顔をして私の前にいた。そういえば今日は部活が休みになったって同じクラスのテニス部の奴が言ってた気がする。一日中ぼーっとしていたらしく、会話の内容があまり思い出せない。でも部活がなくなったって教えてくれたのは仁王じゃなかった。それだけははっきりと覚えている。
あぁ、そういえば挨拶もいつも私から声をかけていた。毎回ではなかったとしても、おそらく半分以上は私から声をかけていただろう。そんな些細なことを思い出してまた悲しくなる。こんな時に追い討ちかけるみたいに気付きたくないんだけど。

「帰らんの?」
「んー」

私を迎えに来た仁王の言葉にどちらとも付かない返事をすれば、仁王は何も言わずに 目の前の席の椅子を引き私の方へと向きを変えて座った。

「どうしたんじゃ?」
「…え、」

元気ないの、なんて心配そうに顔を覗き込まれる。なんで、私は仁王に怒ってるのにドキッてなるの。胸が締め付けられるように苦しくなる。どうしてあんな姿を見た後でまだ好きって思ってるんだろう。私って馬鹿なのかな、馬鹿なんだろうな。


「目の下、黒いぜよ」
「昨日あんま寝れなかったから」

誰かさんのせいで、という言葉を無理矢理喉の奥へ押し戻した。仁王から視線を外せば、すっと手が頬に伸びてきて無理矢理 仁王の方へ顔を上げられ、人の目を見て話すのが苦手なはずの仁王が真っ直ぐ私を射抜くように見ていた。

「なによ」
「様子が変じゃと思っての」

負けずに眉根を寄せながら仁王を見つめ返してれば少しだけ目が泳いだ。様子が変ってそうさせてるのは仁王のせい。どうした話してみんしゃい、と頬杖を付いた仁王はもう片方の手で優しく頭を撫でた。あの女の人にもこの手で頭を撫でたんでしょ、さっき私のほっぺ触ったみたいにあの人のことも優しく触ったんでしょ。あの人にもその優しい目向けてたんでしょ。全部私のものだと思ってたのに、違ったんだ。
あの人に勝てそうな物が私にはないのが、悔しい。ぐ、と下唇を噛んで溢れそうになる言葉を抑え込む。
みじめ、そんな言葉がぴったりと当てはまった。

「おい、」
「私が傷付くからって言えなかったんだと思うけどさあ…好きじゃないならさあ、ちゃんと言ってくれなきゃ」

みじめ、その3文字が頭の中に落ちた瞬間、あ。ダメだと思った。気付いた時にはもう遅くせっかく喉の奥に奥にと押し戻した言葉達が感情のままに飛び出していた。
言いたいことを全部言い終わる前に我慢しきれなかった涙の粒が落ちる。突然涙を零した私に仁王の目が見開かれる。いつも冷静な仁王なのに、その声が少し焦ったようだったから、ほんのちょっとだけ嬉しくなった。仁王なんて、うんと困っちゃえばいいんだ。

「何で怒って、」
「私馬鹿だからわかんないよ…。仁王は、優しいけどさあ!」

声が震えるのを必死に抑えようとしたら語気が強くなってしまった。またも仁王がびっくりしたように固まった。

「優しいけど、残酷だよ」
「ちょお待て。お前さんが言ってることが解らんのじゃが」
「だからっ!仁王が私のこと好きじゃなくても、一番好きじゃなくても、私はまだあんたのこと好きなの!」

嫌いになれないの、そう弱々しく言った私をひどく当惑した様子で見ている仁王の出しかけた手が、行き場を失ったまま宙ぶらりんになっている。

「もしかして、俺お前に嫌われるような事したか?」

仁王が困惑した声で言う。その言葉に何故かイラッとしてしまって顔が熱くなった。頭が痛くなる。私が仁王がしたこと知らないと思ってるんだろう。知らないままでいたかったのに。知らないままでよかったのに。知らないままだったら、私が一番好きなんだって信じていられたのに。馬鹿みたいに笑って安心して隣にいられたっていうのに。


「私まだ仁王のこと好きなんだってば!浮気されたの知っても嫌いになれなかったの!」

いつまでも中途半端に差し出されている仁王の手を乱暴に払う。むかつく、むかつく。自分が余計にみじめで泣きたくなる。ここまで言えば仁王も私が言っている意味がわかるだろう。ていうか言わせないでよ馬鹿。やっぱり、浮気されたって思ったらむかつくよ。昨日の楽しそうな二人の姿が浮かぶ。腕組んで笑ってた二人が消えない。

「浮気すんなら気付かれないでよ、隠し通してもらわないと困るじゃん。あり得ないけど嫌いになれなかったんだけど」

キッと仁王を涙でぐしゃぐしゃになった顔ぶらさげて睨んでやると、びくっと肩が跳ねた。

「俺が浮気して、傷付いた?」
「そ、そうだよ、今もめっちゃ悲しい。仁王最低、隠せないならしないでよ、すんなら隠し通してよマナーでしょ」
「なのにまだこんな俺が好きなんか?」

仁王の問いかけに肯定すれば顔にまた熱が集まる。さっきとは違って今度は恥ずかしさから来るものだ。さっきまで私の発言にじたじになっていたのに、どこか余裕の仁王にまた小さな怒りがわいてきた。さっきまでどうしていいか解らない「やべ、泣かした」って焦った顔していたのに、なんでちょっと笑ってんのよ。

「おかしいと思ってたよ、仁王みたいなかっこいい人が私なんかと付き合ってくれてるんだもん。都合いい女よけだった?気付いたんだ、仁王私に好きって言ってくれたことない」

皮肉にも楽しそうに女の人と歩いてるのを見た時に。そう続けて言えば仁王は少し黙りんしゃい、って言ってさっき私が叩いた手を後頭部に回してきた。ぐいっとそのまま引き寄せられて仁王の胸板に顔が押しつけられる。離して、そう言って振り上げた手はいとも簡単に仁王の空いている手に収まってしまった。

「なぁ、キスしてええ?」
「はあ?」
「キスしたいんじゃけど」
「どんな流れでそうなんの、馬鹿なの!?」
「馬鹿でいいよ」

その前に言うことがあるでしょ、そう続けようとしたのに仁王の唇がさせてくれなかった。まるで私の言葉を遮るように被せられた唇は一瞬だけ触れてからすぐに離れた。
何も解決してないのに、と反抗しようとしたのに再び仁王の唇によって反論できなくなる。後頭部を固定され、すがりつくように執拗に唇を吸われるようなキス。荒々しく何度も求められれば、私から余裕は消え去りいつの間にか主導権は仁王に渡っていた。

抵抗するためにばたつかせた両手は容易く仁王の大きな手によって拘束されてしまう。
肩で息をするまで苦しくなったところで漸く仁王の拘束から解放された。



「すまんかった」

肩で息をしている私とは違ってまだまだ余裕のありそうな仁王から謝罪の言葉が降りてくる。それは何に対しての謝罪なの。

「これからは、ちゃんと言葉にするから」
「は…っ…?」
「好きじゃ」

再び仁王の腕の中に閉じ込められる。頬に当たる髪がくすぐったい。

「他に好きな奴なんかおらん。お前だけじゃ」
「…私が…本命ってこと…?」

声が震える。仁王の腕の力が強まった。目尻に溜まっていた涙が身体が揺れたのと同時に頬を伝って仁王のシャツに染みを作る。

「今までだって……これからもお前だけじゃ」

そう言った仁王の声は少し震えていた。仁王は私が好きだったの?本当に? 今も、好きなの?仁王の一番なの?
混乱してきた。だって、じゃあ、昨日のあの人は? 私が好きだったらあんな楽しそうに腕組んでなくない?
好きじゃない人にもそういうこと出来るんだ?……この男なら出来そう。

「不安なんてなってる暇ないくらい本当は側にいたいし、これからも一緒にいて欲しいのはお前さんだけじゃ」

言葉にするのも態度に示すのも苦手でごめんな、そう言って仁王は私の耳に唇を寄せる。甘い声で名前を囁かれ、耳にかかる吐息がくすぐったくて、身じろぐと耳元でリップ音を立てられた。顔だけじゃなくて全身が熱くなる。

「まだ、足りない?」

もう片方の耳を手で塞がれて、耳元で低い声を出す仁王は絶対に、私のことからかってるんだ。脳にダイレクトに仁王の甘えた声が届いて、お腹の奥がきゅうと締め付けられる。仁王に翻弄されて流されそうになる。昨日のことをなかったことにしようとしてる自分がいることに気付いてむかついた。何も答えられないでいると、再び仁王の手が後ろに回ってキスされそうになる。これ以上絆されたらやばい、そう思って必死に仁王の身体を押し返した。向こうに力を込められたら、私の押し返す力なんて微々たるものだったけど。

「もっ、充分…!」

精一杯声を絞り出せば仁王は満足げに口角を上げ離れていった。ホッとしたのもつかの間、仁王が物言いたげに目をすっと細めて刺すような視線を向けてくる。あ、この目怒ってる時の目に似てる。

「……で、浮気されたの知ってるって?」
「は?」
「何か証拠でもあるんかのう」
「だ、だから昨日、長い髪の女の人と街歩いてたでしょ」

すっごく楽しそうに。美女と腕まで絡めて笑ってた。
区切りながら言って、目の前で完全に俺のターン モードの仁王を睨む。途端仁王が溜息を盛大に吐きだした。溜息吐きたいのこっちなんですけど。何でちょっと優位みたいな態度なの。何されても私が仁王のこと嫌いになれないって解ったからか、そうなのか。弱みを握られてしまったかもしれない。感情にまかせて吐き出してしまったことを後悔する。

「年上?」
「え、…大人の女の人だった」
「……これか?」

そう言って仁王は携帯をいじってから画面を見せてきた。そこにはぶすっとした今よりずっと幼い顔の仁王と、そんな仁王に腕を絡めてピースサインを作って笑ってる私達と同い年くらいの女の子。その後ろには立海大附属中学校 入学式と書かれた立て看板が写っている。

「うちの制服だ…」
「ソイツじゃろ、昨日見た女」
「え…」

よく見てみると昨日見た時よりだいぶ幼い顔をしているけど、確かに昨日仁王に腕を絡めて楽しそうにしていたのはこの黒髪の女の人だった。

「姉貴」
「…えっ」
「じゃから、姉貴、俺の」
「え…えぇぇ!?」

仁王の手から携帯をひったくり見せられた画面を凝視する。携帯画面の中の二人を見ては仁王を見て、仁王を見てまた携帯に目を戻す。何度か繰り返した後に仁王がもういいじゃろ、と私の手から携帯を奪い取った。
もしかして、もしかしなくても昨日の光景は、

「私の、勘違い…?」
「彼氏と上手くいってない時とか、彼氏扱いで連れ回されるんじゃ」


心底疲れたという顔でそう言った仁王は溜息を吐くとそのまま項垂れた。それとほぼ同時に身体から力が抜ける。一つ一つ頭の中を整理していくと自分のあまりの醜態に再び顔が熱くなる。うそ、うそ、と繰り返しながら両頬を手で包む。
うそ、やだ。うそ…!
パニックを起こしだしている私に仁王が「落ち着きんしゃい」と後頭部を優しくぽんぽんと叩いた。


「ところで、俺に何か言うことは」
「…え、もしかして私に謝れって言ってんの?」
「俺何もしてないのにあんな攻められたんか」

乱暴に目元を拭う。そりゃ、私の勘違いで仁王をびっくりさせたし、仁王を困らせたし、私にも非があるのは確かだ。

「でも原因作ったのそっちだよね?お姉さんがいるなんて知らなかったし、そもそも仁王がちゃんと教えてくれてれば勘違いしてないし。それに!仁王がもっとちゃんと私に愛情表現してくれてたらこんなこじれてない、と思う、たぶん…たぶん私もこんな傷付かなくてよかった」

一息に捲し立てる。一息間を置いて再度不満をぶつけてやろうとして開きかけた口は仁王の手のひらに覆われてしまった。面倒くさい奴だと思われたかもしれない。

「すまん、俺が悪かった、反省しちょる」
「ちゃんと反省してんの?」
「当たり前じゃろ。お前さんに泣かれて焦らない程俺は大人じゃないぜよ」

仁王の長くて少し骨張った指が目尻から頬を滑るように撫でる。自分では表現しているつもりだったけど、つもりだけだったようだ。そう言って仁王はまたごめんなと謝った。素直に謝られると自分の勘違いだったことを思い出していたたまれい気持ちになる。

「愛情が足りんのやったら、さっきのよりすっごいやつしてやろうか」

にやり、艶っぽさを含んだ笑みを向けられ、何故か子宮のあたりに締め付けられたような痛みが小さく走る。少しだけ覗かせた舌が唇をなぞる。思わず目を逸らしてしまえばくつくつと喉で笑われた。

「…ちゃんと反省してよ、馬鹿」



I want to be with you.


まるで獲物を前にしたライオンか蛇か。私、もしかしたら丸呑みにされちゃうかもしれない。





/(0116 匿名様/buck numberの花束をテーマにしたお話)