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普段と変わらない部活風景。部員たちは今日も青春に花を咲かせている。そしてこの男もまた普段と変わらない無邪気な笑顔を振りまいていた。その無邪気な笑顔で邪気たっぷりの言葉を吐くその時までは、いつもと変わらない風景があったのだった。


「なぁ、なぁねーちゃん!」
「おっ金ちゃんどうした?」

姉ちゃん、そう呼ばれたのはテニス部の敏腕マネージャーの名前だった。
なあなあ、と興奮気味に名前の両手を取った期待のルーキー金太郎は目を輝かせて名前の目を覗き込む。名前は金太郎に優しく微笑み返す。

「ねーちゃんてブラジャーいるん?」


!!!!?

ピシィ…名前の表情に亀裂の入った音か和やかな空気にヒビが入った音か、どちらにせよ部員たちの耳にしっかりとその音は轟いていた。
彼くらいの歳ならば若干の羞恥を持ちそうな言葉だが、金太郎は何もためらうことなく屈託のない笑顔でそう口にした。これが無邪気さ故の罪というものか…一瞬何を言われたか解らなかった名前だが自分の頭の隅に残っている冷静な部分で呟く。

「金ちゃん、え、ごめん何て?」
「今日クラスでなーおっぱいおっきい奴は皆ブラジャーしてるんやて!」
「ふ、ふーん」

この時2人の会話が耳に入ってきていた部員たちはこの後の悲惨な光景が頭には浮かんでいた、だがしかしそれを食い止めるという手段にまでは思い至らなかったのだ。彼らはなすすべもなくこの後訪れるであろう絶望へと歩みを進めていく。

部員たちの引きつった顔とは裏腹にマネージャーの顔には今も笑顔が映っている。それがどんな意味を含んでいるのかは定かではないが。

「金ちゃん、それはつまり何を言いたいのかな?」
「ん?せやからねーちゃんはつこてんの?ってこと?」
「私が使用してるかっていうことかな、それとも私に必要なものか聞きたいのかな?」

この時初めて名前の口の端にひきつりが見える。周りの部員たちはそろそろと部室へ避難していく中レギュラー達が名前と金太郎の周りに残されていた。
白石と忍足は笑顔のまま硬直していた、がその直後吐血するような素振りを見せ地面へと沈んだ。彼ら自身に何かが起こったわけではないので当然吐血できるはずもないのだが。
その隣で部員にフォーム指導していた石田はラケットを振り切ったポーズを取ったまま頬を微かに赤く染め固まっている。ちなみに石田が指導していた平部員は他の部員に混ざって部室へと逃げ込んでいた。
その少し離れたところで四天宝寺テニス部のホモーズが名前と金太郎の様子を見守っていた。金色は眉を八の字にし片手を口元に宛てがいながら「あらぁ〜」と困った顔をし、一氏は腹を抱えながら笑っている。その目には涙が浮かんでいるが笑いすぎて呼吸が困難になっているのか声が出ていない。
そしてホモーズからまた少し離れたところには、財前が「あーあやっちまった」という顔で金太郎を見ていた。その横で千歳が「金ちゃんが危なか…」と悟りをひらいていた。
皆が見守る中、金太郎が両手を頭の裏で組みながら口を開く。耳をすませば皆の唾を飲む音が聞こえてきそうだ。

「うーんよく解らへんけど、ねーちゃんにいるんか?」

首を傾げた金太郎の姿はまさに純粋無垢の表現が似合う。彼の質問だけ捉えれば純粋無垢とはまた違ってくるのだろうが。
彼女は一層笑を濃くして、一度顔を伏せそのまま小さく「……許さん」と呟いた。金太郎はまた首を傾げどうしたとでも言いたげな目を名前へ向けた。

「金ちゃんであろうと…言っていいこと悪いことがあるのを教えてあげるわ…」

そう静かに口にした名前はゆっくりと顔をあげた。彼女の顔を前にするやいなや目の前にいた金太郎はいつもの強気はどこへやら「ヒッ」と小さく悲鳴をあげた。
彼女の声を耳にし、今まで地に伏せていた白石忍足コンビが光の速さで立ち上がった。

「今回のことは言っていいこと悪いこと?」
「ね、ねーちゃん?…どないしてん急に…そない怖い顔し、ッ」
「答えは…」

彼女の目つきが変わった。

「…今から教えてあげる!」

彼女が拳を作りながら金太郎に襲いかかろうとしたところに、白石と忍足が顔面を蒼白にしながら二人の間に立ち塞がるように割り込んできた。名前の背後には小石川が周り今にも振り下ろされそうな拳を止めている。
二人をキッと睨みつけると、先ほどの金太郎と同じように小さく悲鳴をあげた。
ちなみに2人の背後に隠された金太郎は小動物のように身体を縮こませて豹変した名前に怯えていた。

「名前、アカン!」
「せや、落ち着きや!」
「何よこんな時まで金ちゃんの味方する気?!」
「そうやないけど!金ちゃんも悪気があって聞いたわけとちゃうんやし」
「それがいけないことを今から教えてあげるんでしょ!」
「で、でもな、暴力はアカン!アカンで!」
「もう、小石っ離して!」
「ケン坊あかんでその手を今離したら金ちゃん死ぬで!死んでも名前のこと離したらだめやで!」
「(俺は死んでもいいってことか?)」

一発触発の空気が漂う中、「おうお前ら、何してんねん」と顧問の渡邊オサムが口元に煙草を加えながらやってきた。忍足がかくかくしかじかと状況を説明する(状況説明に必要となってくる下着の単語には金太郎と違って声をどもらせていた。)と彼、渡邊はトレードマークよろしくのチューリップハットを抑えた。

「何しとんねん金太郎」
はあと小さく溜息を吐いた渡邊は、今にも人を殺めそうな目つきをしたマネージャーへ向き返るとぽんぽんと頭を軽く撫でた。

「お前も、落ち着き」
そう言われると名前は拳を解き力を抜いた。それを合図に名前を押えていた小石川も手を離す。

「そんな気にすることないやろ?名前はじゅーぶんここにあるんやから」
そう言いながら両の手で胸元で膨らみを表現する。途端名前の頬は赤く染まり今度は渡邊に対して怒り出した。それをも軽く交わしながら今度は白石と忍足の背後からおずおずと顔を覗かせている金太郎へと向かった。白石と忍足を目の前から退かせ金太郎へ前に出てくるよう促す。

顔を真っ青にしながら出てきた金太郎は余程名前が怖かったのか未だに小刻みに震えている。そんな金太郎を見て横目で名前を見る。名前はバツの悪そうに顔を背けただけだった。
渡邊はまた小さく溜息を吐くと、煙草を加えた。数秒の沈黙。金太郎は今にも気持ちがはちきれそうな思いだった。それ程この数秒が重かったのだ。渡邊は口元から煙草を離し、金太郎の顔へぐっと近づきそのまま煙草の煙を吐き出した。途端に金太郎はゴホゴホと蒸せ返り顔を歪ませた。
白石と忍足が慌てたように「オサムちゃん!」と叫んだ。教師が生徒になんてことするんだの意味がそれには含まれているのを渡邊は解っていた。

「アカンやろ金太郎」

ガシガシと金太郎の頭をかいた渡邊は、そのまま金太郎の背中を押して名前の前に立たせた。珍しくおどおどと慌てている金太郎を押さえつけるように頭を掴んで下げさせた渡邊は煙草を吸いながら言うのだ。

「女の子にそないこと聞くなんてサイテーのすることや」
「ワイ、サイテーなん?」
「おん。サイテーもサイテー。最悪や」
「さい…あく…」
「解ったら名前に謝り」
「ねーちゃん、あんな、ごめんな…」
「…………うん」
「ごめんなさい」
「よし」

頬を染そっぽを向いてはいたが名前はどうやら冷静さを取り戻したようで、取り乱してしまったことに申し訳なさを感じていた。

「金太郎、ブラジャー着けとるんか聞くならな」
「ん?サイテーなんちゃうん?」
「サイズは何ですか、って聞かな」
「それはサイテーちゃうん?」
「あったり前や、ジェントルマンやでぇ」
「柳生くんに謝れ変態教師ッ!」

再び鬼と化したマネージャーを止める間もなく、部員たちの手は空を切る。彼らの頭上にはひらひらとチューリップハットが宙を舞ったのだった。



空を飛ぶ方法

/…何だこれ