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しばらく晴天の続いていたある日。さっきまで太陽が輝いていた日。放課後、日直の仕事が長引いて教室の窓から夕日のオレンジが差し込み始める時間まで残っていた時のことだった。窓から差し込んでいたオレンジが突然遮断され、電気をつけていなかった教室内が影に覆われた。はっとして窓の外を見れば黒っぽい雲が夕日を覆い隠してしまっていた。これはやばいなと作業を切り上げようとしたところでポツリと一粒窓に水滴が落ちた。次の瞬間にはポツポツと間隔をあけずに雨が窓を叩いた。 「うわぁ…」 こりゃしばらくやみそうにないぞ…。忙しく動かしていた手を再び通常運転に戻して途中まで書いた日誌を書き終える頃には水溜りがあちこちに出来上がっていた。野球部もこれじゃあ練習できないだろうな。グランドがぐちゃぐちゃだ。 雨は降り止むどころか降り出した時と同じような勢いで一面をぬらし続ける。 日誌を職員室に居る担任まで持って行って玄関へ向かう。しんとしていてちょっと不気味だった。 「謙也じゃん」 「おお、何してんねんこんな時間まで」 「日直だよ日直」 「そら災難やったな」 そう言って外に視線を外す謙也。その視線を辿ると自然とため息が出た。 玄関でたまたま会った謙也もどうやら他の運動部と一緒で雨のために部活を切り上げ、ちょうど帰るところだったらしい。 「謙也傘あるの?」 「ノープロブレムやっちゅー話や!」 そう言いながら謙也は傘立ての中から透明なビニール傘を引っ張り上げた。そして昇降口を出てパッと傘を開く。そして私は愕然とした。謙也の持つ傘のビニール部分にはそこそこ大きな字で“忍足謙也”と油性マジックで書かれていたのだ。な、な、なんて恥ずかしい傘…! 持ち主が一目で分かるそのシンプルだけどとても目立つ傘を差しながら謙也が私を見てにやりと笑う。 「ここで二択や」 「…はい?」 「お前のことや どーせ傘がなくて困ってんねやろ」 「私が傘がないってよく分かったね」 「そこでや、俺のこの傘で一緒に帰るか、そのまま一人で帰るか選んでや」 「えっ何その二択、他の選択肢絶対あるよね」 「ええから!」 「じゃ、じゃあ一緒に帰ろう、かな…そのむっちゃくちゃ恥ずかしい傘で」 「ああ?どこが恥ずかしいっちゅーねん、超イカしとるっちゅーねん」 「超イカれてるの間違いじゃないの?」 可愛くないやっちゃな、と謙也は苦笑いしながら傘の中へ入れてくれた。そして私が濡れないようにと傘を少し傾ける。謙也の左肩のシャツが灰色に染まった。 「いいよ、謙也濡れる」 「別にええわ、こんくらい」 こいつ、男前だぞ…!謙也なのに男前だぞ…! さも当然のように私の方へ傘を傾ける謙也の横顔がいつもより男前に見えて、直視できなくなってばっと顔を謙也から外した。 この傘もだけど、謙也との相合傘もかなり恥ずかしい。相手が謙也だから恥ずかしいということでなくて、男子と一緒にひとつの傘に入るという行為そのものに慣れていないのだ。謙也ならなおさら緊張するといもので。何故ってそんな愚問を改めて訊かないでいただきたい。つまりその私は謙也に好意を抱いているというか恋してますっていうか好きというか…つまり意中の相手なのだが、そんな人との相合傘となると緊張するなという方がおかしな話だ。緊張から先ほどからうまく喋れない。さっきまで普通にやり取りしていたはずなのに。さっきまでの威勢のいい私よ何処へ行ったんだ、今すぐ戻ってきなさい。 謙也のボケにすら正常にツッコミを入れられないなんて、相当重症だぞこれ。ツッコミの神様、私に力をお貸しください。 「何しとんねんアホ」 バッと両手を天に突き出してみたら逆に謙也につっこまれた。おかしいなボケの神様が降りてきちゃったぞ。 呆れた顔をした謙也の両肩が濡れている。あれ?と上を見ると私の頭上には傘がひとつ。そして伸ばされている謙也の腕。おおう、謙也が濡れているじゃないか!興奮のあまり謙也を追い越していたらしい。そしてそんな私を雨から守ってくれたのは紛れもなく忍足謙也と書かれたビニール傘だった。 「ありがとう忍足謙也!」 「それ忍足謙也ちゃうで!それは忍足謙也“の”傘や!」 「どっちでもええっちゅーねん!」 「よくないわ!大問題やっちゅー話や」 どうやら私が召還したツッコミの神様は謙也の上に舞い降りてしまったらしく、先ほどから謙也のツッコミが冴えている。そしてさりげなく女の子のポイントをついてくる謙也はまさしくイケメンだと思った。イケメンの神様まで降りてきたというのか。やるなこいつ…謙也のくせに。 緊張してうまく喋れなかった私だけど、ようやくいつもの自分が戻ってきたみたいだ。あれでもおかしいな今度はうまく歩けなくなったぞ。意識してるようなしてないような…足がうまく動かせない。うまく速度調節できないぞ…速くなったり遅くなったりコントロールができない。そんな私の不規則な速度にもぴったりと謙也の傘が追いかけてくる。その度に謙也が雨の下に晒される…あああ申し訳ない、と思って速度を無理に緩めると今度は謙也が私を追い越してしまう。 どうしてこううまくいかないのだろう。難しい。 そんな私に気づいた謙也が眉を潜めながら足を止めた。 「何がしたいねん、遊んどるん?」 「ち、ちがう…!」 「じゃあ何がしたいねん」 「普通に歩きたいんだけどっ…!」 視線が泳ぐ。視界に謙也を入れることができない。そんな私に呆れてるのか小さくため息を吐いた謙也が私の手に傘を握らせる。あ、手が触れた…そんな些細なことに反応して小さく体が震えた。そんな小さな震えにさえ謙也が気づいてしまうからどうしようという気持ちが強くなる。 「俺は平気やから、気を付けて帰ってな」 ちょうど分かれ道やし、ここまで我慢させてしもうてごめんな、そう付け加えて謙也が歩き始める気配がした。足音が遠ざかっていくのを耳にして、外れていた視線が反射的に謙也へ向かった。 私の手には傘の柄が握られている。傘の下には私。雨の中には謙也。 「謙也待って…ちょっ、待てよ!」 「どこの木村やねん!」 さすが、ツッコミはちゃんと返してくれるのね。 先を歩く謙也を追いかけて、傘をさす。今度は私が濡れた。冷たい。 「おま、濡れたら傘貸した意味ないやん」 「謙也が濡れるって言ったじゃん」 「俺はええって言ったやろ」 「よくないよ!この傘、忍足謙也のなんでしょ!」 「俺のやけど、特別に貸したる言うてんねん分かれ阿呆」 「こんな恥ずかしい傘じゃ一人で帰れないよ」 「おおおおまっなんっちゅーこと…!」 「だからちゃんと送ってって!」 「どんだけ図々しいねん、ってええから早う傘ん中入れって」 ぐい、と突き出した手を押し返され、私の上に落ちた雨が遮断される。謙也が押し返すその手をこっちも押し返しす。お互い力を入れているせいでぎぎぎと傘が二人の間で揺れた。 「よし分かった」 「のわっ!?」 謙也がぱっと手を離してくれたおかげで私の体が前のめりになる。気づけば傘の下に二人分の影。 「この傘、そんなに恥ずかしいか」 「……うん」 「お前の様子が変やったのってそのせいか」 「……違う」 「じゃあ何でなん、さっきからずっと上の空やしそわそわしとるし」 「いやそこまで分かってるなら分かってよ」 「何をや」 「謙也は、緊張とかしないの」 「は?」 「あ…あい、ああいっ、相合傘とか慣れてないし相手謙也だし照れるってこと」 スピードスターならそれくらい気づけと睨めば、スピードスター関係あらへんやろと反論された。正論だった。即座にツッコミできるほど冷静な謙也の顔は何故か赤くなっていた。そして謙也ははあと盛大にため息をついて頭をぐんと下げて俯いた。数回の深呼吸の後、謙也はばっと勢いよく頭を上げて私を睨みながら叫んだ。びびった。 「緊張してへんかったらな、こんなゆっくり歩いたりせえへんわ!」 「う、うい…?」 「ノースピードノーライフな俺が、何でこんなゆっくりペースでここまで歩いてたか解るか?!」 「わ、わかんない」 「お前が隣におったからじゃボケ!お前のおかげでノーライフ満喫しとったんじゃボケ!」 「ノーライフ満喫って何!」 「俺にも解らん!」 「わからんって…」 ひとしきり言いたいことを口にした謙也は突然静かになった。私も返す言葉が見つからなかった。 謙也はしばらくした後、「送ったるわ」と一言私にかけて傘を傾けた。 「忍足謙也、好き」 「えっ」 「傘だよ、傘」 「紛らわしいわ!」 「忍足謙也の傘が好き、あんまかっこよくないけど」 「なんやてっ!?」 「忍足謙也…が好き、すっごくかっこいい」 「なんや、て…?」 ラブソングじみた沈黙 1周年記念/Nya |