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彼は特別だから、私たちとは違うから、仕方ないと諦めることが一番自分が傷つかない方法だと割り切っていた。
そうすることで、私は彼を許せたし、これからもずっと好きでいられるという安心を得た。心の中がどんなにズタズタになったって、痛くて苦しくてもう駄目だと思った時でも、彼が特別な存在であると思えばそういった不安も憤慨も全て鎮まっていった。
そんな、妙に冷静でいられる自分が少し、怖かった。ほんの少しだけ、彼を好きでいることに恐怖を覚えた。自分は異常なのだろうか、彼を好きで居続けることは私にとって何を意味してくれるのだろう。

彼の瞳がまっすぐに私を捉える。この空間にある色を表すならきっと妖艶に光る薄いピンク色。
彼の求めたものを、私は拒んだ。それを私が望まなかったわけではない。むしろ私が恋焦がれていたもので、何でもう少しで手に入れられそうなものを自分から遠ざけたのかその時は分からなかった。だけど冷静になればそれはとても単純なことだと気付く。跡部は笑っていた。彼の瞳には私が映っているのだけど、その目はどこか私じゃない何か別のものを見ているような気がした。至近距離にあった彼の唇が離れていく。その距離はわずか1センチ程度で、私はその後どうなるのか理解していながらそれを拒んだ。跡部とのキスが嫌だったわけじゃない。怖かった。

跡部は薄く笑いながら体ごと私から離れた。跡部は何でもお見通しというように私に一瞥をくれると一言、「嫌なら別に俺から離れてくれて構わない」と告げた。
その言葉は、キスよりももっともっと怖くて欲しくないものだった。

「…好きだよ」
「じゃあ何で拒むんだよ」
「それは」

彼と付き合うようになったきっかけは、私が彼に好きだと告げたから。その気持ちに、言葉に嘘偽りは何一つなくて、私は自分が異常なのではないのかと疑うくらいに愛している。それなのに何故キスを嫌がるのか、何で怖いと思うのか。そんなの、明確だ。
彼が私とは違う人だから。

気まずくて俯かせた顔をあげて跡部の顔をうかがって見る。泣きそうな私と同じくらい彼も悲しそうな顔をしていて、胸が痛んだ。跡部が普段見せないような表情を生ませたのは私なのだ。

「…ざけんな」
「…………」

怒っているような、少しだけ掠れた声にびくりと体が震えた。

「跡部は、私とは違う」
「あ?そんなの当たり前だろーが」
「私は、跡部みたいに色んな人を知らないんだよ」

跡部は私の言葉に何も答えずに、ただ不機嫌そうに眉根を寄せるだけだった。
跡部は私と付き合う前にも、何人もの女の子を彼女にしていて、学校にはあまりよくない噂だって広まっていた。
彼女なんて名目で女の子を自分の好きなようにしてきた、そんな噂を何度も耳にした。それが事実だということも知ってる。
彼が女の子を悦ばせたり泣かせたりする姿を何度か自分の目で見てしまっているから。それでも跡部を好きだと思った自分はやっぱり異常なのかもしれない。そんな跡部大嫌いだったけど、彼を知れば知るほど好きになっていってしまったから。その好きに偽りなんてない。

「私は…跡部しか知らないから…それが、こわくて」

今度は跡部が言葉をなくす番だった。本当は、何でもいいから、言い訳でもいいから、嘘でもいいから何か言ってほしかった。

「跡部を信じてないわけじゃないけど…昔の跡部じゃなくて今の跡部を見なくちゃって分かってるの、けど…」

昔の女の子と比べられてたら悔しい。他の女の子と一緒に思われてたら悲しい。どうして跡部の初めては私じゃないんだろう。
区切ることなく跡部に自分の思いをぶつける。彼は途端に顔を歪めて深く息を吸った。

「今まで散々好き勝手やってきた俺が、今更人を好きになるなんて許されるのか知らねぇ」
「…………」
「けど、お前にだけは分かってもらいたい。他の奴と比べたりなんて出来るわけがねぇだろ」

本当に好きになったのはお前だけなんだから比べられる対象がいねえんだよ、跡部は困ったように目を伏せながららしくもなく自信なさげに告げる。
そして最後に一言「ごめん」と私に向ける。その謝罪はなんに対してのものなのかな、なんて今更訊くつもりはないけど。だってそんな余裕なかったから。息をすることが出来ないくらい、跡部からの言葉は衝撃的で、瞬きも指一つ動かすことも出来なかった。動かし方を忘れてしまったようだ。

「まだ信じられなかったら、何度でも言葉にしてやる、なんだってする」
「…あと、べ…」
「だから…俺の側に居ろよ」

もう充分だと心が訴えているのか、それとも瞬きを忘れてたせいなのか、頬に一筋涙が流れた。
頷いた私に、跡部はまたゆっくりと距離を縮めていく。不安気に頬に伸ばされた手に応えるように目を閉じた。





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