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予定のない土曜日の朝、昨日たてた計画は全部おじゃんになってしまったと悟った。昨日の夜、ベッドの中で考えていたショッピングも映画も今日出てしまった熱のせいでベッドで一日中寝るというものに変わってしまった。
風邪気味だとは思っていたけど、まさか熱が出るとは…しかも私が楽しみにしていた土曜日に。思考が普段よりもややネガティブになってしまう。とりあえず頭が痛い頭が熱い。辛いの一言につきる。
時計に目をやればまだ朝の9時をまわったばかりで余計にため息が出た。
ガンガンする頭を押さえつつゆっくり上半身を起こす。お腹がすいたのでキッチンへ向かう。途中ゴホゴホと咳が出て朝食を採るのが億劫になってしまった…のだがお腹が減ったままでは寝ようにも寝れそうにないのでだるい身体を引きずりながら冷蔵庫の中の食材を確かめてみる。

「…何もないし」

昨日の夕食の余りはおろか卵の一つも冷蔵庫の中にはなかった。あるのは麦茶と牛乳とハムだけだ。一体この家はどうなってるんだ。食べることは生きること、と考えているのは我が家で私一人だけだったということなのか。どこからか沸いてくる悔しさと怒りから眼球を薄い膜が覆った。風邪ってのはつくづく厄介だと思う。
いい年こいた女が冷蔵庫に何もないくらいで泣くなと自分を叱咤した瞬間部屋を出る時一緒に持ち出した携帯が鳴った。携帯を開いてみると2件のメールが入っていた。受信ボックスを開いてみると、一件はメルマガでテンションがさらにさがり、もう一見は蔵ノ介からでもっとテンションが下がった。メルマガの方は中を見る前に削除して蔵ノ介からのメールを開く。その内容を読んでさらにテンションがガクッと下がった。
"今日部活休みになったんやけど、どっか遊びいかん?"

何で今日なの…じわり、乾いたはずの水分が再び眼球を覆った。"行かない"、一言だけ返事を返して、この空腹をどうしようか考えていたら携帯がまた着信を知らせる。今度は電話だった。風邪だし寝起きだしでガラガラでまともに声を出せる状態じゃなかったけど、蔵ノ介からの電話を出ないわけにもいかないので咳払いをしてから通話ボタンを押した。

「おはよう、何か今日予定あったん?」
「あったよ」
「あ、そうやったんや、なんかごめんな…、…?」
「でも出来なくなった」
「声、どうした?」
「風邪引いてね、熱出ちゃった」
「大丈夫か、ちゅーか泣いてる? ほんま大丈夫なん?」
「お腹すいたぁーもうやだぁぁお腹すいたぁ何で誰もいないのぉ何で冷蔵庫に何も入ってないのぉハムだけじゃ私満足できないぃぃ」
「…おま、笑うとこなんか心配するとこなんか教えてくれん?」
「蔵ノ介のアホ変態アホ、アホ、空気読んで、もう蔵ノ介知らん、アホ」
「八つ当たりすんなや。誰も家におらんの?」
「いないよぉもうお腹すいたよぉぉぉハムと牛乳しかないんだからぁ」
「(まんま子供や…)分かった今からそっち行ったるから待っとき」

泣かんといて、な?と子供をあやすように優しく蔵ノ介に言われて、情けなくも出てきた涙が引っ込んだ。

「来てくれるん?」
「ん、面倒みたるわ」
「あ、でも風邪移るからやっぱ来ないで」
「俺がそう簡単に移されるわけないやろ、来るな言われても行くっちゅーねん」

せや、何か食べたいもんあるか?と訊かれたので、風邪なんだしこんな時くらい甘えてもいいよねという感じで極上ステーキとわがままを言ってみたら叱られた。ほんのジョークだってば。

しばらくして蔵ノ介がインターホンを鳴らす。ベッドでおとなしく横になっていたわたしは彼の来訪に下がっていたテンションが若干上がるのを感じながらいつもより時間をかけて階段をおりて廊下を渡り玄関の鍵を開ける。
スーパーの袋を引っさげた蔵ノ介は真っ先に私の体調を心配してくれた。それだけで嬉しくてなんかまた泣きそうだった。風邪ってやつはつくづく涙腺や精神を弱らせる天才だな。

「待たせてごめんなー」

声を出すのが辛かったので小さく首を縦と横に振る。どういう意味やねん、と蔵ノ介は優しく笑った。

「体温はかった?」

首を横に振って答えてから、棚を開けて救急箱を引っ張りだして中に入っている体温計を探す。奥の方にあった体温計を引っ張りだして蔵ノ介へ渡すと、彼は何の躊躇もなく私の胸元に手をかけてパジャマのボタンを二つ外した。レディの胸元へ何の断りもなく手を伸ばすなんて最低よ、と冗談交じりに言ってやれば「弱ってる人間襲うほど盛ってへんから安心しい」と返されてしまった。我が彼氏ながら流石だ。
体温計を脇に挟ませ、おでこに蔵ノ介の手が当てられる。

「7度5分はありそうやなー」

彼はもう一度体調はどうだと尋ねてきたので、めっちゃしんどい死ぬほど辛いと少し大げさに答える。彼は心配そうに眉を八の字に下げて優しく頭を撫でてくれた。
少しだけ罪悪感が沸いたけど、「ま、極上ステーキが食いたいなんて言える内は大丈夫やろ」と続けられた声に罪悪感は一瞬にして吹っ飛んだ。
ピピっと体温計が鳴り、脇に挟んでいた体温計を蔵ノ介に渡す。7度5分だった。

「お腹すいた」
「ほな、名前ちゃんはベッドで横になってよかー」

くしゃくしゃと頭を撫でた彼は、ひょいと私を肩に担いで階段を登り始める。お姫様抱っこじゃないのかと少々残念ではあったが、お姫様抱っこなんてされたら恥ずかしくて熱が8度に繰り上がってしまうかもしれない。まあよかった、うん。
ベッドの上へ優しくおろしてくれた蔵ノ介は、じゃあちょっくら朝飯作ってくるわと頭をまた撫でてくれた。時間帯からしてお昼ご飯になっちゃうなぁ。風邪も案外悪くない。

蔵ノ介が部屋から出て行くのを見送る。暇になってしまった。
何作ってくれるのかなあ、定番のおかゆだったらどうしよう、おかゆって気分じゃないよなあなんて考えている内に気づいたら寝ていた。

「名前、起きや」

頭を撫でられながら蔵ノ介に起こされる。起きても目を瞑ったままの私に蔵ノ介は、ご飯いらへんの?とほっぺたを軽くつねった。

「んんー、食べるー」
「少し冷ましといたで」
「ありがとー」

上半身を起こす。膝の上にお盆が乗せられる。お盆の上には丁寧に蓋までしてあるどんぶりが乗せられていた。蔵ノ介さん、食欲低下してる私に丼を食べろとおっしゃるんですか。いや、丼と見せかけておかゆか、おじやか。
蓋を開ける。私の予想は見事に外れ、どんぶりの中にはうどんが湯気を立てていた。

「う、うどんだ…!」
「おじやとかにしよ思ってんけど、お前風邪の時そういうん食べたがらん奴やって思って」
「さすが蔵ノ介だね、しかしうどん…」
「元気の時ばっかおじや食べたがるんやもんな」

天邪鬼な奴やなーと笑いながらまた頭を撫でられる。なんか熱出てよかったかもしれない、不謹慎かもしれんけど。でも幸せ。

「それは置いといて、蔵さん蔵さん?」
「おん、どしたん」
「うどんだよねこれ」
「うどんやで」
「おかしいなこれ、おかしいよね」
「おかしないやろ、豪勢やん」
「納豆入ってんで、おかしいやろ」
「納豆はな、そのネバネバで喉の粘膜守ってくれんねん、美容にもええねん、オールマイティーやねん」
「蔵さん、これうどんなんですけど」
「納豆は何にでも合うから大丈夫や」
「いやでもこれ、うどん…納豆…」
「釜かけうどんみたいなもんやろ」
「あとこれ豚肉入ってますよね」
「豚肉はな、ビタミンB1が豊富やねん。体力補ってくれんねん」
「あとこれブロッコリーまで入ってますこれ」
「ビタミンCや、白血球のはたらきを助けてくれるんやで。ビタミンCは女の子みんな大好きやろ」
「いや、女の子がビタミンC好きでも私ブロッコリーは好きじゃないんですが…」
「つべこべ言わずに蔵ノ介スペシャル食わんかい、半熟たまごまでサービスしてやったんやで」
「い、いただきます…ブロッコリー…」
「文句言わない」

うどんにブロッコリーと納豆ってなんだよ、と文句をたれつつうどんをすする。納豆ウィズうどんなんて…ブロッコリーインうどんなんて…。ちくしょう蔵ノ介め、健康オタクめ、何でも混ぜればいいってもんじゃないんだから。混ぜたら危険って言葉を知らないのかしら。おいしいけど。

「うどんおいしい」
「やろ? うどんはええよなー、暖かいし栄養も摂れるし。けど消化に悪いっちゅーんがたまにきずやねん。まあ、名前の胃袋めっちゃ頑丈そうやから全然問題ないな」
「蔵ノ介くん、しばきますよ」

俺ンことしばくだけの元気があれば大丈夫やな、なんて言って笑いながら蔵ノ介は自分の分のうどんをすすった。ちゃっかり自分の分まで作ってたのか。

「ごちそうさまでした」
「お粗末様でした」

食器片してくるわ、と蔵ノ介は二人分のどんぶりとお盆を持って部屋を出て行く。しばらくして部屋に戻ってきた蔵ノ介は、デザートやでと小さめのヨーグルトアイスを差し出した。おおう、サービスええな。

「風邪引いてる時にアイスっていいの?」
「お腹こわさへんかったら平気、食べ過ぎたらあかん」

蔵ノ介にいつもより時間をかけて食べろと注意されたので、いつもだったらこれくらい小さいアイスだったら5分くらいで食べ終わるけど、時間をかけて食べたら10分近く食べ終わるまでかかってしまった。
渡された風邪薬を飲んで、起こしていた上半身をベッドに沈める。蔵ノ介が優しく頭を撫でてくれる。

「風邪ひいとる子がおったらめっちゃ甘やかしたくなるなぁ」
「風邪ひくと甘やかしてもらえていいね、つらいけど幸せ」
「いつも甘えとる奴に言われてもなぁ、俺普段からむっちゃ甘やかしとるし」
「よく言うわ」
「蔵ノ介、オカンみたい」
「彼氏のままでいさせてください」

昨日考えていた買い物や見に行きたかった映画よりも、蔵ノ介にこうしてつきっきりで看病してもらえた今日の予定外の出来事が嬉しかった…ので、そろそろポジティブ運営に戻ろうと思います。







/薄星・空想アリア