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昼休みに入るなり名前は教室を飛び出して行った、二人分の弁当を持って。 長い髪を揺らしながら出て行く名前の背中を丸井と一緒に見送った。 「あれ手作りだろぃ?」 「おアツイのう」 肩をすくめてふざけるように言った俺を丸井が軽く睨んだ。おー怖い怖い。丸井は名前が作った弁当を思い浮かべて羨ましそうな、恨めしそうな顏を浮かべた。 「名前って料理うまいんだぜ」 「ほう、そりゃいいお嫁さんになるな」 「でもアイツ不器用なんだよなー。掃除すると逆に散らかすしよ」 あれの特技は料理だけだな、と丸井が笑うのでつられて俺も笑った。でも、確かに名前はええ嫁さんになると思う。男を落とすにはまず胃袋からって言うじゃろ。あながち間違っていない。男っちゅーんは単純に出来てるのか、胃袋が満足すれば作ったそいつのことも好きになる。 「なー仁王」 「なんじゃ」 「そのから揚げもらっていい?」 「ダメ…つーかお前俺の玉子焼き食ったじゃろ」 「やべえなアレ。お前の母ちゃん目玉焼き職人じゃねえの」 カッと目を見開き興奮気味に話す丸井に適当に返事して、母親が今朝作った目玉焼きを口に運んだ。どんな顏をしながら、今朝これを焼いたのだろう。 「おっ、仁王!」 「ん、」 あれあれ、と丸井が指をさす。その先には名前がいた。砂まみれになった弁当を二つ抱えて。 丸井の隣の席にどかっと座った名前は、机の上に弁当箱を力強く置くと暴言を吐き出した。丸井が呆気に取られてポカンとしていた。俺の手からも箸が抜けて机の上で転がった。 「名前…? どうしたんだよい」 「知らない!!」 「知らないって…」 「振られんぼでも喰らったか」 「うるさい!」 丸井の前の席に座っている俺のことを思い切り睨んだ名前は、涙こそ出ていないものの目が赤くなっていた。 丸井が名前を慰めるような言葉を並べていたが、名前に凹んでいる様子はなかった。寧ろ激怒していた。あの包茎野郎死ね!死ね女たらし!と大声で叫んでいた。女子としてどうよそれは。たまたま俺に用があった柳生が近くに居たようで、ずれた眼鏡を指で押さえながら顏を引きつらせていた。 「に、仁王君…これは…?」 「おう、気にしなさんな」 柳生が名前に向かって注意しようとするのを阻止して、俺への用件は何か話しを俺に向けた。 砂まみれになった弁当の包みが名前の机にぽつんと置かれていた。名前は弁当を放置して丸井に愚痴を漏らしていた。どうやら彼氏に浮気され勢いで別れを告げてきたらしい。名前もだけど、弁当も可哀想だな。俺も人のこと言えた義理じゃないが、コイツの元彼もひどい奴だ。もしかしたら一番可哀想なのは名前の元彼かもしれない。 「逃した魚はでかいのう」 「あったり前でしょ! きっと今頃後悔してるんでしょーね」 「そうじゃなかったら俺が許さねー!」 名前は、どんな顏して二人分の弁当を作ったんだろう。愛しそうに目を細めていたのだろうか、口元に三日月を描いていたのだろうか…何にせよ今の彼女は鬼のような形相だった。 「名前?」 「仁王じゃん。部活は?」 「今日は休みになっての」 「へー、珍しいね」 「こんな時間まで何しとんじゃ」 部活のために部室へ行くと、今日の部活は自主練だけと告げられならば真っ直ぐ帰って昼寝でもするかと予定を立てたのだが、明日提出の課題を机の中に入れっぱなしだったことを思い出して教室に引き返してみたら、名前が自分の席に座っていた。弁当を二人分広げながら。 ドアの前に立ちながら名前と会話するのもあれなので、自分の席まで歩く。そういや課題を取りに来たんだっけか。一瞬当初の目的を忘れてしまった。 「せっかく作ったのに捨てちゃうの勿体ないなあって」 切なそうに目を細めて中身がぐちゃぐちゃになってしまった可哀想な弁当を見ていた。俺はここに明日提出する課題を取りに来たんだ。 「まだアイツのこと好き?」 「…別に、」 言葉を濁す名前に適当に「ふーん」とだけ返して名前の前の席に座る。適当な俺の返事に名前は「あんたが聞いたんでしょ」と不満気に頬を膨らませた。訊いたのに答えを曖昧にしたのは名前の方じゃろ。 「あ、ちょちょちょ、あんた何してんの!」 「ちょーど腹減っててのー」 ひょいとぐちゃぐちゃに混ざり合った弁当の具の中からから揚げをつまみ出して口に運んだ。確かにこれをただ捨てるのはもったいない。 「こんな美味いのにな」 「………、…」 ひどく、ショックを受けたように名前の表情が固まった。本当は、食べてほしかったのは俺じゃなくて他の女と飯食ってた元彼なんじゃろうな。昼休みに見せていた鬼のような形相は今はどこにもなくて、自分の中の色んな感情を我慢するように口をかたく結びながら泣いている名前がそこにいた。 「名前」 「……なに、」 「箸とかないんか」 こんな時に箸かよ、と名前はいつものように可愛げのない言葉を投げると箸箱も一緒に投げてきた。丸井の言ったように、名前はとことん不器用だ。 「名前は食べんの?」 「…それ、美味しい?」 「美味いぜよ」 「私が愛情込めて作ったんだから美味しくないわけないけどね」 「素直にありがとうって言えんのか」 「とっても素直でしょうが」 名前はセーターの袖で目元を拭ってから箸を握ってパクパクと弁当を片付けていく。 「この弁当作ってるとき、どんな気持ちじゃった?」 「何でそんなこと訊くの」 「興味心ナリ」 「仁王って優しいとこあるけど基本性格悪いよね」 「心外じゃ」 「……お弁当作らなきゃって、めんどくさくてもキッチンに立つの。お弁当の具とか何にしたらいいんだろうってすっごく悩むんだ。でも喜ぶ顔が見たいからおかずのことで悩むのが楽しかったの」 名前の声が教室に小さく反響しながら俺の耳に届く。 「やっぱ食べて欲しかったんだけど、他の女の子と一緒にコンビニで売ってるおにぎり食べてるアイツ見たらなんか冷めちゃって…」 「コンビニのおにぎりよかこっちのが全然俺は好きだけどな」 「男を落とすならまず胃からっていうけど、私の作った物っておにぎりに負けちゃうんだね。それが悔しかったなぁ…付き合い始めよりは好きがなくなってたみたい」 もしかしたらそれでコンビニのおにぎりに負けちゃったのかも、と名前が笑う。 「男を落とすには胃から、よく言ったもんぜよ」 「ねー。実際そんな単純な人そんないないわー」 「落ちたんじゃけど」 「は? 何が」 「俺が」 胃袋も落ちるし心も落ちる、やっぱ料理で落ちる男って多いと思う。ここだけの話、名前の手作り弁当食う前から落とされていたことは秘密ナリ。 「名前に落とされた単純な男ぜよ」 かっこつけてみたら、怪訝そうな顔された。何故だ、こっちは珍しく大真面目だったちゅーんに。 僕におくれよ 痛いの痛いの飛んでいけ /愛執 |