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嗚咽の幻を視た気がして 教室に入ってきた誰かが言う。「苗字が倒れて保健室に運ばれた」 こうなることを予想しなかったわけじゃない。彼女の顔色を見ればこうなることは十二分に予想はできたことで、俺はどうして彼女に着いていかなかったんだろうと悔やむ。 保健室の前に苗字さんを抱えた謙也がいた。 「謙也、苗字さんは?」 「過呼吸起こしてん」 謙也の代わりに保健室のドアを開ける。保険医がいない、こんな時にいないなんてあの人も大概タイミングのない人だ。 謙也がベッドに苗字さんを寝かせる。 「白石何か知っとるん?」 「え」 「こうなった原因とか」 「…まあ、俺が原因なんやけど」 謙也は溜息を吐きながら俺から視線を外して静かに寝息をたてる苗字さんへ顔を向けた。 「何かしたん?」 謙也がいつもより低い声で聞いてくる。謙也に怒られるなんていつぶりだろうか、なんて考えながら苗字さんの事情はそれとなく隠して昨日から今日にあった出来事を説明する。 「…白石が悪いわけやないな」 「無理せんでええよ、言いたいこと言い」 「白石のせいやないけど、なんやすごくむかつくわ」 「すまん」 「謝らんでええわ、白石は悪ないって言うとるんやし」 「でもお前俺にいらついとるんやろ」 謙也はちょっと目を見開いて一瞬だけ俺を見てからまた視線を外して外へ目を向けた。 謙也がいい奴なのは知ってるし、目の前で親しい友人が倒れたら心配するのも原因を作ったものに対して怒りを感じるのは当然だと思う。友人、謙也の中にある意識ってそれだけなんかな。こんな状況にも関わらずそんなことに思考を巡らせ謙也に対して疑念を持つなんて自分はなんて薄情な人間なのだろう。呆れた。 「謙也、過呼吸って」 「過換気症候群…精神的な不安が原因で過呼吸になることや」 淡々と説明する謙也は流石医者の息子というとこか。精神的な不安のフレーズに背筋が凍った。 人が怖いと言っていた苗字さんの周りにいきなりみんなで寄って集って囲んだらそら不安になるだろう。苗字さんの過去にあった出来事を思い出してしまったとしたら。不安定どころじゃない。 「白石、お前がちゃんとこいつ守れへんっちゅーなら俺がこいつ奪ったるからな」 謙也は苗字さんの方を見ながら声を低くして俺へ言う。 俺にどないしろっちゅーんや、ちゅーか苗字さんは物とちゃうし俺のもんでもあらへんしお前が奪うってなんや、言いたいことはたくさんあったのに、言い返したいのに何一つ形として出されるものはなかった。 俺に苗字さんの傍に居る資格なんてないのかもしれない。守ってやりたい気持ちはあっても実現できないんじゃ何にもならない。そんなのただのエゴだ。 ようやっと搾り出した言葉が「謙也、それ本気なん?」だった。笑ってしまう、謙也が冗談でこんなこというわけないのに。本気じゃなかったら、本気だったら俺がどうしたというんだ。俺には関係ないことなんじゃないのか?まして今の俺じゃ何か言える立場じゃないだろう。 「本気やったらなん?」 そう謙也は残して保健室から出て行った。初めて謙也相手に恐怖心を抱いた。 |