星とメランコリー | ナノ
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今日もまた彩を添えて



ばしん、乾いた音が床から響いた。激しい運動をしたわけでもないのに荒くなった息を整えるように深く息を吐いては吸った。そして目の前で何の罪もなく叩き付けられた物を拾い上げる。胸に抱くとまたそれを床に思い切り叩き付けたい衝動に駆られた。それを堪えつつゆっくりと抱いていたノートを目の前のベッドの上へ置く。そしてその前に正座して再び深呼吸を繰り返す。いよいよ自分が気持ち悪い。心の声だけに留めておけずに口にも出してしまった。「気持ち悪い」―――気分ではなく、自分の行動と思考が気持ち悪かった。どこの少女マンガのヒロインだ、そうつっこんでしまうくらい今の私は乙女であった。ただの乙女ではなく、恋する乙女だ。よく人は恋をすると可愛くなるという話を聞くけど本当なのだろうか、むしろ気持ち悪いの一言に尽きるのだけど。変態と乙女は紙一重だ、聞こえはあまりよくないけどそっちの方が現実的だと実感した。どうして私はこんなに疲れているんだろうか。目の前にあるのは、ただの一冊のノートだというのに。何故こうも取り乱してしまうんだ。ノートの表紙には“今週のこんだて! 苗字さん用”と書かれている。その字は、白石のもので。その内容はこんだてだけじゃなくて私のためにと、私のことを考えて色んな情報などが詰め込まれているものだ。文字もその内容もすべて白石に由来するものだから問題だ。白石が、私のために…そこまで呟くと自然に熱が顔に集まった。今までは何てことないちょっとお節介なノートだったというのに、今はどうしようもなく大事な物のような気がしてならない……まあ、床に叩きつけた私の台詞じゃないけど。
だからってどうしてこんなノート一冊にここまで翻弄されなければいけないのだろうか。白石が恨めしい。彼の憎たらしく笑う顔が浮かんでくる。白石が私の頭の中のような嫌な笑みを浮かべている姿は実際には見た事がないのだけど。自覚、という行為はきっととても勇気のいるもので、大人の階段を上るというのはこういう心境をいうのかもしれない。私はこの時学んだ。

「何で思考の中心が白石になるの…」

何かを考えては白石に結びつける自分が恥ずかしくて、白石を頭の中から追い出すべく読書に勤しむ事にした。白石退散白石退散、そう頭の中で呟いていたら“白石”の単語が逆に頭の中にこびりついてしまって追い出し作戦は失敗に終わった。

時刻は6時。いつものことだけど昨夜も寝れずに気がつけば朝になっていた。その間ずっと白石のことが頭を離れずに何度頭を壁に打ち付けたいと思ったことか。
今日は早めに学校へ行こうと決めて、冷えた部屋で制服に袖を通した。



「あれ、苗字さん?」

びくりと肩が跳ねた。幻聴かと一瞬思ったけど幻聴だったらだったでそれは気持ち悪いなと思いつつ声のした方を振り向けば案の定白石蔵ノ介が私の後ろのその場で走っていた。走っていた、というのは違うかもしれない。走っているようにその場で動いているだけと表現した方が正しいだろうか。

「…ああ、部活……」
「いやまずおはようやろ」
「おはよう」
「おはようさん」

白石は笑顔で挨拶を返した。こうして見ると笑顔でスキップしているようにしか見えなくて笑いそうになった。こらえたけど。

「今日はやいなあ」
「うん気分」
「朝ご飯はちゃんと食べてきたん?」
「おにぎり食べたよ」
「おっ、ええ子やな」
「同い年に子供扱いされたくない」
「いやあ苗字さんみたいな妹おったら可愛がりたいわぁ」
「…妹……(白石って4月生まれって言ってなかったっけ)」

自分の方が数ヶ月年下かもしれないのに彼はさらりと私を妹と呼ぶ。それが何故なのか胸に針が刺さったようにチクリと痛んだ。

「白石ー!」
「…金ちゃん」
「千歳がそこの公園のベンチで寝てしまいよったで!」
「……なんやて」

金ちゃん、そう呼ばれる小さい男の子が白石の周りをちょろちょろ動く。まあ可愛い。
白石は はー、と長い溜息を吐くと私へ振り向き「ほな部活戻るわ」と疲れが垣間見える笑顔で言った。

「今日は白石が倒れそうだね」
「……倒れたら俺のこと支えてくれる?」

冗談で言ったのに、白石が真面目な顔で返すから返事に戸惑う。

「い、いや、白石ってなにげにでかいから無理かも」
「でもここにおる金ちゃんよりは苗字さん背あるし、行けるやろ」
「うん?」
「一緒来てやー」
「姉ちゃん誰―?」
「臨時マネージャーや」

私が返事をする前に金ちゃんと呼ばれる小さい子が私の手を取り「ほな行くで!」と走り出した。今朝私の頭の中で憎たらしく笑った白石が、現実に私の背後に居た。
何ですか臨時マネージャーって!

公園のはじにベンチで横になってる男の人が居た。一見ホームレスの人かと思うその人はどうやらうちの生徒らしい。
金ちゃんと呼ばれる少年が「ワイがここを通った時にはここで寝てたんや」と説明をしてくれたのだけれど、まったく理解できない。え、何でこの人はここで寝てるの?何でこんな気持ちよさそうに寝てるの?ううん…一番理解できないのはここに居る私の存在じゃあないだろうか。

「ところで姉ちゃん名前なんてゆーん?」
「苗字名前」
「僕、遠山金太郎ですーよろしゅうな」
「よろしく」

私とは真逆な明るい笑顔で彼は自己紹介をする。礼儀正しい子だね、と言えば彼は「挨拶はちゃんとせなアカンってオカンに言われてるんや」と少しだけ照れくさそうに鼻の頭をかきながら言った。挨拶のしっかり出来る子に悪い子はいないね。

「千歳ちっとも起きひんなー」

先ほどから枝でつついてみたり揺すってみたり鼻をつまんでみたりしても目の前で気持ちよさそうに寝ている彼の目は一向に開かれなかった。何で私が困らなくちゃいけないんだ。というか白石どこ行ったのなんでいないの。

「あ、白石!遅いでー!」
「どこに行ってたの!」
「そこのコンビニにな」

コンビニ…?
白石はついでに苗字さんへのプレゼントも買うて来たでとコンビニ袋を持ち上げて掲げた。

「苗字さんにはこれとこれな」
「は…?…あ、りがと…?」

白石に手渡されたのは梅ねりと毎日野菜のジュース…何このチョイス。梅ねりって…好きだけど梅ねりって。

「白石!ワイにはなんもないん?!姉ちゃんだけズルイわー!」
「金ちゃんには余ったのやるから我慢し」
「余ったの?」

金太郎くんと私は二人して首を傾げた。白石はコンビニの袋から最後の購入品と思われるのを取り出してそれを開けた。

「ほーらたんと食べやー」

そして白石は爽やかな笑顔でそう言って開けた袋に手をつっこんでから引き抜いて、ベンチで眠る男性に向けて手に握られたものを投げた。その光景は豆巻きを彷彿させる。いや実際豆巻きとなんら変わらないんじゃないだろうか。
ふわふわした白い塊たちが男性の腹部に散らばった。そして間もない内に鳩が飛んできて彼に群がりお腹を突き始めたのだ。

「どや、このポップコーン作戦」
「ち、千歳ぇぇぇー!」
「そらどんどん行くでぇ」
「白石ー!千歳が食われてまううううう」

ちょっとだけ涙目にそう叫んだ金太郎くんは何羽もの鳩に襲われている千歳という人のところへ駆け寄り白石が投げたポップコーンを鳩に混じって食べ始めた。もうなんていうの?……絶句。

「白石って鬼……」
「ん?なんか言うた?」
「いえ別に」

「白石―!」
「おお、謙也、財前」
「苗字やん!おはよう!」
「おはよう」
「名前さん久しぶりっすわ、何してるんです?」
「白石に無理やりここまで連れてこられてね」
「白石お前また苗字に絡んでるんか」
「ちょお人聞きの悪いこと言わんとって」
「や、白石のことはええねん。金ちゃんと千歳見てへん…って何しとん!?」
「金太郎も何鳩に混ざって…………」
「いや千歳が起きひんっちゅーから」
「俺も投げてええです?」
「あ、金ちゃんの分残しとってな」
「はーい」
「ちょ、千歳…ぶ、千歳が…ぷくっ」
「忍足顔がゆがみすぎだよ」
「謙也、我慢はよくないで笑ったもん勝ちや」

白石はものすごく笑顔で私たちを見る。この人ほんとに鬼なんじゃないだろうか。

「い、いたっ…!ってええええええ、なんば!?」
「ち、千歳ェェェェ!はよ起きんと鳩に食べられてまうでえええ」
「いや金ちゃんにも食べられそうばってん…いた!いたか!いいいい…」

「か、かわ、かわいそうだよ…!」
「鬼はーそとー」

福はー内ー、のん気な声でそう口にした財前は一緒にポップコーンも口にした。

「千歳ぇーちゃんと部活参加しーやー」
「ごめんたい」
「わかればええんや」
「白石ば怒らせたらいっちゃん怖かね」

野菜ジュースを飲んでる隣で財前が「一番怒らせたらいけない人っと」…と頭の中にインプットしていた。まったくその通りである。私に対してもそうであるように白石は頑固だし手段を選ばない人だ。そんな白石が素敵に見えるのだから私も末期だな、ひとりごちた。