星とメランコリー | ナノ
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咲いて、枯れて、朽ちて、


今朝、一通のメールが届いた。それを読み終えてから、手にしていた鞄を再び置いてベッドの上に寝転んだ。色々な予想を立てて不安になってはまた新しい仮定を考えてもやもやする。考えることをやめたいと思っても頭の中がからっぽになってくれない。色んな意の篭った溜息を静かに吐き出した。
信じてあげないといけない、信じたいのに、疑ってる。疑ってかからなくちゃ私はやっていけないし、世の中信用していていいことばかりじゃないのは痛い程に理解している。でも、こんな些細なことでここまで疑う私はどうしてしまったんだろうか。





鏡の前でゆっくり彼女は微笑んだ。先日買ったばかりのスカート、お気に入りの髪型…それだけで自分がこの世で一番輝いているような錯覚に陥る。色々な角度から自分の姿を確認した彼女は最後に「よし」と気合を入れた。時計を確認する、時刻は9時半。すぐに出ないと約束の時間に間に合わなくなってしまうことに気づいた彼女は慌ててお出かけ用の鞄を引っつかみ待ち合わせの場所へと急いだ。

10時を回った頃、その場を行きかう若い女性たちの視線を独り占めにしている男が駅前に立っていた。
落ち着いた様子で立っている彼はその容姿からそれだけで多くの女性を魅了する。彼女もまたその一人だったのだろう。

「白石!」

容姿端麗な彼に見とれていた女性たちの意識が、一つの声に集中した。約束の相手を見るなり彼女たちは嫉妬交じりのまなざしを向けた。そんな彼女たちの視線を受け、ひるむどころか、左手に恍惚感を右手に優越感を持ち今まで女性たちの目を癒していた彼の元へ駆け寄った。

「ごめん、ちょい遅れたわ」
「や、俺こそ着いたのギリギリやったから」

笑顔でそういう彼に彼女の心はまた揺らぐ。彼に惹かれていく自分にすら恍惚する。

「あとは苗字さんやな」
「あ、苗字さんなんやけど今日来れんくなったらしいねん」
「え…?」

一瞬彼は不安そうな顔を見せるが、彼女はそれに気づかずに自分の携帯をいじり出す。

「今朝苗字さんからメールが届いてん、これ」

これ、と彼女が見せるそのメールには“ごめん、今日親と出かけることになっちゃって行けなくなった”と書かれていた。彼は彼女に気づかれないように肩を落とし落胆した。
そんな彼に気づかない彼女は笑顔でそれよりと話を切り出した。

「買い物行く前にちょっとお茶してかん?」

実は今朝寝坊して朝ごはん食べてへんねん、といたずらをした子供のような顔で笑う彼女に、彼―― 白石は快く承諾した。駅前に出来たお洒落なカフェがあると、彼女は彼を誘う。少し歩いた先にある落ち着いた感じのカフェに二人は入った。

談笑して、軽く食事を摂った二人は店を出てから彼女の希望であったウィンドウショッピングに繰り出した。彼女―― 平本は自分が本物の恋人になったような感覚に陥りより一層の恍惚感に包まれていた。

「何も買わんでええの?」
「ん、うん」
「せっかく来たのに?」
「そうなんやけど、最初はな、何を買うかっちゅーのを一通り見んねん。これから気に入った物を買いに行くんや」
「へぇ」
「効率は悪いかもしれへんけど、買い物上手やねんで」
「あー、平本って節約とかうまそうやもんな」

数時間彼女の希望でその辺の店を見て回ったが、彼女は何も買わずに次の店へと進む。その行動が彼には解せなかったのか直接理由を聞いてみると妙に納得した気になった。相手に申し訳ないと思いつつ彼もまた疑っていたのだ。もしかしたら自分と長く一緒にいるための行動なのではないのか、と。別にそれが悪いことだとか迷惑だとは思わないけど、どこか腑に落ちない部分があった。それが彼女の買い物のスタイルなんだと納得した彼は何故か少し安心したように肩の力が抜けた。

「なぁ、買い物行く前にそこのファミレス寄らん?」
「えっ、疲れた?」
「疲れてはないけど…平本とゆっくり話したいなと思って」

アカンかな、彼は彼女の表情を伺うように顔を寄せる。彼女はドキリと心臓を高鳴らせた。赤みが差す頬を隠すように少しだけうつむきながら、先ほどの彼のように快く彼の誘いを受けた。

案内された席に腰を下ろした白石は早速飲み物を店員に注文した。彼女はなんだか自分もせかされているような気がして、メニューの中から適当にケーキとアイスティーを注文した。

頼んだものが来るまでの間、二人の間には沈黙が続いた。それぞれに考えることがあったから。
彼は自分の頼んだ飲み物を手にしながら彼女が頼んだものが来るまで話し出すのを待った。商品が彼女の元へ届く。二人の間にあった沈黙が破られた。破ったのは彼女で、笑顔で話しかける。それに彼はにこやかに対応するのだ。まるで、マニュアルがあるかのような完璧な彼氏役で。彼女に少し合わせてやろうとしたいたずら心からきたものだった。

彼女がケーキを半分ほど食べ終えた時、白石は本来ここへ寄った理由である話を切り出した。

「食べながらでええから、聞いてほしいことがあるんや」

最後に…平本に、と付け加えた。それに対して自分の期待している展開が早くも訪れるのではないかと彼女は心に希望を持つ。

「俺な、3人兄弟でな」
「へぇ、そうなんや…知らなかった。あ、でも白石ってお姉さんとか居そうな気ぃするわ」
「おん、姉と妹で女ばっかの家なんや」
「うん」
「やから俺、女の子の扱いはちょっと慣れてんねん」
「う、うん…しかもモテるしな」
「別にモテへんよ……俺が言いたいんは」
「うん」

ドクンと心臓の音が大きく響く。これはまさか…フォークを持って手が汗ばむのを感じながら彼女は白石を穴が開きそうなくらい見つめた。その大きな瞳には一つの不安さえ映っていない。

「俺、女兄弟が多いせいで女の嘘ってきかへんねん」

彼女は一瞬、なんて言われたのか分からずぽかんと口をあけた。彼の言葉の意味が理解できず、その言葉が自分に向けられているのかすら解らなかった。

「…え、…う、ん…?」
「平本、苗字さんを利用したかて俺はどうもならん」
「…………」
「これでも平本より俺のが苗字さんを知ってる自信あるで」
「な、な、に…言いたいのか、わかんない」
「これ以上苗字さんを利用するために傍に居るんはやめてやっちゅー話」
「………んで…何で…そんなこと」
「苗字さんが傷つくとこ見たないねん、俺」

不安などこれっぽっちも映していなかった瞳に涙が溜まっていくのを感じた。今は不安しかその目に映らないかもしれない。彼はひどくつらそうな顔をしながら一言ごめんなと呟いて、伝票を持って席を立った。
平本は白石を引き止めようとせず硬く目を閉じた。そして両手を強く握る。彼女にとってこれ以上の屈辱があっただろうか。白石への怒り、苗字への嫉妬、それらすべてを受け入れないといけないという不満。どうして私が、なんで私が、どうしてあの子が何であの子が、延々と繰り返される思考のループに彼女が疲れた時、彼女の両目から大粒の涙が零れ落ちた。半分残ったケーキをそのままに彼女は一人店を出た。隣にはもう白石はいない。彼女はその悔しさと寂しさを抱え、ファミレスに入る前に二人で通った道をぼんやりと見つめた。あんなに楽しかったのに、今はこんなに楽しくない。まさかの展開がまさかまさかの展開だったと彼女は自分を励ますように呟いて力の入らない口角を無理やり上げた。

白石は知っていたのだ。平本と苗字の間の微妙なひび割れのような境目を。彼は、平本の気持ちと本心に気づいてしまったのだ。二人のどちらを見ていたかを知っているのは白石だけだろう。
傷つけないために自分が平本に切り出した話なのだが、結局傷つけてしまうのだろうと思うと胸に激痛が走った。とても申し訳ないことをした、自分のエゴにすぎなかった、自分を悔やみながら帰り道を一歩一歩進んでいく。双方を傷つけて俺はこれでいいのかと自問してみても答えは出ない。
これ以上不安に駆られて弱っていく彼女―― 苗字を見たくなかった。でも傍にいることで安心していた部分があることを知っていた彼は平本に感謝もしていた。その平本が彼女から離れるとなると、きっと彼女は傷つくだろう悲しむだろう、俺を嫌いになるだろう。
はあと大きく溜息を吐く。自分は結局何がしたいんだ。ただ、彼女を守りたかっただけなのに。
自分のエゴが過ぎると白石は苦痛の表情を浮かべた。