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存在に意味 保健室の前で苗字さんを肩からおろす。 最初はとても嫌がっていたけど無駄な抵抗だと解ったのか、歩き出してすぐに観念したようにおとなしくなった。それでいいんや、となんか勝った気になって小さく笑うと、それに気付いた苗字さんの腕が首に回ってきた。首を絞められるのかと思って一瞬身構えたのだが、ただ落ちないように肩に手を置きたかっただけのようだった。吃驚した。 きゅ、と自分のシャツを握る自分よりも小さくて白い手と、仕草というか彼女が可愛く思えてクッとのどで笑ったら不機嫌そうな声で「そのドヤ顔かっこよくない」と言われた。…ドヤ顔って…。 保健室のドアを開ける前にちらりと苗字さんの顔色を確かめる、良いとは言えないけど教室にいたときよりは良くなっていた。ホッと安心して、ドアを引く。 先生に俺から事情を説明すると、彼女は珍しく真面目な顔つきになって事務机の引き出しをガサゴソと漁り出した。苗字さんは先生に一言挨拶して、そのまま名簿の記入に専念してしまうし、俺はどうすればいいんだろうと迷う。けれどすぐにお目当ての物を手に先生が戻ってきたので助かった。 「苗字さん、あなたまたご飯食べなかったでしょう」 そう言って彼女が苗字さんに指し出したのは、購買でだんとつの人気を誇る一日20個しか売られない幻のパンだった。え、なんでこの人持ってんねん。なんでこの人が持ってんねん。 ちゅーか…またご飯食べなかったって言ったよな。苗字さんを見る。確かに持ち上げた時、あまり重さを感じなかったけど、こうして見ると苗字さんは少し痩せすぎな気がする。 「気付いたら食べてなかったんです」 そうサラっと言った苗字さんは、先生にお礼を言ってから椅子に座り受け取ったパンの袋を開けた。 「白石も食べる?」 「だめよ、あなたに必要なんやから」 「苗字、細すぎやで」 「なんか気付いたら食べるの忘れてるんだよね」 「いつから食べてへんの?」 「昨日の夜は本読んでたら忘れちゃって、今朝はぼーっとしてたら忘れちゃった。でも昨日の昼は食べましたよ」 先生は、額に手を当てながら大きな溜息を吐き出した。苗字さんはマイペースだ。昨日の昼は…ってそれほとんど丸一日何も食べてないやん。 もぐもぐとパンを食べながら、「ちょっと楽になってきました」と先生に言った。けれど顔色はまだ優れない。苗字さんの体調が悪かったのって空腹のせいやったんか? 「今日のお昼は何しててん? 保健室来なかったけど…」 「ぼーっとしてたら終わってました」 「体調あんまよくないのに、そんなんじゃまた倒れちゃうわよ」 「そうですね」 「もう、いっつもそれなんやから」 白石くんからも何か言ってやって、と先生に言われる。苗字さんがマイペースなのはわかった。そんなの彼女の勝手や。けど、度が過ぎるのも考えものやと思う。ぼーっとしてたらって理由が多すぎやろ。きっと彼女のことだからただぼーっとしていたわけじゃなく、何かをしていたとしてもそれを俺たちに説明するのが面倒だから「ぼーっとしてた」で適当に片付けているんだろうけど。 そして彼女の体調が悪い理由は空腹だけじゃないらしい。元々体調悪いのにその上食べなかったら更に体調を崩すのは当然だろう。 ダメダメやん、そんな意を込めて呆れた目で彼女を見やれば彼女は居心地悪そうに肩を縮ませパンをリスのようにかじりだす。まるで親に叱られた子供だ。 「苗字さん、マイペースなんは構わんけど、飯くらいちゃんと食わなまた今回みたいなことになんで」 「反省してる」 「食べることに意欲がないのも困り物やね」 「食欲がないわけじゃないです。食べることを忘れちゃうだけです」 的外れな反論をした彼女はご馳走様、と手を合わせながら言った。 忘れちゃうだけ、ってなんやねん。丸一日も忘れるアホおらんわ。目の前に無愛想なのが一人おったけど。 |