黒曜石 | ナノ
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(………は?)

がしゃーん、と耳に痛い音が響く。刹那みしりと打ちつけた左半身と体重が一番かかった左腕が痛み出す。

「っ……、」

何も言わない私に痺れをきらした他校のピアスじゃらじゃらさせた男に髪を引っ張られて椅子ごと倒された。は、なんだこの扱い。
思わず声が漏れそうになるのを舌打ちで誤魔化して、まだそこに立っている男を見上げる。目が合った瞬間相手がたじろいだのを見逃さなかった。
いつもはそれだけで自己嫌悪してしまうけど、今回だけは違くて。ざまあ見ろなんて偉くなったつもりなのか思ってしまった。だんだん私の性格が歪んでってる気がするんだけど…。

人質ならもうちょっと大切に扱ってくださいよ、ほんとひどいなあ。ゆっくり、大きく息を吸ってから目を閉じる。痛い。全身が痛い。騒ぐ声が耳に痛い。吐かれる言葉が頭に痛い。何もできない自分が心に痛い。大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせて、黒崎君のことを思い出す自分はなんて卑怯なんだろう。他人を頼りにするなんて、寄生してるのと同じだ。
自分の非は認める。だから早く終わってくれ。黒崎君でも茶渡くんでもいいから、この人たちを返り討ちにしちゃってくださいほんと。


どうしよう、前がぼやける。



「よう、来たな」
「呼び出したのはどっちだよ」
「はっ、のこのこ付いてきたのはてめえだろ?」
「こねえわけにいかねーだろ」

電車が通過する音が、いやに長く感じる。


閉じていた目をあければ見えるのは一面に広がるオレンジ色で、その中に一つだけ、薄暗いオレンジの中に明るいオレンジが混ざってて…

「茶渡く、ん」

に、黒崎君。目を閉じたら、頬に水滴が落ちた。
ばったばった倒れてく他校の生徒に混じって、綺麗に宙を描いて川に落ちた大島君が見えた。ぐっじょぶ茶渡くん。ていうかあの二人私の存在に気づいてるのかな。

いっぱいいたお兄さんたちが一気に少なくなったなあ、なんて瞬きしながら思っていたらまた髪を引っ張られた。髪の毛は女の命だって知ってんですか。別にそんな命だなんて言わないし、髪の毛と命どっちが惜しいかっていったら私は迷わず命を選ぶけど。ていうか頭皮痛いんですけど!

「いっ、…!」

これはよくある、脅しってやつですね。案の定、私の髪をつかんだ男が黒崎君と茶渡君に向けて私を盾に何か要求していた。馬鹿じゃないですか。そんなことしたって意味ないんだ。こうなることを予想しながら私を巻き込んだことには怒りを感じますけどね。でも、それを表に出せないのは恐怖が勝ってるから。


「こ、わ…いよ…」

黒崎君が私を呼んだ気がした。


「テメーら、本当最悪だな。女人質にしてまで俺に何させたいんだか」

ゆっくりと、黒崎君が両手をポケットに入れながら歩いてくる。ごめんなさい、と何度も何度も心の中で謝った。自分はなんて馬鹿なんだろう。いいようのない怖さが心の中に広がる。それは先の見えない不安なんかじゃなくもっと別の恐怖。

「その手、離せよ」

いつもより低いその声は明らかに怒りを含んでいて。黒崎君なのに、彼なのに、自分が責められている気がして、怖くなって目を閉じた。馬鹿だな、黒崎君を怖がるなんて。
目を閉じて、また心の中で謝って、自分を責めた。引っ張られる感覚がなくなって、髪が離されたと理解する前に鈍い音が上で響いた。
はっとして目を開いて音がした方を見れば茶渡君が片足をあげながらいかにも、サッカーボールでも蹴りましたという体制をしていた。
目の前には苦しそうで心配そうな表情で私を見る黒崎君がいた。こんな自分を晒したいわけじゃないのに、自分がやっぱり情けなくて、目を閉じる。止めたはずの涙が頬を伝う。

「おなまえ、」

何も言う気になれなくて、…というか声が出せなくて、無言を貫く。

「ちょっと待っててくれ、今これ外すな」

いつもの声が落ちてきて、また泣くかと思った。でも欲を言えばもうちょっと誰も傷つかない方法で助けてほしかったよ…いやまあいいんだけどね。一撃で気絶させてるだけみたいだし…。
次に目を開けた時にはいつもの仏頂面でありますように、なんて静かに願った。


どうして彼の前だとこんなに泣き虫になるんだろう。
安心するから?