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逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ、ってずっと自分に言い聞かせて縛り付けてきたけど。最近その考え方が変わった。人はそれをネガティブとか開き直りって方向に捉えるけど、私は私が自分を好きになれた証拠だと、ポジティブなつもりで捉えている。逃げるな、なんて叱り付けて押さえつけて無理に頑張っていくよりも、逃げてもいいよだから頑張ってって応援できる方がずっと素敵なんじゃないだろうかって思い始めた。 100メートルを走ったら、必ずみんなタイムはばらばらになるし、中にはすごく早くゴールにたどり着ける子もいる。その逆で遅い子だっているはず。要は人それぞれで、何に対してもその人のやり方とか考え方ってものは存在するんだ。誰かから逃げるのは、あまりいいこととは言えないけど、時間をかけて解り合っていくことだってきっと出来る。と思う。 でも、自分から逃げるのは? いいこと? 悪いこと? 心の蓋をきつくしめて閉じてしまうのはいいこと? 悪いこと? いいことじゃない、でも悪いことじゃない。 逃げたっていいじゃないか。無理して頑張って立ち向かっていくのが近道なのかもしれない。だけど、逃げて誰かにすがって逃げてそれでもやっぱり頑張って、ってゆっくりでも遠回りしてもいいんじゃないかと私は思ったんだ。だって、遠回りした分何かを掴めるチャンスはきっとあるはずだし。近道では見つけられないものを拾えたりするかもしれない。 近道と遠回りがあるんなら、きっとゴールだってある。そのゴールに辿り付けるんなら焦らないで遠回りしたって悪くないよね。早足なのも遅足なのも、そんなの人の自由だって、胸を張って言ってみたい。私だけじゃなくて、誰かに聞いてもらって、考えてもらいたい。 新しい自分に一歩進めたような気がして、嬉しくなる。 開き直ってる、って言われたらそうなのかもしれないけど、開き直って自分を見つめ直してあげるのも大事なことだと思うのです。 **** 「……変なん見た…(夢の中で語っちゃったよ、アホか!)」 でも、なんだかすっきりした。いつも通りの朝でも今日はなんだかいっそう爽快な目覚めだ。 んーっ、と背中を伸ばしながら時間を確かめる。7時前だった。 「清々しさ倍増だね!」 ちょっとだけ、得した気分になって。朝食をちょっとだけ豪華にしようって気になった。私って単純で安上がりだなぁ。そんな自分がちょっと好き。小さなことで嬉しく思ったり幸せを感じられるってすごく幸せなことだって思う。そういう想いは大切にしていきたいって、思う。 「和食だよねー、豪華って言ったら」 冷蔵庫の中を確認する。キッチンはいつも生活感でいっぱいなのでもちろん冷蔵庫の中は豪華なのだ。部屋は殺風景で何の面白みもないけど冷蔵庫は別世界だ。冷蔵庫大好きだー。 「昨日の余り物ー、は…夜ご飯でいいかな」 一度冷蔵庫を閉じて(節約上手ですから!) スペシャルでブリリアントな朝食を考えてみる。献立って考えるの楽しいけど難しいよね。ていうかスペシャルでブリリアントなってどんな朝食だよ。 「あ、一昨日の余り物食べなくちゃ」 豪華な朝食という計画は諦めて、仕方なく余り物の消化に路線変更決定。 一昨日の余り物を冷蔵庫から出して、温め始める。と、リビングの方で物音がした。加藤君かなあ、と思いつつ物音のした方へ目を向けると、ソファに背中をもたれかけるようにして座ってる黒崎君がいらっしゃいました。……………… 「……義骸?」 て、いうか! 義骸だとしても、何故黒崎君のがここに? ていうか、もしかして本人? 本人の方が確率的に高いよね。えええええ、で、だから、だから、なんでいるの?! 黒崎君のものだと思われる義骸(なのだろうか)のそばまで近寄ってみる。呼吸はしてるし、動くし、やっぱろご本人ですよねー……。 ね、寝てる…! 黒崎君が! だから何故にここで?! 「ソファ使えばいいのに……じゃなくて、」 昨日のことを思い出してみる。曖昧だけど、夜中に黒崎君とコンさんが訪ねてきたんだよね。それから…どうしたっけか。お茶は出したんだっけか。え、思い出せん。多分寝たな。え、じゃ、じゃじゃじゃじゃじゃ、黒崎君がここにいることになったのって私のせいなの?! 何があって何がどうしてこうなったんだ?! 「……寝てる」 や、目開いてないんだから寝てるんだよね。 「み・眉間皺がない…!」 眠ってる黒崎君はいつものような仏頂面なんかしてなくて、あどけなさを残した顔で寝てて、いつもと違う黒崎君が新鮮で可愛くて小さく息を吐くように笑った。 「……、…」 好奇心から、それからいたずら心から、おやくそくのホッペつんつんをしてみたくなった。うはぁー、姫ちゃんはほっぺたつんつんくらいじゃ起きないんだよねー。ほっぺつねるくらいじゃないと、逆にこっちがやられるのよねーはははー。 す、と指先を頬に近づけると、いいようのない胸の高鳴りというかドキドキというかハラハラ感が指先から伝わって、背中に何かが走ったような気がした。えい、心の中で合図しながらほっぺたに指を突き刺し…てはいないけどつんつんしてみる。 「…あ、」 起きない。黒崎君は呻くような小さい声をあげただけで、その目は開くことなく未だに閉じられている。なんか楽しくなってちょっと強めにつついてみた。黒崎君の温度が、指先に伝わる。指先を頬に置いたまま、見える寝顔を眺める。この体温が、何回も何回も私を助けてくれて、いつも背中をおしてくれて、それが嬉しくて、私は今すごく幸せで、笑っていられるんだよね、ありがとうって言葉にしても、何度言葉にしても伝えきれないくらい、ありがとうって思ってる。ありがとうって言うたびにじわじわと涙が溢れてきそうになる。それは悲しさからきてるのか嬉しさからきてるのか、とても曖昧であやふやだけど、じわじわとくる感情に心地よさと彼への愛しさが溢れるようだ。 ―――チーン、 レンジの高い音が背後で響く。それに続いて黒崎君の閉じられていた瞼がぱちりと開いた。私の指先は未だに黒崎君の頬へ添えられたままだった。気まずいっていうか…今更だけど、ほんと今更だけど、すっごく恥ずかしい! 自分変態だ! 「………。」 「あっ…、」 その状態で約10秒間、私の思考回路は停止し、相手もまったく動きを見せない。目の前の彼は眉間皺に仏頂面だし、きっと今の私はこの上なく間抜けな顔をしているに違いない。すーっと緊張が静かにだけど激しく体中を駆け巡るのが伝わった。指が頬から離れない。私の指、ボンドとかつけてたっけ? 何これ金縛りってやつ? ああ、黒崎君霊感体質だもんね、よくあるよくある。それになんかよくわかんないけど私も霊感体質っぽいし、あるある全然あるある 「いやないから!」 「………はい?」 「あ、はい、何?」 「いや、何はこっちの台詞だろ。何してんだよ」 「寝てる人間にいたずらしたくなるのは人間の性というものだと思うわけです………ごめんなさい」 急いで指を引っ込めて土下座する。下げた頭の上から手が降りてきてぐしゃりと撫でられ寝癖がさらにひどくなった。 「あの、一つお聞きしてもよろしいでしょうか」 「なんだよ? つーか頭上げろって」 「何ゆえあなた様がこのような場所に居られるのでしょうか、しかも寝てたし」 「は? 覚えてねーのかよ」 「大変失礼ですがそのようです、覚えてないっす」 「だから、だな。話してる途中でお前が寝ちまって…帰れるに帰れなくなったんだよ。鍵かけねーまま放置するわけにもいかねーだろ」 「起こせばよかったのに」 「起きなかったのは誰だよ」 「きっと井上家の遺伝だよね」 「は?」 「姫ちゃんも一度寝たら起きないタイプだからさー」 そういうとこは似てるもんなのかな、なんて笑っていると黒崎君のお腹が鳴いた。 「腹減った…」 「あ、朝ごはん余り物だけど、よかったら食べてってよ!」 「んー、洗面所借りていーか?」 「うん、そこ曲がったとこ」 「おー。っ、背中いてぇ」 腰をさすりながらもう片方で頭をガシガシ掻きながらそれほど広くない部屋を横切っていく。う、なんかとてつもない罪悪感が…。 「私のせいだよね…遠慮しないでソファ使えばいいのにさ…」 黒崎君の背中を見送って、レンジから温めた余り物を取り出す。それからお皿に2人分盛り付けて、お湯を沸かす。ご飯は昨日の夜スイッチ押したから出来てるはずだし大丈夫だよね。余り物と味噌汁だけじゃ黒崎君に出せないような(そんなこと気にするような人でもないけど)気がして、お詫びもかねてもう一品おかずを作ることにした。まあ余り物の付け合わせだけど。一石二鳥…ってそれじゃ私ばっかり得してるような。お詫びになってないじゃないの。 「っと、加藤君はいずこへ?」 そういえばさっきから加藤君の姿が見当たらない。いつも黒崎君がいると引っ付きながら黒崎君と睨みあいしてるのに。またどんぐり集めかなあ。最近放置プレイ多すぎだよ。寂しさを覚えつつ、加藤君がいつ戻ってきてもいいようにキャットフードをテーブルの脇へよそった。 姫ちゃん以外の人と食事なんてしたことなかったから、なんかどきどきしますね。 記憶にないもの |