黒曜石 | ナノ
×


「井上?」

バイト先の入り口を、頬の筋肉を緩めた間抜けな面でスキップしそうな位に軽い足取りでくぐり抜けた途端、最近馴染み深い声が私を呼んだ。

「…?、…!」

な ん て こ っ た !

「え、井上さん?」
「いの…あー!妹の方!」
「浅野さん失礼ですよ」
「(妹…)こんばんは…」
「えっ何、何で敬語?!」
「浅野さんって存在がうざいですよね。ほんと空気読めって感じですよねーマジ失礼な奴。あはは」
「素晴らしい笑顔イヤァァァァァ!!!」

「やっぱり、井上じゃねえか」

街灯の明かりの下で崩れるようにうずくまる浅野君は、さながらスポットライトを浴びるヒロインのようだ。他人のように距離を置く小島君が浅野君の悲劇を引き立てている。呆然とその光景を見つめていると、小島君から少し離れたその場から私の目の前へと街灯に照らされながら黒崎君が移動した。

「何やってんだよ、こんな時間に」

本でも買いにきたのか?と訪ねてくる黒崎君の眼を見ると、どうしたのか嘘が吐けなくなった。だってだってだって、眼を逸らしてくれないんだもの。そりゃ嘘の一つも吐きにくくなりますよ。こっちから逸らしても後から後ろめたさが出てくるかもしれないし。ああもうホントの事言うしか私に道はないのか。うんうんそうだよね、別に言ってもどうもしないよ。

「バイトの帰りで」

諦めました。溜息混じりに言って、ちょっと引き攣ってしまった笑みを向けた。
迂闊だった。バイトの給料日で浮かれまくっていた所にクラスメイトと遭遇。知り合いに会いたくないから自宅から少し遠めのこじんまりとした本屋にしたのに。店出た瞬間ってのがどうも気に喰わない。もっと遠くの店にすべきだったかしら。       

「いつもこんな時間までバイトしてんのか。つかバイトなんてしてたのか」
「うん、いつもはもっと早く上がるんだけどね」

今日はたまたま…そこまで言うと少し強ばっていた黒崎君の顔がほんの少しだけ和らいだのを私は見逃さなかった。ちょっと安心。安心?なんで安心したんだ?黒崎君の顔が怖かったから?いやいや失礼だぞ自分。
今日は店長の奥さんが風邪で出られないと言うことで私が代わりに入った、とまでは言う必要もないと思って口を噤んだ。

「じゃあ、私帰るね!また明日、黒崎君、小島君」
「おう、明日な」
「また明日ね井上さん」

手を振ってくれた水色君に軽く振り返して、最後に短く「じゃ」、と頭を下げ二人(+浅野君)に背を向けて帰路につく、…と浅野君の声が背中に届いて、振り向くと、納得してないようなそんな顔をした浅野君が仁王立ちしていた。

「何でしょうか浅野君?」

ちょっと怒っていた風だったのでなるべく刺激しないように訪ねてみたら、浅野君は目を見開き石化したように動かなくなった。

そして「けいご」と独り言のように呟くと、ユラーンと手を垂らしながらフラフラと不安な足取りでこちらへとユラユラ歩み寄ってくる。なんだなんだなーんーだぁ?えっえっ、これは逃げた方がよろしいのかしら。浅野君の表情は項垂れたままなので伺えない。もしや私は彼の何か、お怒りを買ってしまったのやも…。アレかな、アレ、スポットライトを浴びる可哀相なヒロインもとい浅野君をさして気にせずスルーした事がまずかったのか?!ああああ、動けないぞ動けないって、変な汗まで出てきたぞ…!

「けいご」

ボソリと呟いた二度目の言葉

……けいご…?

「けいご…けい…? あぁ、浅野君の名前、確か啓吾君…だよね。それがどうし…」
「けいごぉぉぉお!!」
「ヒィィィイッ!!?」

くわっ!、と浅野君がやっと顔を上げてくれたと思ったら、今度はがしっと両肩を掴まれ揺さぶってくる。えっ何だやっぱ違かったのか!じゃあアレかな? 最近流行のボケとツッコミ、所謂漫才…そうか浅野君は漫才をしたいのかもしれない…!
多分流れ的に私がツッコミ役かな。ツッコミ、突っ込み、え、あれ、そうだとしたら私が浅野君をド突く事に…えっ、ド突くの?! 私が?! 浅野君を?! そ、そんなの無理だ、私には出来ない…! そんなハイクオリティなものをこの私が勿論持ちえているわけもなく、気まずい空気の中数秒の混乱と葛藤が頭の中をぐるぐるとまわっていた。
落ち着け。大丈夫、こーゆーのは基本からが大切なのよね! 行くよ! 行くわよ!行っちゃいますよ!

「な、なんでやねーん!」


・・・・・・・・。

・・・(・∀・)アレ・・?

思い切ってズビシッと浅野君の胸元に突っ込みを入れた私(さすがにド突けませんでした) 何か、みなさんフリーズしてしまったのですがどうしましょう…!!あわあわ、と汗が吹き出してきました。

や っ て し も た !

「ぷっ…く、あはははははっ!あは、ははは…」

堰を切ったように小島君が黒崎君に寄り掛かりながら腹を抱えて笑い出す。

「…なんでやねーんて…」

黒崎君まで苦しそうに笑い出す。

「あー、と一体これは…」

目の前の浅野君までもが壁を叩きながら笑い出す始末で。みんな笑ってるし…とりあえずいいの、かな、これで…。


ハテナマークで一杯に
釣られて笑った