黒曜石 | ナノ
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玄関の鍵をあけ(手が震えて上手く鍵穴に差し込めなくて、黒崎君にあけてもらった) 中に入る。自分の部屋はやっぱり落ち着くけれど、興奮がおさまらない。エキサイティング元気ハツラツ! だったら興奮がさめないままお風呂に入って鼻歌なんてうたっちゃうのに、恐怖からくる興奮に鼻歌なんて出そうになかった。

「じゃあ、ちゃんと戸締りしとけよ」
「えっ?」
「………」

今すぐに、何かしないと、黒崎君が本当にいなくなってしまうような気がして、気が付いたら彼の手を掴んでいた。吃驚したように黒崎君が「何だよ」と声をあげる。迷惑、かけたくない、のに。めんどくさい奴だなんて思われたらやだな。どうしよう。

「あ、あの、」
「なに」
「もう帰っちゃうの?」
「ああ、だってもう遅いし」
「もう少し! もう少し、黒崎君と…お話したい、な」

独りでいるのが怖かった。加藤君もいるのに、それだけじゃまだ足りないと思ってしまう私はなんて欲張りなんだろう。いつからこんなにわがままになってしまったんだろう。どうしてこんなに、臆病になってしまったんだろう。今の自分と昔の自分を、比べてしまう。今の私はいささか強情、いや図々しいかもしれない。黒崎君に甘えるのに慣れてしまった。

「……ごめんなさい」

自分がどんどん悲しい存在になっていくようで、黒崎君に迷惑だと、面倒なやつだと思われるのが怖くて、力なく咄嗟に掴んでしまった手を離した。どこかで、黒崎君なら私のわがままをきいてくれる。まだ、そう思ってる。情けない。こんなに利己的な自分、いやだ。こんなの、なりたかった自分と違う。黒崎君の優しさを利用するみたいで、いやらしい。呟いたごめんなさいは、そんな形の現れだった。本心だった。

「いや、おなまえがいいんなら、上がらせてもわうわ」
「ごめん。…私、わがままばっかり…」
「いいよ。お前はもーちっとわがままになった方がいいぜ」

そんなんじゃ損するぜ、そう続けて黒崎君は「おじゃまします」と挨拶してから中に入った。突如加藤君が威嚇を始める。わああああ! 折角上がってもらったのに追い返すようなことしないで加藤君んんん!

「おなまえ」
「なに、?」
「もう大丈夫か?」
「え、」
「さっきまで、震えてたから」
「だ、いじょうぶ、黒崎君も加藤君もいてくれるし」

頼もしいよ、そう言ってちょっとかたくなってしまったけれど笑顔を作ってみせた。そうかよ、と言った黒崎君に頭を撫でられる。加藤君がまた威嚇する。


「黒崎君」
「あ?」

ミルクティーを飲みながら黒崎君が答える。

「…死神のこと、」
「………」
「姫ちゃんは知ってる?」
「……ああ」
「…そっか」
「どうした?」
「分からないけど、もやもやする、…今」
「どうしてだよ?」

どうして? どうしてだろう。姫ちゃんが私に隠しごとをしていたから? 私の知らない黒崎君を姫ちゃんが知っていたから? だから、なに? 悲しいのかな、悔しいのかな、なんだか、無性に心の中がもやもやする。霧のように、真っ白い闇が心に広がる。それとも、二人に仲間はずれにされたような気になってるんだろうか? 仲間はずれ、ね。私は自分で思っていたよりも随分図々しい性格になりさがっていたようだ。自惚れてる。自分が、ばからしくなってくる。だけど、なんだかとっても――

「悲しい…かな」
「え?」
「私の知らない黒崎君を姫ちゃんが知ってるの」
「おなまえ?」
「置いてかれちゃう気がして、こわい」

黙りこくった私に、黒崎君は静かに、姫ちゃんが死神の黒崎君のことを知ったきっかけを話してくれた。霊力(幽霊を見る力のようなもののことらしい)を持って、死神だった黒崎君のことを思い出したということも、お兄ちゃんが、姫ちゃんを襲おうとしたことも。

「井上が、死神のことを思い出したのは、井上の霊力が上がってからなんだ」
そう始まって、お兄ちゃんの件について話してくれた。

「そっか」って答えるのが精一杯だった。お兄ちゃんは、やっぱり私のことなんて、どうでもよかったのかもしれない。いつだってお兄ちゃんは姫ちゃんのことばっかりだった。悔しいとか、妬ましいとか、強く思ったことはなかったけど、やっぱり寂しさはいつも私の心の中にぽつりと置き去りにされたように転がっていた。

「私…なにも知らなかったな」
「そりゃそうなんじゃねーの?」
「ごめんね、折角話してくれたのに、私…」
「すっげー泣きそう」
「大丈夫だよ、泣かない」
「泣き虫が何言ってんだか」
「、う……」

加藤君が、また黒崎君を威嚇する。
「いって! お前加藤のしつけちゃんとしてんのかよ?!」
腕を引っかかれた黒崎君が涙目で訴える。私には引っかかないからちゃんとしつけ出来てますー。

「でもね、私お兄ちゃん恨んでないよ、好きだよ! 感謝してるよ」
「感謝?」
「うん、姫ちゃんと一緒に連れ出してくれたこと、感謝してる」
「…………」
「ご、ごめんね! 私さっきから暗い話ばっかだね! だめだね、わたし…姫ちゃんみたいに楽しくない」
「井上とそうやって、比べようとすんなよ。ちゃんと、おなまえはおなまえだって判ってんだから」

そうやって、黒崎君はいつも私と姫ちゃんとの間にある壁を壊そうとするんだね。いつもそうやって、私のほしい言葉を見つけちゃうの。いつもそうやって、私の世界の黒い渦巻きを溶かしてしまうんだね。そうやって、黒崎君が私の世界を救うたびに、どんどん弱く臆病になっていってしまうのに。ぬるま湯に長く浸っているように、心地がいいんだ。個人的には熱いお湯に浸かってる方が好きなんだけどね。



「姫ちゃんに、言われて気が付いたことがあるの」
「なにが?」
「私、黒崎君にね」
「お、おう」
「お兄ちゃんを、求めてたんだって」

膝を立てて、その間に頭をうめる。今、自分がどんな表情をしてるのかわからない。
泣きそうなのかもしれないし、無表情になってるかもしれない。


「ずっと、気になってたことがあった」

部屋の明かりが、私を照らすのは当たり前なのに、その光がなんだか私を責めてるような気がする。ずっと闇の中にいろと、私に囁いているのかもしれない。そんな幻想が頭の中で生まれる。その声に耳をふさぎたくて、でもそしたら今度は黒崎君の声をきけなくなってしまいそうで、怖くなった。
だから、耳を塞ぐのはやめて自分の声でその声を掻き消した。

「どうして、黒崎君が私を気にしてくれるのかなって、」

何でもよかった。話題なんてなんでもよかった。ただ、黒崎君の事を知りたかった。
誰かにきかされるんじゃなくて、彼本人からききたかった。内容は何でもいい。どんな些細なことだって、見落としたくなくて、聞き逃したくなくて、ちょっともでも彼に近づいて。もうちょっとだけ黒崎君を知りたくて。

「私に気付いてくれたことが、いつも言葉をくれることが」

ほんのちょっとだけでも、姫ちゃんの知らない黒崎君が見たくって。見たくなって、知りたくなった。私のエゴだけど。エゴだけど、わがままだけど。少しだけ、私と黒崎君の時間をください。誰も知らない空間を作って閉じ込めて欲しい。ほんの数分でいいから、そんな空間が生まれることを願ってみた。

「不思議でたまらなかったの」

姫ちゃんの妹だったから、って理由で見つけてもらったのかもしれない。そのことを黒崎君に言われるのはとても嫌。自分から訊いといて都合のいいことを言ってるってわかってる。自己満足でも、自分が強くなれるような気がしたのも事実だった。

「優しくされるたびに、私は嬉しくなるけど弱くなる。自分を守る強さを忘そうだよ」

コトリ、ティーカップとテーブルがぶつかる音が静かに響く。

「自分を守れなくなっちゃうのが、どうしようもなく不安で」

そこで言葉が途切れた。次の言葉が見つからない。なんだか私ばっかり喋ってるな。言葉を形にしておかないと、心のありかさえわからなくなってしまいそうになるから、今、たくさん、黒崎君に言葉を伝えたかった。折角、私と話してくれる時間を作ってもらったのに、こんなんじゃだめだよね。さっきから矛盾ばっかしだな、私。黒崎君のことを知りたいのに、私のことばっかり。私のことに関した黒崎君のことしか知りたがってないみたい。

「最初は、」
「………」
「井上の、双子の妹だったってことで、話かけた」
「………」
「興味半分だったんだ」


でも、井上の妹なのに、似てなくて。いっつも下向いてて、泣きそうで、なんだか無性にむなしくなったんだ。話しかけたら、本当に嬉しそうに笑うから。いっつも、頑張って言葉捜してるとことか、すっげーなって思った。何がすげーとかあんまわかんねーけど、確かに井上の妹じゃなくて、おなまえって存在が俺の目の前にいたんだよ。話すんのも、ちゃんと自分の重いとことか言葉に出来てすげーって思った。誰かに気持ちを伝えるって簡単じゃないけど、ちゃんと伝えてくれてんのわかったから嬉しくなった。
井上の妹としてなんて、見てねーよ。いや、見てたけど、それって最初だけっつーか。今は全然違うし! ほらやっぱ見た目も全然違うしさ、井上の妹ってきっかけがなくても、たぶん俺お前を知ろうって思った。
お前の髪ってキレイだよな、あ、いや、これに脈絡がないってわけじゃねーぞ?! ずっと、思ってたんだ。黒い髪が、すっげー目立つなって。黒いのに、誰のよりキレイっつーか見つけやすかったんだよ。うん。――ルキア? あいつも黒いけど…なんか、なんつーかちげえんだよ。だーもぉ! 俺はお前と違って言葉にすんの下手なの!
つーかよ、お前、俺を兄貴だと思ってたってどーゆーことだよ。別におなまえを妹だと思って接したことねえんだけど? ……ねえよ! 当たり前だろ! 俺は、おなまえはおなまえとして接してだな…。
そーいや、おなまえさ、さっき自分を守れなくなりそうって言ってたけどよ。そうなったら俺がお前のこと守ればいい話だよな。だから不安に思うことってねえと思うんだけど。………何で黙るんだよ! 俺がすべったみてーじゃねーか。おい、何か言え。おいおいおい、何か言えって言っただけだぞ。泣けなんて言ってねえ! なんでお前そんな泣き虫なわけ? あ、いてっ! 加藤てめえ引っかきすぎだろ! ぎゃ、あ、あーっいでででで、いでぇ!! すんませんすんませんッ! マジすんません! お前のご主人様泣かした俺が悪うござんしたっ!!!


聞き逃してあげないんだから

ひとつだって、