黒曜石 | ナノ
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「黒崎、くん…?」

似ている、彼に。加藤君を抱えて、もう片方の手で相手の膝を(刀で)受け止めている彼と目が合う。その眼差しさえ私のよく知る彼にそっくりで、本当に黒崎君なんじゃないかと思う程だ。そう思わないほうが不自然のような気もする。全てが、彼に重なって見える。オレンジの髪も、ブラウンの目も、眉間の皺ですらうりふたつ。

「…たすけて、」

掠れる声で、吐き出した言葉は彼に届いてくれただろうか。小さく、祈るような声は、彼に響いてくれただろうか。どうか見捨てないで、どうか助ける価値が私にありますように。ゴジラの笑い声にかき消されてしまっただろうか。―― 耳が痛い。
未だに開放されない体が限界を超えて、麻痺してしまった。痛すぎて痛いのか痛くないのかわかんない。顔にあたる風の感触すらわからないのに、耳につく笑い声だけが痛い。

ゴジラが私の鼓膜を犠牲にしながら口を開く。いささか内容は予想出来た。けれど、その答えを聞くことはなくて、ゴジラが笑い声の後に続く言葉を発することはなかった。
ゴジラが笑い声を一度閉ざした瞬間に、彼は一気にゴジラと間合いをとって私を掴んでいた巨大な手を手首ごときり落としたからだ。ひいいいいいグロテスク! その時はそんなことを思う余裕も暇もなくて、ただ、黒い筋を見ていた。呼吸を忘れるくらい、瞬きする間も与えないくらい、鮮やかで迷いのない一太刀を浴びせたのだ。思わず目を瞑る。次に聞こえたのは、笑い声なんかじゃなくて耳をつんざく様な悲鳴。今度こそ鼓膜が臨終するかと思った。鼓膜パーンていったかと思った。鼓膜のことを心配する余裕はあったみたいだ。開放とともに空中に投げ出された身体を彼が片腕で抱き止めて、黒崎君の声で――

「目、閉じてろ」
言う。黒崎君、なの。声まで、黒崎君だね。夢だったらよかったのにそう思った。着地する前に、空中で一つジャンプして(普通空中で体制立て直すなんて出来ないのに、)ゴジラの脳天から一刀両断してしまう。それは本当にに一瞬のことで、まさに夢のようだった。現実で起こってるなんて出来れば思いたくないんだけど。助かった、みたいだけど、怖くてまだ怖くてやっぱ怖くて。その腕に必死でしがみついた。

「おなまえ……(だよな)?」
「………」
「おい、大丈夫かよ?」
「……、…」
「おーい?」
「ど、して…私の名前知ってる、んですか」
「は? つか、やっぱ見えてんだな」
「黒崎君、なんですか? 本当に、」
「ああ」
「モスラが、ウルトラマンが、黒崎君…」
「はい? (やっぱ井上の妹だなー。血筋か?)」

目の前の黒崎君らしき人物はやっぱり黒崎君で、名前を知ってるからやっぱり黒崎君なんだ。さっきのゴジラを倒したのも黒崎君なんだ。
深呼吸してもうちょっと落ち着きたいのに、息がうまく出来ない。息が上がってるわけじゃないのに、肺まで息を吸い込めない。落ち着かない。今まであった出来事も、今現在目の前にある現実も、全部落ち着かない。わからない。ごちゃごちゃしてる。まるでゴミ捨て場にあるゴミのような気分だ。目の前で起こったことだとしても、あんなものを見せられたら信じる前に信じたくないのが人間だろう。身体全身で否定したい。誰かにこれは夢だよと言ってもらいたい。仮に言ってもらえたとして、それが嘘なら元も子もないけど。あれは、一体なんだったんだ。幽霊の進化系? 幽霊って進化すんの? ていうか私も死んで幽霊になったらいつかあんなお化けになっちゃうのかな。じゃあ今まで私の部屋まで愚痴を言いに来てた夫婦もいつかは‥‥危ないじゃん! 危険じゃないですか! あんなお化けになる前に早く成仏してもらわないとダメじゃないですか!
私が、初めて会った彼女(幽霊)は、お化けにならずに成仏したのだろうか? 朝起きたらいなくなっていたからわからない。もしもゴジラのようになってしまっていたら、私があったように人を襲っているのだろうか。成仏したんだよ、ね。そうであってほしい。とにかくだ、あの生き物はなんだったんだ。そして黒崎君、あなたは一体何者なんです?

黒い着物をまとって、手には大きな包丁を握ってて‥‥‥っていうか、あれは刀? 刀なの? いや包丁でしょあの形。まあいいや、我が家の包丁とは比べ物にならないくらい大きな包丁のような刀を握った黒崎君は、何者なんですか。こんなアニメな展開があっていいんですか。友人が実は正義のヒーローでしたぁ、なんて展開があっていいものなのか。日曜朝7時にやってるあれの類が現実にあっただなんて‥‥! おのれ外道衆め、シンケンジャーはどこだ。黒崎君か! え、でもブラックってもういるよね? あ、着物シンケンジャーなの?!
もう一度、黒崎君が 「大丈夫か」と訊いてくる。ぶっちゃけ大丈夫じゃない。大丈夫じゃないよ。今日眠れないよ。宿題も出来ないよ。落ち着かせるように、黒崎君の手が頭を撫でる。全然、大丈夫じゃないよ。黒崎君の手の温度も、温かい手なのに、怖いよ。怖いよ。怖かった、怖い。死ぬかと思った。死ぬかと、――

「わたし、生きてる‥‥」

まだ、死んでない。死ぬかと思った。死にそうだった。だけど生きてる。死んでない。

「生きてるよ、生きてンに決まってんじゃねーか」

俺の前で死なせるか、って呟く。心配そうな顔。そんな顔をさせてるのは私なのに、泣きたくなった。泣いたらもっと心配させてしまうって分かってるのに、怖いのか安心してるのかよくわからないんだけど涙が出てきた。頭の中で、葉がかすれて聞こえてきたザワザワって音とかゴジラ(元パンダ)の声とか笑い声とか、捕まれた時の圧迫感とかがリアルによみがえってくるの。見たくもないビデオを流されてるような感じ。停止ボタンを探してるのに、再生し続けてるの。非現実的体験をしてしまったのだから仕方のないことだと割り切るけど、頭では理解してるのにもっと奥で、気持ちの方は割り切れない。怖い。やっぱり今夜は寝れそうにない。今でも、夢であったらいいのにと願った。現実とはいつの日も残酷なものである。

震える手で、黒崎君の腕の中にいる加藤君を抱き上げる。加藤君は声も出さずに、尻尾で頬を撫でた。黒崎君の手が、頭に乗って、そのまま抱き寄せられた。安心感が、黒崎君の温度に触れたところから広がった。黒崎君にしがみついて泣いてる、なんて夢であったら私を許してあげられるのに。あの恐怖は拭えなくて、本物なんだとさらに実感させた。後ろに回った黒崎君の手も、本物なんだ。だから、怖い。
何が怖くて、どうして怖いなんてわからないけど、ただただ怖い怖いと心の中で呟き続けた。


少しでも恐怖心が薄れるような気がして
そうする事で、